ローレン、ローレン

 「新聞」で中学校の恩師、下村先生のことを書いたあと、少しずつ中学生の頃の記憶が戻ってきた。
 私が通っていた中学校は「兵庫県加古郡学校組合立山手中学校」という長たらしい名前の中学校で、今は「加古川市立山手中学校」になっているらしい。
 山手という名前が付いているのは、上品な場所にあるということではなく、山の上にあったからだ。その中学校の隣には堀辰雄の「風立ちぬ」に出てくるような肺結核の療養所があった。昼過ぎになると、その療養所に入っている患者が三々五々かたまって散歩していた。なぜそうなったのか分からないが、私は何度か女性の患者に話しかけられた。何を話したのか覚えていない。目の大きな美しい人だったということだけは覚えている。
 また、その山を降りて少し行ったところに刑務所があり、たぶん朝礼のあと、全員がむりやり走らされ、しばしばその刑務所を一周して帰ってきた。刑務所にいるおじさんたちがマラソンをしている私たちをにこにこ笑いながら見ていた記憶がある。
 私はいわゆる越境入学者であったため、自宅から片道一時間半以上かけて、この山の上の中学校に自転車で通っていた。だから、上り坂の続く中学校に行くのはつらかったが、帰りは下りばかりなので楽しかった。
 当時、「ローハイド」というカウボーイのテレビ映画が流行していて、いつも私はその荒馬を乗り回す主人公の真似をし、「ローレン、ローレン、ローレン、ローハーイ」と歌い「ピシッ」と自転車のハンドルを何かでたたきながら、坂の上から自転車から両手を離して猛スピードで下っていた。
 しかし、あるとき、運悪く大きな石に自転車が乗り上げ、5メートルぐらい下の田んぼに頭から突っ込んだ。が、悪運強く、ちょうど田植えの時期で、気がつくと、その田植えをしていた人の家に寝かされていた。それ以来、私たちのあいだで流行っていたそのローハイド遊びは学校で禁止になった。
 私は今でも畑に自転車で行くとき、下り坂になると、両手を離して「ローレン、ローレン、ローレン」と歌いながら、自転車に「ピシッ」と片手で鞭をあてる真似をしている自分を発見する。今はまだあぶないと思ってやめることができるが、痴呆になればやめることもできず、頭から谷に落ちて死ぬだろうな。