続・「謎とき」シリーズがダメな理由(1)

はじめに

 前回掲げた学生用配布資料「スタヴローギンと「広い心」」はあくまで私の講義ノートの一部であり、じっさいの講義ではそのノートに対して口頭で補足を行いながら講義をすすめる。前回掲げた配付資料に欠けているのは、なぜスタヴローギンが善悪の区別もつかない根無し草(死産児)になったのかについての説明であり、もうひとつ欠けているのは、なぜスタヴローギンはポリネシアの「マナ」のような能力を身につけているように周囲の人間に思われたのかについての説明である。講義では口頭で詳しく行うその説明を、今は簡単に述べておこう。
 前者については、このブログの「カナリアとしてのドストエフスキー論」以降の文章でおおよその理由は述べた。要するに、スタヴローギンは中間集団で生きるという経験をほとんどもたないまま大人になってしまったのだ。彼はもっとも重要な中間集団である家族さえももたなかった。いや、彼にも家族はあることはあった。しかし、彼がもつことができたのは、ドストエフスキーのいう「偶然の家族」だった。彼は父親を早くに亡くし、一人っ子として母親とも心のつながりがほとんどないまま成長した。その母親によって父親代わりにあてがわれたのが家庭教師のステパン先生だった。この無神論者で死産児そのもののステパン先生がスタヴローギンに無神論をたたきこみ、スタヴローギンを完璧な死産児に育て上げたのだ。
 「カナリアとしてのドストエフスキー論」以下の文章で述べてきたように、私たちのモラルを形成するのは、家族をはじめとする中間集団が保存し成員に伝える常識(コモン・センス)、言い換えると、「これだけはしてはならない」という暗黙のモラルだ。革命以前のロシアでそのモラルはキリスト教信仰を核にして作られてきた。そのモラルを家族、拡大家族(親戚や使用人など)、地域集団、職能集団などの中間集団が保存し、それぞれの集団の成員に伝えてきたのだった。そのいずれの集団をも経過しなかったスタヴローギン少年は、その仕上げとして死産児であったステパン先生の薫陶を受け、完璧な死産児へと育てられたのだ。
 ところで、後者の、スタヴローギンがなぜポリネシアの「マナ」のような能力を身につけているかのように周囲の人間に見られたかについては、ルネ・ジラールの模倣の欲望の理論を用いて説明できる。現在ではこれがもっとも説得力のある説明だと思う。これについては今から二十六年前に書いた拙稿「「おとなしい女」補遺.pdf 直」で述べた。基本的な考えは今も変わっていない。従って、スタヴローギンがカリスマ性を帯びた理由については、その論文を読んで頂きたい。要するに、フロイトのいう「無垢のナルシシズム」に満ちた存在(たとえば、猫のような女)は、他者を誘惑し惹きつけるのだが、この「無垢のナルシシズム」によるフロイトの説明は間違いで、それは「模倣の欲望」の一種にすぎないというのがジラールの意見だ。ジラールによれば、スタヴローギンも猫のような女と同様、模倣の欲望を周囲の人々にかき立てるのである。
 さて、以上で「スタヴローギンと「広い心」」の補足説明を終え、これから江川卓亀山郁夫の「謎とき」シリーズがドストエフスキー論として無意味である理由をさらに詳しく述べてゆこう。
 先に森有正の「霧の朝」というエッセイを引用しながら述べたように、森有正の作品全体がその作品の美を定義しているという考えに間違いはないと思う。ここで美というのは、たんに美しいということを指すのではなく、「ある作品全体によって定義されているある事態」と言い換えてもいいだろう。いずれにせよ、その「美」あるいは「ある事態」が私にとって無意味なものであるとき、私はその作品を受け入れない。また、それを美しいとも思わない。私が受け入れることができるものは、たとえそれが一般的には醜悪なものだと思われているものであっても、そこに真実が現れている場合、私はそれを美しいと思う。
 たとえば、島尾敏雄の『死の棘』はそこで描かれた事実だけから見れば醜悪な小説だろうが、同時にそこでは人間の真実が描かれていることも明らかだ。このため、私はそれを善いことであると同時に美しいものであると思う。プラトンがそのイデア論で述べた真善美一体論(「真なるものは善であり、善なるものは美である」という主張)は、覆されることのない永遠の公理であると思う。
 要するに、私たちの指紋がひとつひとつ異なっているように、作品が定義する美もそれぞれ異なっている。たとえば、ドストエフスキーの『悪霊』が定義する美と川端康成の『山の音』が定義する美は大きく異なっている。しかし、この二つの作品を私はどちらも美しいと思う。これはその作品全体が定義するある事態を私が美しいと思うからだ。
 この当然といえば当然すぎるこの論理が、私の「謎とき」シリーズを批判する出発点になる。この論理は、先の「カナリアとしてのドストエフスキー論」以下「なぜドストエフスキー論はカナリアなのか」を含む後続の七つの文章、またそれに続く「「謎とき」シリーズがダメな理由」の六つの文章をも貫いている。以下でも同じように、その論理を貫きながら、江川・亀山コンビのドストエフスキー論を批判してゆくことになる。