亀山郁夫の悪意

 私が初めて亀山郁夫ドストエフスキー論(『『悪霊』神になりたかった男』)を読むきっかけになったのは、ある学生のレポートだった。もちろん、すでに亀山が『ドストエフスキー父殺しの文学』を出しているのは知っていた。しかし、私はそれを本屋で立ち読みしただけだ。というのも、そこでは亀山が以前から使っていた「使嗾」という言葉が鍵概念として使われていたからだ。「使嗾」を鍵概念としてドストエフスキーの作品に適用するのは間違っている。これについてはいずれ詳しく述べるつもりだ。いずれにせよ、私は亀山のドストエフスキー論にまったく関心が持てなかった。だから、本屋で立ち読みしただけだ。それきり亀山がドストエフスキー論を書いていることさえ忘れていた。
 そんなある日、ひとりの学生が、私の文学の講義のレポートとして、スタヴローギンのマトリョーシャ殺しについて書いた。それを読んで私は腰を抜かすほど驚いた。その学生は、少女マトリョーシャが母親に鞭で折檻され「もっと、もっと」とマゾヒスティックな悦びに打ちふるえている、と書いていたのだ。私はその学生に会うと、どうしてあんなことを書いたのかと尋ねた。すると、学生は「だって、亀山先生の本にそう書いてありましたから」としゃあしゃあと答えるではないか。そこで私は初めて亀山のその本を読んだ。読んで、激しい怒りに捕らえられた。この亀山のドストエフスキーに対する底知れぬ悪意は何だろう。こんなにドストエフスキーに悪意を抱いているのなら、ドストエフスキーについて論じる必要はないはずだ。「私はドストエフスキーが嫌いだ」と言えば済むことではないか。
 それから間もなく、京都大学で日本ロシア文学会総会があり、私は木下豊房氏と同じドストエフスキーの分科会の司会者に指名された。木下氏に会うと、私は亀山の『悪霊』論について怒りをぶちまけた。すると、木下氏も怒りに身体を震わせながら、私に同意するではないか。私は胸のつかえがおりた嬉しさに、それから延々と喋り続けた。聞くと、木下氏はすでに「ドストエーフスキイの会」が出している「ドストエーフスキイ広場」に亀山を批判する文章を書いているという。私は自分の不勉強を恥じ、木下氏のその文章を読んだ。何の異論もなかったが、まだまだ批判が手ぬるいと思った。そこで、私は『『悪霊』神になりたかった男』の出版元であるみすず書房にメールを出した