私の大学での指導教授は小松勝助というウクライナ文学研究者で、ひどくどもる人だった。『世界名詩大成』(平凡社、1959)に小松先生の訳した「コブザーリ」の全訳が入っている。「コブザーリ」というのは、ウクライナの国民詩人シェフチェンコの代表作で、先生はそれをウクライナ語から訳した。本邦初訳だった。
大学を出てずいぶんたったあと、先生の同僚の小川正巳先生から聞いたことだが、奥さんは桑原武夫の妹だったそうだ。そう言われれば、小松先生はなんとなく桑原武夫に似ていた。子供はいなかった。生涯、神戸の灘にあった賃貸公団住宅に住んでいた。私は一度、先生に呼ばれてその家に行ったが、「家は狭くて汚いので」と言われて、入り口からそのまま近くの喫茶店に連れて行かれ、話をした。
その時だったか、それとも、あとだったか、いずれにしても、小松先生が神戸外大を定年退官し、私が浪々の身を嘆いていた頃だ。
先生が、あるとき、私の目をのぞきこみながら、いきなり小さな声で、「と、と、とちを買いました」と言われた。「え?」と私が問い返すと、「と、と、と、と、とちです」と、また言われた。そして、顔を真っ赤にしてうつむいている。小松先生は山形出身で、少しなまりがあった。私が山形弁で「とち」というのは何だろう、などと馬鹿なことを考えていると、「ほうら、あの、と、と、とちですよ」と言われ、消え入るような小さな声で「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょきんで買ったということで」と言われ、私は初めてそれが「土地」だと分かった。
「よかったですね」
と、私が憮然として言うと、
「そ、そ、そ、そうですか。よかったですか」
そう言いながら、先生がこちらの目をじっとのぞきこむ。
「そうですよ、よかったですよ」
私がもっと憮然として答えると、
「よ、よ、よ、よかったですか。そうですか。うふふふ」
と、先生はそれが癖の含み笑いをしながら、うなだれて、顔を真っ赤にしている。
私は呆れて、それを無視して、別の話を始めた。
それ以来、先生とは何度か会う機会があったが、そのたびに、「と、と、と、とちを買ったんです」と言われる。そして、「うふふふ」と笑われる。貧しい教師なので、土地を購入できたのがよほどうれしいんだろうな、などと、少し軽蔑しながらそれを聞いていたのだが、けさがた、眠りからさめて、うつらうつらしていたとき、あれは先生の懺悔だったのではないのか、ということに気づいた。そして、布団の中で、今度は私の方が赤面した。
いまさら言うまでもないことだが、社会の余計者である文学者が、家を買ったり、地面を買ったりするものではない。一生、貧しく、貧相な生活を送らなければならない。これが文学者の運命なのだ。これが、今もそうかもしれないが、私が学生の頃、文学者たるものがもつべき常識だった。
どうして、このことに気がつかなかったのだろう。小松先生は私に思いきり軽蔑してほしかったのだ。どうしてあのとき先生に「先生も堕落されましたね」と言わなかったのだろう。そうすれば、先生も「そ、そ、そうです。だ、だ、だ、だらくです」と言われ、少しは気が楽になったろうに。