馬鹿になる方法 

 そろそろ身辺を整理しておかなくてはと思い、最近、雑誌類をつめたダンボール箱を覗きながら雑誌をめくっていると、こういう文章に出遭った。
 「毎朝、毎晩、ああいふものを読んでゐたのでは精神衛生上、頗る有害である。予防医学的見地から言へば、新聞と称するものを一切読まぬ事をお薦めする。それでも一向日常生活に支障を来さない。たとへ日本の政治、社会に関する重要問題について、考慮に値する正確な報道、解説が出てゐたとしても、それ程のものには月に一回位しか出遭はぬであらうし、たとへそれを読んだとしても、それ等は吾々一般市民にはどうにも手に負へぬ事柄でしかない。そんなものを見逃さぬ為に、他の何十もの虚偽の報道、解説に騙されたり、或は騙されぬが故に腹を立てたりしても無意味であり、有害である。新聞を読まぬ事によって生ずる唯一の支障は、仲間同士の附合において相手方の話題に応じられず、除け者にされる可能性である。」(福田恆存「新聞への最後通牒――「幾ら言っても言ひ尽くせぬ」――」、『諸君』11月号、1974)
 この『諸君』という「右翼雑誌」を捨てないでいたのは、そこにソ連の「プラウダ」と中国の「人民日報」を痛烈に批判する記事が掲載されていたからだ。
 それはともかく、うろ覚えだが、私は当時、この福田恆存の文章を読み、賛成したはずだ。と言うのも、たんに生活に余裕がなかっただけなのだが、私は当時、新聞も講読せず、テレビも持っていなかったからだ。ラジオは持っていたが、これはニュースや天気予報を聞くのが主な目的だった。そして、それで何の不都合もなかった。
 しかし、今は新聞を読み、テレビも見ている。それは昔より生活に余裕ができたからだ。おまけにインターネットでフェイスブックまでしている。そして、前より賢くなったかというと、そんな気はしない。いろんな虚偽の情報にふりまわされて、前よりバカになったような気さえする。