徒然なるままに

馬鹿になる方法 

そろそろ身辺を整理しておかなくてはと思い、最近、雑誌類をつめたダンボール箱を覗きながら雑誌をめくっていると、こういう文章に出遭った。 「毎朝、毎晩、ああいふものを読んでゐたのでは精神衛生上、頗る有害である。予防医学的見地から言へば、新聞と称…

アホばか間抜け大学紀要

昔、谷沢永一が「アホばか間抜け大学紀要」という文章をある雑誌に載せたことがあった。私は今もこの雑誌を大事に保存していると思う。思う、というような自信のない言い方をするのは、保存したのは確かだが、どこにあるのか分からないからだ。 谷沢永一はこ…

コヘレト

きょうはカトリック尼崎教会で、小川正巳先生のお通夜だった。享年97歳。先生は私の親父と同じ年に生まれた。私の親父は70過ぎに亡くなったが。 小川先生に入れといわれて私が入った文芸同人誌の『たうろす』の同人は、遅れて中尾が来たのみ。中尾によれ…

試合筋

きのう寝ようと布団に入ってNHKの「リオ五輪の星 素顔に迫る! グッと!スポーツ」を見ていたら、体操の加藤凌平選手が出てきた。子供のときから人前であがったことがない、ということだった。試合が近づいてきても、緊張で固くなったりしない。興奮してくる…

とちを買いました

私の大学での指導教授は小松勝助というウクライナ文学研究者で、ひどくどもる人だった。『世界名詩大成』(平凡社、1959)に小松先生の訳した「コブザーリ」の全訳が入っている。「コブザーリ」というのは、ウクライナの国民詩人シェフチェンコの代表作で、…

ローレン、ローレン

「新聞」で中学校の恩師、下村先生のことを書いたあと、少しずつ中学生の頃の記憶が戻ってきた。 私が通っていた中学校は「兵庫県加古郡学校組合立山手中学校」という長たらしい名前の中学校で、今は「加古川市立山手中学校」になっているらしい。 山手とい…

献血の列

阪神・淡路大震災が起きて二・三日たったころ、梅田から阪急の西宮北口まで電車が通じたという話を聞いて、阪急の六甲まで行った。かみさんの高齢の母親が阪急六甲駅近くのマンションというかアパートというか、その中間ぐらいの住宅にひとりで住んでいたか…

分かりやすく話す

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2014/0531.html 「学ぶことの意味を探して〜神田一橋 通信制中学の歳月〜」 昨日放送されたこの番組は予告編を見ただけで、本編を見損ねた。再放送を見よう。 でも、これまで放送された、これと同種類の番組を見ると、いつ…

小止みなく

学生にレポートを書かせると、「・・・にも関わらず」と書いてくるので、これは間違いで「・・・にも拘わらず」と書かなければいけない、と、もう四十年ぐらい注意してきた。でも、最近ではNHKの字幕に「・・・にも関わらず」と出るようになった。教師も平気…

ため息

むかし大阪の東成のYMCAアジア青少年センターで不登校や引きこもりの会をやっていたとき、会も終わり、その帰り、いつものように、そのYMCAの館長の金秀男氏と、そのセンターの近くの立ち飲み屋台で酒を飲んでました。 すると突然金さんが怒り出して。「萩原…

徴兵制

徴兵制について少し。 徴兵制について率直に言えば、私自身、兵隊にとられなかったことを、あり得ない幸運に見舞われたように思っています。というのも、私自身、運動会などでそろって行進するというようなことにも嫌悪を感じる性質でした。これは子供のとき…

奨学金問題

大学で育英奨学金を受けて勉強した人は次の三種類に分かれます。 1)大学を出てすぐ企業などに就職し、奨学金を返済できる人。 2)大学院を出てすぐ教育機関(大学や研究所など)に就職したため、奨学金の返済を免除された人。 3) 大学院を出ても、すぐ教…

ユーモア

桑原武夫が「ものいいについて」(1946年)というエッセイで紹介していることだが、中国人の林語堂が「日本人はユーモアが零点だ」と述べているそうだ。これはたしかにその通りで、中国人ではない私でさえ、いつも身にしみて感じていることだ。 私は子供…

埴谷雄高

私は埴谷雄高の書くものを一度も良いと思ったことがない。初めて読んだ埴谷の本は『闇の中の黒い馬』だった。私の好きな中村光夫がラジオで誉めていたので買ったのだ。それに、当時、私の家で居候をしていた従兄弟が「はにや、はにや」といつも神さまのよう…

心の声

若い頃。 顔を見ただけで「私の会いたい人はこの人ではない」と思う人がいる。そして少し言葉を交わし、「やっぱり、思っていたとおりだった」と思う。一方、顔を見ただけで「私の会いたい人はこの人だ」と思う人もいる。そして少し言葉を交わし、「やっぱり…

「最初の人間」

今週の水曜日、四条の京都シネマで「白夜」(ドストエフスキー原作、ロベール・ブレッソン監督)と「最初の人間」(カミュ原作、ジャンニ・アメリオ監督)を続けて(午後1時15分から5時まで)見ることができた。カミュはドストエフスキーの弟子を自認し…

武満徹

私は武満徹の音楽を心から愛するが、それは武満が真実を愛する人間であるからだ。真実を愛する人間の振る舞いは、それが錯誤に満ちたものであるときも美しい。彼らの嫉妬は美しいし、その怒りも美しい。そして、真実を愛する人間が芸術家であるとすれば、そ…

オーウェル

若い頃の読書というのは、たとえそれが強制的なものであったとしても、のちのちまで強い影響を与える。こんな風に断言するのは間違いかもしれないが、少なくとも私にとってはそうだ。 たとえば、高校生の頃、英語の授業でオーウェルの『動物農場』とモームの…

チェルノブイリ・ハート

昨日、絶飲食のまま堺東の診療所で健康診断の再検査を受け、その帰り、「チェルノブイリ・ハート」(シネ・リーブル梅田)を観た。これは二つの短編記録映画からなり、第一部がミンスクの病院などを舞台にした「チェルノブイリ・ハート」(チェルノブイリの…

「お勉強」

またもや長い枕になる。本題は亀山郁夫批判と日本ロシア文学会への批判だ。 私は大学三年のとき、神戸の『たうろす』という同人誌に入った。入っていなければ、私は死んでいただろう。その理由について述べることはできないが、いずれにせよ、『たうろす』と…

「帰還証言──ラーゲリから帰ったオールドボーイたち」

映画「帰還証言──ラーゲリから帰ったオールドボーイたち」(ひと・まち交流館)を見た。「シベリア抑留者」ではなく「ソ連軍捕虜」というべきだ。彼らはソ連(スターリン)と日本帝国(天皇)によって往復ビンタを受けた。ロシア政府と日本政府はソ連軍捕虜…

音楽脳、文学脳、会議脳?

このブログは亀山郁夫のドストエフスキー論を批判するために始めたのだが、2月の初旬以来、まったく更新できていない。こんなことになっているのは、大学では2月3月が様々な校務のため忙しいということもあるが、今年私が教育運営委員長をしているからだ…

花束

昨日は『カラマーゾフの兄弟』の授業の最後。女性の受講生の方々から花束を頂いた。百合とかガーベラとか。うれしい。これで何度目だろう。一年の授業の最後に花束を受講生から頂くのは。昔、明石海峡が見える大学でロシア語を教えていた頃(授業をしながら…

「カティンの森」

ワイダの「カティンの森」を見た(シネ・リーブル梅田)。何度も見たいと思った。ワイダの最高傑作だろう。これは言葉の真の意味で「女性映画」だ。出てくるポーランド女性がすべて美しく清潔で強靱だ。女性だけが持つ強靱さが鮮明に描かれていると思った。…

菅原洋一リサイタル

カミさんの好きな菅原洋一のリサイタル(堺市民会館)。大ホールが「前期高齢者」と「後期高齢者」で満席。菅原洋一自身は「後期高齢者」とのこと。しかし、声はまったく衰えておらず、逆に昔より声に深みが増したほどで、休憩をはさんで二時間を歌いきった…

島尾敏雄の「青春」

あと一年少しで定年なので少しずつ研究室にある本の整理をしているのだが、なかなか片付かない。定年後は病院とか図書館が近くにある賃貸の公団住宅に引っ越し、体力と運と命があれば、スーパーの駐車場などで車の交通整理をしながら余生を過ごすつもりだ。…

ユマニスム

ドストエフスキーがめざしたもの。ドストエフスキーとリルケは似ている。 ユマニスムから出発するとすべてが実にいやらしい、下品なものになってしまう。これが人間の創造の秘密であり、そこにユマニスムの力の根源が在る。リールケがすべてをささげて戦おう…

村上春樹の気配

私が村上春樹の小説を愛読するようになったのは、彼の小説に立ちこめている気配が気に入ったからだ。たとえば、「ノルウェイの森」のキズキという少年のまわりには、そのような気配が立ちこめている。キズキのまわりには、昔、いっしょに遊んでいた神戸の六…

人生永遠の書

正宗白鳥が深沢七郎の「楢山節考」を「人生永遠の書」と評したのはその通りで、何の異論もない。「楢山節考」が発表されたときから古典になっていたことは明らかだ。しかし、この古典を今の読者は理解できるだろうか。彼らの多くにとってちんぷんかんぷんで…

散歩

夕焼け。 日本の風景はどうして花札に似てしまうのかな。