キミノヨウニ ヤサシイヒトハ モウイナイ

 椎名麟三が1938年から1942年まで勤めていた新潟鉄工の東京事務所は有楽町にあり、椎名はそこで詩人の北川省一とともに働いていた。「椎名さんと最後にお会いになったのは?」という編集者の問いに北川はこう答える。
 「私が最後に訪ねた時は、千葉かなんかに静養に行ってるというんで、会えないで引きかえした。その次行ったときには戸が閉まっていて会えなかった。それが最後で、私は、十何年間、高田(新潟県上越市)の外へ出なかったもんだから・・・、悔やみ状出しただけで、葬式にも行かなかった。どうも、私は、椎名だけでなく、葬式というのがきらいで、肉親の葬式でも尻ごみして行かない。お葬式だけでなく、お祝いにも行かない。」
 椎名が亡くなったとき北川が打った電報は、「キミニモウアエナクナッタトオモウトカナシイ キミノヨウニ ヤサシイヒトハ モウイナイ」(『椎名麟三信仰著作集、月報5』)。