昭和天皇が亡くなる直前のマスコミと菅包囲網

 このブログはある理由のため、しばらく休むつもりでいたのだが、朝日新聞の秋山惣一郎記者の菅批判があまりにも狂った代物だったので、黙っていることが不可能になり、思わずその菅批判について書いてしまった。書いてしまうと、もはや菅擁護の気持は押さえきれず、自分でもブログを休めなくなって困っている。
 なぜこんなにメディアの菅批判が私にとって不愉快なのか。答ははっきりしている。それはその菅批判が、丸山真男のいう「たこつぼ」あるいは日本的集団主義がわが国に相変わらず根強く存在していることを露骨に証明しているからだ。「たこつぼ」は悪の温床である。その「たこつぼ」のために先の戦争で日本は破滅の一歩手前まで突き進み、今も無数の排外主義者を生み出している。そんな危険なものを認めるわけにはゆかない。
 今回のメディアによる菅包囲網は私に昭和天皇が亡くなる直前のメディアを思い出させた。あのときいつもは軽薄な番組を垂れ流していたテレビも自粛し、天皇の御容体いかに、という心配そうな顔のアナウンサーが次々に画面に現れた。テレビで、あはは、と笑ったりしたら、これ、何を不謹慎な、と叱られそうな雰囲気だった。今回もそのときと同じように「みんなそろって」という調子だったが、天皇が病気になったときと少し違ったのは、関口宏や玉川徹が言葉少なにではあったが、菅首相がなぜ辞めなければならないのか、と言ったことぐらいか。私の知るかぎり、関口や玉川以外のワイドショーの司会者やコメンテーターは、口をそろえて菅首相は即刻やめるべきだと合唱するか、同罪だが、菅首相の件については沈黙を守っていた。関口や玉川が今後テレビから追放されないことを祈っている。
 これまで述べてきたように、私自身は菅直人菅内閣も高く評価している。もちろん衆参のねじれ現象と小沢・鳩山一派と仙谷由人たちの干渉のため、思うとおりに活動できなかったのは事実だが、自民党時代の内閣とは次元の違う国民の側に立った政策を次々に打ち出せたと思う。それなのに、朝日新聞は「菅内閣が総辞職」(2011/8/30夕刊)という、人目につかない短い記事で菅内閣の最期を見送っている。まるで、早く退場してくれ、菅内閣は存在してはいけなかった内閣である、というような書き方だ。救いは、そこで紹介されている与謝野馨経済財政相の次の言葉だけだ。与謝野は菅首相について「世間で言われている人間像とはおよそ違うものがある。政治家としての努力に私は深く感謝している」と述べている。私は与謝野のこの言葉が菅内閣のすべてを言い表していると思う。
 朝日は大震災と原発事故に文字通り死にものぐるいで対応してきた菅内閣に、ひとことも、ご苦労様でした、と言わない。私はその理由が知りたい。これまでさんざん菅直人の悪口を言ってきたから、いまさらそんなことは言えないということか。不公正なことだ。社会の公器とは言えない。