ドストエフスキー占い 

ドストエスキーやバッハは神が創造したものを「保存」しただけだ(ドストエフスキーの「創造」)というようなことを書くと、「萩原もとうとう神がかりになったか」と呆れる人が出てくるかもしれないので、ちょっとひとこと。
 バッハが神の創造したものを「保存」しただけ、というのは、バッハにある程度親しんでいる人なら、すぐ分かるだろう。これについては、たとえば、バッハ演奏家鈴木雅明などがいつも言っていることだ。
 一方、ドストエフスキーについてはどうか。あまりそんなことを言う人はいないように思う人がいるかもしれない。そんなこと、萩原が勝手に言っているだけだ、と言う人がいるかもしれない。しかし、たとえば、バフチンドストエフスキー論はどうか。バフチンが何度も強調しているように、ドストエフスキーポリフォニー小説では、作者は作者自身の「わたし」をできるだけ消滅させようとしている。なぜ消滅させるのか。それはもちろん作品の中に「わたし」という自分の痕跡をできるだけ残さないためだ。というより、ドストエフスキーにはそのような書き方しかできない。繰り返し言ってきたことだが、ドストエフスキーは根っからキリスト教徒なのだ。彼はベリンスキーに出会って神を失いそうになったときも無神論者にはなれなかった。ドストエフスキー自身、どう思っていたにせよ、結果として、彼の書いた作品では彼自身の「わたし」はほとんど消滅している。つまり、ドストエフスキーは神が創造したものを「保存」しようとしているのだ。
 そんなことを言っても、それはたんに小説の形式だけではないか、と言う人が現れるかもしれない(何だかドストエフスキーみたいな喋り方になってきた。)。そんなことを言う人は、どうか、私の「ドストエフスキーの壺の壺.pdf 直」という論文を読んでほしい。ドストエフスキーの小説を読む人は、神の前で懺悔している者のようになるのだ。つまり、読者は自分の「正体」をドストエフスキーの小説の前で明らかにしてしまう。
 たとえば、自分はキリスト教徒だと常々言いふらし、自分でもそう思いこんでいる人物が、ドストエフスキー無神論者だと言えば、その人物は自分の無神論者としての姿を世間に明らかにしてしまう。
 また、『悪霊』を読み、マトリョーシャが折檻されて性的喜びにうちふるえているとか、『カラマーゾフの兄弟』のグリゴーリーは、行いすましているけれど、じつはどうしようもない助平だ、という風なことを言う人物がいるとしよう。そんなことを言う人物は、ドストエフスキーを論じながら、問わず語りに、自分のサディストとしての性的指向を、さらに、自分が性欲を持てあましている助平だということを世間に公表しているのだ。
 こんなことになるのは、「ドストエフスキーの壺の壺」で述べたように、ドストエフスキーポリフォニー小説ではプロットに穴が開いているからだ。その穴を埋めるとき、読者の「正体」が暴露される。要するに、ドストエフスキーの小説は、坐って読めばぴたりと当たる占い、自分にも分からない自分の正体が分かる占いみたいなものなのだ。だから、自分の正体を知られたくない人はドストエフスキーについて論じてはいけない。

 ところで、もうすぐ定年になるので、私は自分が昔書いた論文を廃棄しているのだが、若書きではあるが捨てがたい論文もある。そこで、それを少しずつスキャンして、PDFファイルをブログ内に保存してゆこうと思う。紙が劣化していて、スキャンするとますます読みにくくなるが、物好きな人は印刷などして読んで下さい。読めないことはないと思う。
 まず、「『貧しき人々』と隠された欲望.pdf 直」という論文は、今から20年前に書いたもので、マルクス主義ジラール理論で徹底的に批判している。このため、日本共産党の人たちからずいぶん攻撃された。この論文で初めて私は「ドストエフスキーの壺の壺」でも述べている、ポリフォニー小説のプロットには穴があるという事態について述べている。
 掲載した『むうざ』は日本共産党シンパの法橋和彦が編者代表になっている雑誌で、今も出ているが、当時は、小野理子や木村崇というような日本共産党シンパの人々が中心になって出していた。いま当時の名簿を見て驚いたのだが、亀山郁夫の名前もある。昔は亀山とも仲良くやっていた。
 次に、「ゴーゴリとファラレイ.pdf 直」という論文はじつに30年近く前のもので、これを書いた頃、私は離人神経症が直りきっておらず、苦しんでいた。垂水の神戸商大で授業中、なぜか窓ガラスをたたき割って、手首を深く切り、病院に運ばれたこともある。文章が少し変なのはそのためだ。当時、大倉山に図書館があったので、それを利用するため、神戸大倉山下のナメクジの出る安アパートにいた。まだハイハイしていた娘がナメクジを口に持ってゆくので困った記憶がある。この論文を読んだ作田啓一が自分のやっていた「分身の会」に来てくれと言ったので、それ以来「分身の会」に入っている。作田は変なやつが来たと思って驚いただろう。