何を書くか

 わたしが下らないと思う作家は、前に述べたように、間違ったことを書き、その間違いを他人から指摘されても訂正も謝罪もしない、厚顔無恥そのものの作家だ。それは誰かと問われれば、わたしは即座に十人以上の作家や学者を挙げることができる。そのような作家にも熱心な読者がいる。そのような作家と読者は、ある怒り(左も右もない)を共有し、その怒りによって連帯しているように思われる。だから、作家が誤ったことを書いても、そんなことはどうでもいいのだ。そのような読者は自分の怒りを代弁してくれる作家を求めているだけだ。そのような読者は全体主義を支えるモッブ(群衆)の特徴を備えている。ヒットラースターリンを支えたのもそのような人々だった。
 次にわたしが下らないと思う作家は、流行の思想や文学を次々に追い求め、次々に紹介してゆく作家や学者だ。わたしには彼らが何を求めているのか分からない。いや、彼らが求めているのが、目新しいものだということは分かりすぎるほど分かる。分からないのは、彼らがなぜそんな思想や文学を追いかけるのかということだ。彼らとその思想や文学とのつながりが分からない。だから、読み終わったあと空しくなり、自分が根無し草になったように感じる。
 わたしがいちばん好きな作家は、自分の人生と書く内容が深いところでつながっている作家だ。日本人で言えば、小林秀雄森有正がそういう作家だった。そういう作家の一人であるハンナ・アーレントについて、カール・ヤスパースがある対談で次のように述べている。この言葉はわたしが好きな作家の特徴を的確に描写していると思う。

 ハンナ・アーレントは自分のほうから求める著述家ではありません。そうではなく、何かがやって来ると彼女は筆を取るのだ。自分は哲学者ではないと彼女は言明している。哲学者であることはもうとっくの昔に諦めていると言うのです。それでは一体何なのか?専門は全然ない!何かに彼女を組入れることは不可能だ!どんな団体にも、どんなクラブにも所属していない。完全に彼女自身であり、何事も自分の責任でおこなう。そしてこの全面的な独立性は多くの著述家にはとても不気味なものに見えるように私には思える。彼女は本来彼らの仲間ではない。実際彼女は、何かを思いつく、そしていつも何か新しいことを思いつかねば生きて行けない、そういうタイプの人間ではありません。ほしいままに漂う知性とはまた違ったあの独立性によって彼女は生きている。私の推測では、幾人かの著述家に見られる彼女への秘められた反感はそれに由来するのです。彼女はあの連帯――隠密な、組織という形をとらずに暗黙裡に著述家たちのあいだに成立しているあの連帯に属していない。そういうタイプでもないのです。この独立性には根無し草の空しさもない。(中略)彼女がそれによって生きる根本のものは、真理への意思、真の意味における人間的存在、幼年時代にまで見られる限りない誠実、そしてまた、逮捕(一九三三年)と旅券なしの国外移住のときに味わった極度の孤独の経験です。(後略)」(ハンナ・アーレント、『イェルサレムアイヒマン』、大久保和郎訳、2006、p.237)

 わたしは昔、このヤスパースの言葉、特に「彼女はあの連帯――隠密な、組織という形をとらずに暗黙裡に著述家たちのあいだに成立しているあの連帯に属していない」という言葉を読んで、ドイツでもそうなのか、と、納得した記憶がある。腐っているのは日本の思想界や文学界だけではない。世界のどこにでも、身過ぎ世過ぎのため、書くためだけに書いている自称思想家や自称作家はいるのだ。そして、こういう連中の書くものは決して読むまい。そう思ったのだが、気がつけば、わたしはそういう連中の書いたものも喜んで読んでいたのだ。

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 以上のように書いたのを読み返し、わたしが嘘を述べていると思う読者がいるかもしれないと思った。しかし、わたしは嘘を述べているのでも、大仰なことを述べているのではない。わたしが以上に言ったことは、自分の頭で考えることができる人なら、とっくに分かっているはずのことだ。また、わたしはこのブログの亀山郁夫批判などで、「わたしが下らないと思う作家」について少し、ほんの少し、述べてきた。それを読んでいただきたい。
 また、参考のために、木下和郎の次の記事(http://www.kinoshitakazuo.com/kameyama/kameyama%2811%29.html)も読んでいただきたい。これを読むと、ヤスパースの「彼女(アーレント)はあの連帯――隠密な、組織という形をとらずに暗黙裡に著述家たちのあいだに成立しているあの連帯に属していない」という言葉の意味がよくわかるだろうし、そこでやり玉に挙げられている、亀山郁夫佐野洋子関川夏央高橋源一郎辻原登沼野充義などが「あの連帯」に属しているということも分かるだろう。【2015/01/10追記】