文脈

 ある男が詐欺にあった好きな女に「お前はバカだなー」と言うとすれば、この「バカ」というのが「記憶力や理解力が世間一般の人に比べてひどく劣っているととらえられること」(『新明解国語辞典』)という辞書的な意味でないことは明らかだ。しかし、では、どういう意味なのかと問われれば答に窮する。
 その「バカ」という辞書的な意味は、その男とその女の関係、そして女が詐欺にあった状況などによって修正される。そして、この場合、辞書的な意味とはまったく逆の意味になることだってあり得る。
 だから、辞書的な意味、あるいは文字通りの意味というのももちろん大事だが、それ以上に文脈あるいはその言葉が使われた状況というものの方がずっと大事なのだ。
 くり返すと、ある言葉の意味は辞書による意味と文脈の中での意味によって決まる。ある言葉が使われた文脈を視野に入れなければ、ある言葉の意味は分からない。
 こういうことを思ったのは、今朝、朝日放送の「羽島慎一モーニングショー」を見たからだ。
 この朝8時からの朝日のモーニングショーは、鳥越俊太郎がキャスターの頃から見始めたと記憶しているが、あまりにも左に偏っていて(鳥越の場合は小沢一郎偏向)暗い気持になるので、しだいに見なくなった。しかし、最近、羽島慎一がキャスターをするようになって少し左旋回が直ったのでまた見るようになった。
 で、ぼんやり見ていると、レギュラーコメンテーターの玉川徹がいつもやっている「玉川徹のそもそも総研」に、自民党平沢勝栄議員が出てきた。出てきたのは、例の「保育園落ちた 日本死ね」というブログを民主の山尾しおり議員が読み上げたさいの自分のヤジについて釈明するためだった。
 つまり、山尾議員に対する自民党席からのヤジがひどい、という投書(メール)がテレビ局に多数あり、そのため、そのヤジについて釈明するため、平沢議員が出演したということだった。 
 国会では、質問する議員が事前に、これこれの資料を質問のさいに使いますよということを、国会の運営委員会(正確な名称を私は知らないが)に知らせる義務があるらしい。
 平沢議員によれば、その委員会で、山尾議員が使おうとした「保育園落ちた 日本死ね」のブログを国会で資料として使ってもいいのかどうか、委員会で審議したそうだ。
 そのさい、平沢議員によれば、野党も含めた委員の協議によって、匿名の文書を国会で取りあげるのは良くないという結論になり、資料として使わないことになった。
 ところが、山尾議員は国会で「与党が反対したので取りあげてはいけないことになっていますが・・・」という枕をふってブログを読み上げた。このことに驚いた平沢議員たちが、「誰が書いたんだ」というヤジを飛ばしてしまったということであった。
 要するに。平沢議員が言いたいのは、委員会で、そのブログを共産党民主党も含めた野党も取りあげないとあらかじめ決めたのに、なぜ山尾議員は与党だけがそのブログを取りあげるのに反対したという嘘を言ったのか、ということだった。また、そのために、驚き、ヤジを飛ばしてしまった、ということだった。
 ヤジそのものについては、平沢議員もそれは悪いことだと何度も番組で謝罪した。
 私は筋の通った説明で、これ以上の釈明は不要と思った。木曜日のコメンテーターの高木美保氏も私と同様リアルタイムでその国会中継を見ていたらしく、「野党の揚げ足とりの不毛な質問にはイライラしていた」というような内容の発言をしながら、平沢議員の釈明に対して肯定的な態度を取っていると私には思われた。左翼であっても、人間は公平でなくてはいけない。当然のことだが、さすが、高木美保、と、私は思ったのであった。
 ところが、奇妙なことに、レギュラーコメンテーターの玉川徹が「保育園落ちた 日本死ね」の内容のどこがいけないのか、と、平沢に執拗に食い下がった。
 その食い下がり(変な言葉を使うが)に対して平沢議員は同じ内容の言葉をくり返しながら、こう述べた。
 自分もブログのその内容には共感していて、じっさい、自分の選挙区では保育園の状況を改善するために努力している。しかし、そのことと、そのブログを国会で資料として使わないということは別の話だ。そのブログを資料として使わないということは、事前に、共産党も含む委員会で決めたことだ。それなのに、与党だけがその匿名ブログを取りあげるのに反対したと山尾議員が言った。このため、私は思わずヤジを飛ばしたのだ。
 こう答えた平沢議員に対して、驚いたことに、玉川氏はまた「保育園落ちた 日本死ね」の内容のどこがいけないのか、と言って、平沢議員に食い下がった。このとき初めて私は、玉川氏は国会中継を見ていないのだと思った。キャスターの羽島氏も見ていないらしく、玉川氏に同調するようなピント外れの感想を述べるだけだった。
 国会中継を見ていない人にはいくら言っても、平沢議員の真意は伝わらない。高木氏も述べていたように、その国会で民主党は、執拗に与党自民党の揚げ足とりを続けた。その揚げ足とりを見ていた者の不快感は、中継を見ていない人には分からない。このため、平沢議員の真意も伝わらない。
 つまり、民主党のそのあまりにもひどい揚げ足とりにうんざりしていた与党議員が、山尾議員の述べた嘘、「与党が反対したので(このブログは)取りあげてはいけないことになっています・・・」という嘘にふれて怒りを爆発させたということだ。
 このことは、国会中継を見ていない者にはいくら言っても分からない。
 始めに述べたように、事実は文脈の中にしかない。事実は文脈の外にはない。これは常識だ。また、文脈を無視してある言葉の揚げ足とりをする人は詐欺師と決まっている。
 たとえば、平沢議員の「誰が(そのブログを)書いたんだ!」というヤジを、そのヤジが述べられた文脈を無視して論じる人は詐欺師ときまっている。また、そのヤジを発した人物を、保育園の現状などどうでもいいんだと思っている人物だと断定する人は詐欺師に決まっている。そのような詐欺師はある事実をその文脈の外に放り出し、自分勝手な意味を付け、自分の利益のために利用するのである。
 山尾議員は国会の質問でそのブログを取りあげる直前、安倍首相があるところで述べた言葉をフリップで示しながら、執拗に攻撃した。テレビ画面に映ったフリップでも明らかなように、安倍首相は何も非常識なことを言っていない。それを曲解し、安倍首相をまるで愚者であるかのように攻撃した。
 私は山尾議員をなんと読解力のない人だろう、あるいは、何の教育も受けていない人ではないのか、と哀れに思って、インターネットで彼女の経歴を調べた。すると、東大法学部を卒業していたということが分かり、二度驚いた。
 こういう国会での質疑応答を見ていると、国会での議論など税金の無駄遣いではないのか、また、山尾議員のような揚げ足とりしかできない無能な議員などすぐ辞めさせるべきではないのか、と、言いたくなる。