神聖不可侵なもの

 最近、内田樹が「僕が天皇に敬意を寄せるわけ」という文章を書いていた。私はその文章に違和感を覚えたので、その理由について書いておきたい。なぜなら、その違和感は私が最近の政治状況にしばしば覚える違和感でもあるからだ。
 日本人には最期に結論を言うという悪い習慣があるので、ここでは、まず結論から先に言う。私が言いたいのは次のようなことだ。私たちは「神聖不可侵なもの」と一般に見なされているものを、自分の利益のために利用してはいけない。このことについて説明しよう。
 たとえば、二年ほど前、世間をにぎわせた佐村河内事件について、野口剛夫は『「全聾の天才作曲家」佐村河内守は本物か』で次のように述べた。

 もしかすると彼(佐村河内氏のこと:萩原)は、歴史的な被爆地であるヒロシマを副題に使えば、被爆二世である自分の存在も重なり、作品を売り出す際に大いに有利である、と作曲完成後に気付いたのではないか。ヒロシマという名前は今やある意味で神聖不可侵なものになっており、被爆地や被爆者を批判するのは難しいからである。

 この「今やある意味で神聖不可侵なもの」を、宣伝行為に使うということ、それがこの場合のように商業的な目的のためであろうが、あるいは、たとえば政治的な目的のためであろうが、現在の社会のいたるところで行われていることだ。私たちにはその「神聖不可侵なもの」を批判することが許されていない。そのために、多くの詐欺師がその「神聖不可侵なもの」を自分の利益のために利用している。
 この「神聖不可侵なもの」にはどのようなものがあるのか。戦前において、その代表的なものは「天皇制」にまつわるさまざまな事象と人々だった。
 戦後、その戦前の「神聖不可侵なもの」に新しい「神聖不可侵なもの」が付け加わった。その新しい「神聖不可侵なもの」の中心を成すものが、戦前の「天皇制」によって抑圧され虐げられてきた人々と、それにまつわる事象だった。そのような人々を批判することはタブーとなってきた。たとえば、ヒロシマ被爆者や沖縄で集団自決を行った人々はそのような批判することのできない存在になった。
 なぜなら、ヒロシマナガサキ被爆者は、天皇制に反対する人々によれば、アメリカによって殺されたのではなく、天皇制を守り戦争を続行しようとした軍国主義者たちによって殺されたからだ。また、沖縄で集団自決を行った人々は、天皇制に反対する人々によれば、アメリカ軍が押し寄せてくる恐怖によって自決したのではなく、天皇制を守る日本軍が命令して自決させたからだ。
 要するに、戦後、批判することが禁じられている「神聖不可侵なもの」として、二つのタブーがたがいに対立しながら存在してきた。つまり、戦前から連綿として続いている「天皇制」をめぐるタブーと、その「天皇制」によって抑圧されてきた人々をめぐるタブーだ。これまで、この二つのタブーをめぐって左右両陣営の戦いが続けられてきた。今回の佐村河内守事件は、そのような戦いに加わっている人々に真の覚醒を迫る事件であるように思われる。真の覚醒とは、自分たちが行っていることの愚劣さに対する覚醒だ。要するに、愚かで不毛な戦いをやめよ、と佐村河内氏は無意識のうちにトリックスターとなって、左右の陣営の人々に呼びかけている。
 今や右でも左でも多くの人々がその「神聖不可侵なもの」を自分の利益のために利用しているのは明らかだ。「神聖不可侵なもの」を自分の利益のために利用してはいけない。これは私たちの頭に腹にたたき込んでおかなければならないことなのである。なぜなら、その「神聖不可侵のもの」を目の前に突きつけられると、私たちは沈黙せざるを得なくなり、もうそれ以上議論することができなくなるからだ。その「神聖不可侵なもの」は水戸黄門の御印籠のような働きをする。だから、右も左も、広島・長崎の原爆の被害者、沖縄戦での犠牲者、先のアメリカとの戦争での英霊などを自分の政治的な目的のために利用してはいけないのだ。その「神聖不可侵なもの」は私たちの祈りの対象として、心の中にとどめておくべきなのだ。
 しかし、内田樹天皇という日本人の多くにとって「神聖不可侵」な存在を、自分の政治的な目的のために利用した。このため、私は違和感を覚えたのだ。その内田の文章の全文を次に掲げよう。内田は天皇を政治利用せず、私は安倍首相とは政治的立場を異にする、とだけ言えば済んだことなのだ。

内田樹、「僕が天皇に敬意を寄せるわけ」
――聞く人にちゃんと伝わる言葉を語っている
東洋経済ONLINE 2016/1/13)

――戦後70年の戦没者慰霊のため、天皇、皇后両陛下が4月上旬、旧日本兵1万人が全滅した激戦地、パラオペリリュー島を訪れて献花した、という報道がありました。この旅は、両陛下の安倍批判であり「護憲の旅だった」と書いた週刊誌もあったようです(『サンデー毎日』2015年5月3日号)。そこで、「日本国憲法9条の最後の守護者は天皇アメリカ合衆国である」という趣旨の発言をたびたびしておられる内田先生の真意をお訊ねしたく質問します。いまの天皇天皇制について、どう考えておられるのか、あらためて教えてください。

口にするたびに目が潤む

内田:天皇皇后両陛下については個人的に控えめな敬意を寄せております。前に天皇の身近くに仕えている方のお話を伺う機会があったんですけれど、その方が「陛下は……」というたびに、ちょっと涙目になるんです。その方の口ぶりから今上天皇が周囲の人たちから深く敬愛されていることがうかがい知れました。周りの人がその人の名を口にするたびに目が潤むというような人物はめったにはおりません。
 前の昭和天皇は人間としての底が知れないところがありました。言っている言葉と心の中で思っていることの間にだいぶ乖離があるように思えました。でも、今上天皇に関しては、言葉のとおりのことが本心だろうと思います。護憲を訴える言葉も、世界平和を願う言葉も、被災地に行って市民へ語りかける言葉も、「決められた台詞」を棒読みしている感じがしません。聞く人の胸にちゃんと伝わる言葉を語っている。官僚の書いた作文を読み上げているだけの首相のコメントとは重みも手触りも違います。

 今上天皇は政治とはっきり一線を画した立場にあり、その点では明治天皇以来の「近代天皇制」から離れて、古代以来の天皇の立ち位置に戻っていると思います。
 天皇の本務はもともとすぐれて宗教的なものです。天皇の最優先の仕事は祖霊の鎮魂と庶民の生活の安寧のために祈願することだからです。草木国土のすべてに祝福を贈り続けることを専一的にその職務とする「霊的なセンター」がなければ共同体は成り立ちません。そのことを今上天皇はよく理解されていると思います。その点では「ローマ法王」に似た存在なのかも知れない。
 「高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」という仁徳天皇の御製が今に伝えられています。庶民の生活が豊かになって、家々から炊飯のけむりが立ち上がっているのを見て、帝がそれを言祝ぐという趣旨の歌です。この歌が久しくわが国で選好されてきたのは、民の生活を気づかい、祝福を贈ることが天皇制の本義であり、それ以外の行政であったり軍事であったりという仕事は天皇の本務ではないということについての広汎な国民的合意があったからだと思います。
 「民のかまど」を気づかい、宮殿の修理も着物の新調も思いとどまったことを天皇の威徳としてたたえてきた人々は、その讃辞を通じて、天皇が「領土を拡げたいから兵士になって戦争に行け」とか「偉容を示したいから土木工事に出てこい」とかいうようなことを命じることはありえないはずだ、と無言のうちに訴えていたのだと思います。

明治維新でマッチョな「大元帥」に

 天皇の政治的存在感が際立ったのは、日本の歴史の中では例外的です。12世紀の鎌倉時代から19世紀の明治時代まで、歴代天皇は、ほとんど存在感がありません。その700年、安徳天皇から明治天皇までの間、皆さんは何人の名前を挙げられますか?『太平記』の主要登場人物であった後醍醐天皇を除くと、その間、カラフルな事績によって歴史に名を残した天皇はほとんどいません。
 戦国末期から江戸時代の天皇たちは総じて宮中奥深くに引き籠もっていました。笛の名手だったとか、歌道に明るかったとか、能書家であったとかいう事績だけはかすかに伝えられていても、歴史の表舞台とは縁がありませんでした。
 それが明治になって一変した。欧米列強に伍すために、一神教イデオロギーと中央集権的統治システムを短期間のうちに設計することが急務となったからです。そのために天皇が利用された。明治維新の革命家たちは明治天皇京都御所の暗がりから引きずり出して、ナポレオン3世とかウィルヘルム2世のような英雄的人物に仕立て上げようとしたのです。
 国策とはいえ、過去に前例のない皇帝タイプへの人物造形を強いられたわけですから、明治天皇のご苦労はたいへんなものだったと思います。
 侍従に旧幕臣で剣客として知られた「赤誠の人」山岡鐵舟を登用したのも、明治天皇に「男というのはこういうものだ」というロールモデルを提示することが目的だったからでしょう。それまで天皇が学んできた帝王学のうちに「戦う男」としての自己形成プログラムなんか含まれていませんでした。まわりにいたのは公家さんたちだけですから。それがいきなり山岡鐵舟ですから、明治天皇もずいぶんびっくりされたんじゃないでしょうか。
 でも、そうやって祭司であり、美的生活者であった天皇を明治政府は無理やりに「大元帥」に造形した。その無理が敗戦まで70年あまり続いた。そして、戦争が終わって、昭和天皇は「人間宣言」をしたわけですけれど、あれはべつに「市民になります」と宣言したわけじゃない。孝明天皇以前の 「天皇本来の職務に戻ります」という宣言として理解すべきだと思います。
 近世までの天皇は別に「現人神」だったわけじゃありません。古くは蘇我氏藤原氏からそのときどきの権力にコントロールされて、その意に反して廃位されたり、流刑にされた天皇は枚挙にいとまがありません。天皇というのは、政治的にはつねに「弱い」存在でした。「強い天皇」「軍を統帥する大元帥」というイメージは、明治政府が作為的に構築したものです。そのマッチョな天皇像が意に沿わないということは3代の天皇はずっと感じていたんじゃないでしょうか。だから、「人間宣言」で昭和天皇はずいぶんほっとしたんじゃないかと思います。

安倍首相は頭から無視している

 安倍首相は天皇に対する崇敬の気持ちがまったく感じられないという点において、歴代首相の中でも例外的だと思います。天皇の発言を頭から無視している。天皇が迂回的な表現をとって伝えようとしているメッセージの真意をくむための努力をまったくしていない。安倍首相がわずかに関心を示す宗教行為は靖国神社参拝だけですが、そこはまさに2代にわたって天皇が「招かれても、行かない」ときっぱり拒絶した場所です。逆に安倍首相は何をおいてもそこに行きたがる。靖国神社ひとつをとっても、安倍首相が天皇の真意をくむ気がないということは明らかです。
 もう一つ、憲法があります。天皇憲法については機会があるたびに「憲法を護ること」が自分の責務であると誓言しています。憲法99条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という条文を誠実に履行している。
 一方の首相の方は、憲法を尊重する気も擁護する気もない。「みっともない憲法」だから早く廃絶したいと公言し、改憲がむずかしいとなると「安全保障環境の変化に応じて、憲法解釈を変えることは政治家の責務だ」とまで言い出した。
 天皇と首相のありようの違いは、彼らのたたずまいをみればわかります。天皇は「日本国民の安寧」を願うという本務を粛々と果たし、首相は「立法府、司法府を形骸化して、独裁体制をつくること」をじたばたと切望している。両者の語る言葉の重さの違い、国民に向かうときの誠実さの違いは、日本人なら誰でもわかると思います。
 政治と祭祀を2つに分かち、現実政治の専門家と霊的事業の専門家を分離した「ヒメヒコ制」は古代の列島住民が着想したすばらしい人類学的装置でした。天皇制はその遺制の知恵を今に伝えています。
 ですから、天皇と首相のそれぞれが発信するメッセージに大きな隔たりが生じると、僕たち国民は困惑します。どちらの言うことを信じるべきか。でも、困惑していいのだと僕は思います。困惑した国民が政治家に向かって「ちょっと待って」と一言上げるきっかけになるなら、それこそが天皇制の功徳と言うべきでしょう。(文:内田 樹)

「天皇の政治利用」に続く)