小林秀雄とお光さま

小林:「さっき、僕のおっ母さんは天理教だと言ったろ。それがね、晩年、病気になってから、お光さま(世界救世教のこと)に転向したんだ。それだから、僕もお光さまになった。」(中略)
小林:「お袋は医者も薬も軽んじていたが、晩年はもうお光さまのおさすりしか信じなくなったんだ。そいで僕は、お光さまに入門することにしたんだ。東京に通って免状を取ったんだよ。お光さまを首から胸に下げてね。お袋が死んじまえば、無用の長物だから捨てちまったがな。だけど、僕の経験からすると、インテリの好きな、迷信だという言葉は内容を欠いた空虚なものだな。」
これは小林が73歳のときの今日出海との対談の一節。こういう言葉や柳田国男の「山の人生」について述べた言葉──炭焼きの男が困窮のあまり、子供を二人とも殺してしまう話についての小林の言葉──などを読んでいると、小林に親近感を覚える。また、このような彼の言葉が天皇を認める言葉と地続きのものだということも分かる。しかし・・・