「リアリティ」とは何か(1) 

 またもや同じ文章を引用する。5月3日のブログの冒頭で、私は次のように書いた。

『ステパンチコヴォ村とその住人』を書いていた頃、ドストエフスキーは自尊心の病というものに強い関心をもっていた。しかし、自分がその病に憑かれていることに気づいていたか、ということになると、それは疑わしい。なぜなら、フォマー・オピースキンの意識は『地下室の手記』の主人公のように分裂していないからだ。フォマー・オピースキンは明らかに『地下室の手記』の主人公の前身だが、フォマーは自分の正しさを疑ってはいない。作者の経験は作品の登場人物において反復される。従って、ドストエフスキーフォマーのように自分の自尊心の病に気づいていないと見るべきだ。

 この文の「フォマー・オピースキンの意識は『地下室の手記』の主人公のように分裂していない」という事態については前回説明した。
 しかし、「作者の経験は作品の登場人物において反復される。」という箇所はどうだろう。ここで私は文学作品における「リアリティ」のことを述べているのだが、分かりにくいかもしれないので説明を加えておこう。というのも、私にはこの「リアリティ」とは何かが分からなくて、十年ほど、悩んでいた時期があるからだ。こういうことで悩むのは私ひとりのことではないと思うので説明しておきたい。
 また、リアリティとは何かが分からないと、ドストエフスキーポリフォニー小説におけるリアリティを明確に論じることも不可能になるだろう。つまり、リアリティとは何かが分からないと、私の持論、「モノローグ小説においては、読者の読みは類似のものである可能性の方が高い、つまり、読者にとって類似のリアリティが存在するのだが、ポリフォニー小説においては、「ドストエフスキー占い」でも述べたように、「読者によってそのリアリティはひとつとして類似のものがない」というような持論を理解してもらうことが不可能になるだろう。だから、リアリティについて説明しなければならない。
 といっても、この「リアリティ」という言葉はとくに理解がむつかしいわけではなく、昔小説を書いていた連中がよく使っていた言葉で、「君の描く女、ぜんぜんリアリティがないよ」という風に使っていた言葉だ。そんな風に言われると小説家志望の青年は憮然とし、「女で苦労しなきゃな」などと思って、やみくもに女性に追いすがって、ふられる、という風な悲劇が繰り返されていたのである。
 このような事情を中村真一郎は次のように述べている。

 女が描けなければ一人前の作家ではない。──そういう風の基準が、小説の玄人の人たちのなかにある。たとえば高見順氏は、そういう意見を何度も筆にしている。最近、ある座談会で安岡章太郎に会った時、やはりそうした話題になったら、安岡さんも同感の意を強く表明した。ばかりでなく、同座の円地文子さんまでその意見に賛同したので間誤ついた。(中村真一郎、「女が描けるかどうか、また、どのように描けるかということなど・・・」)

 こう言いながら、中村は女が描けるかどうかなどどうでもいいんだ、という結論に至る。

 実際、「女を描く」といっても、現実の女は限りのない変種を見せているし、女を見る見方も無限であろう。また女への意味付けも、古来からあらゆる方向になされている。女は神である、母である、悪魔である、人間の雌である、美の象徴である、永遠なるものである、人間以外の何者かである、嫉妬の化身である、浮気そのものである、音楽である・・・(同上)

 要するに、中村真一郎によれば、誰でもそれなりに女性を描いているのである。従って、女性が描けるかどうかを一人前の作家たる基準であるかのように言うのは乱暴きわまりない、ある作家を一人前と見なすか見なさないかの基準は別にあるのだ、と述べているのである。
 たしかに中村真一郎の言う通りだ。たとえば梶井基次郎の作品に女性は殆ど出てこないが、彼は一人前以上の作家だ。他にも探せば梶井のような例は見つけられるはずだ。
 従って、「女が描けるかどうか」というような些末な問題ではなく、そもそも文学作品においてリアリティのある描写とは何かという問題を解明しなければならない。というようなことを、あたかも天下の重大事みたいに思いこみ、若い日のあるとき、私はこの「リアリティ」という言葉の意味を徹底的に明らかにしてみようと思ったのである。
 そこで、『たうろす』に「ゴーゴリとワイルドのキャンプ──文学と同性愛について」という題で連載論文を書き始めたのだが、書いても書いても、次から次に分からないことが出てきて、終えることができなくなった。結局、途中中断したりしながら、1981年から1992年まで毎回400字詰め原稿用紙で40枚から50枚ほど、つごう8回にわたって書いた。2回目の注として書いた「「おとなしい女」補遺」も入れると全部で9回になる。
 なぜ「ゴーゴリとワイルドのキャンプ──文学と同性愛について」という題で書いたのか。その理由を説明しておこう。
 私は高校生の頃、ドストエフスキーの作品、とくに『カラマーゾフの兄弟』を読み、もういま世界が滅んでもかまわない、と思うぐらい感動し、そのためだろう、大学に行く気にならなかった。また、進学校に行っていたため受験勉強にはうんざりしていた。もう「お勉強」はかんべんしてほしいと思っていた。そして、石屋の見習いなど、いろいろ回り道をしたあげく、結局、ドストエフスキーをロシア語で読みたいと思い、大阪外大のロシア語学科に入ろうと思った。そこで、神戸外大のロシア学科に行っていた人に相談すると、驚いたことに、大阪外大のロシア文学の先生はほとんど日本共産党シンパだという。その人の意見では、ドストエフスキーをやるのには不都合だろうということだった。私もマルクスが宗教は阿片だと言っていることぐらいは知っていたので、大阪外大に行くのはあきらめた。結局、大阪外大に入らなくてよかったと思っている。のちに大阪外大には武藤洋二のような立派なロシア文学者もいることを知ったが、当時大阪外大に入っていたら、私は代々木系の教師にいじめられて退学していただろう。また、東京の外大などに行くのは、貧しい私には論外だった。
 ところで、神戸外大に入ったはいいが、当時は全共闘が一世を風靡していた時代で、大学に入っても授業はなかった。校舎が全共闘学生によって封鎖されたのだ。自尊心の病に憑かれていた私には全共闘のいう「自己否定」が理解できず(彼らにしても理解していたかどうか怪しいものだが)、下宿に引きこもって本ばかり読んでいた。そのさい、ドストエフスキーも図書館から米川の全集を借り出し読み返した。しかし、いざじっくり読んでみると、分からない。高校生のときは初めて読んで逆上し、分かったつもりになっていただけだろう。とくに『カラマーゾフの兄弟』が何度読んでもよく分からなかった。分からないという程度のことではなく、まったく歯が立たなかった。
 今から思えば、分からなかったのは、私自身、自尊心の病に憑かれていたためなのだが、自分では何が何だかわけが分からず、これでは何のために外大に入ったのか分からなかった。青年の心というものはもろいものだと思う。生きる目的を失いやけくそになっていたとき、小川正巳に誘われて『たうろす』に入って小説を書きはじめた。
 当時、関西にドストエフスキー研究者はいなかった。私が知らないだけで、いたのかもしれないが、少なくとも大学でロシア文学を教えている教師の中にはいなかったので、ドストエフスキーを教えてもらおうにも教えてくれる人がいなかった。
 これは困ったと思い、しかし、ドストエフスキー研究だけは続けたいと思い、働きながら大学院の修士課程に入ると、ドストエフスキー周辺の作家、ドストエフスキーの先生であったゴーゴリドストエフスキーのライバルであったサルトゥイコーフ=シチェドリーンなどの「お勉強」を始めた。ドストエフスキーが分かるようになるまで、ロシア語だけでも読めるようになっておこうと思ったのである。ゴーゴリを研究している人はかなりいたので、人があまり研究していないサルトゥイコーフ=シチェドリーンに的を絞った。
 このサルトゥイコーフという作家はドストエフスキーの論敵で、農奴制に反対する、「ロシアのスィフト」と呼ばれた諷刺作家だった。彼の初期の作品はともかく、後期の作品はひとつ残らず解読困難な代物で、それは検閲官を煙に巻くためイソップ言語で書かれていたからだ。ロシア語を勉強しようと思っていた私にはうってつけの作家だったわけだが、それにも拘わらず、苦労して解読した内容が、金太郎飴みたいに同じ(要するに帝政ロシアの政治体制に反対する内容)なのには閉口した。もちろん、帝政ロシアを否定するソ連の御用文学者にとっては神のような存在で、当時、レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)にはその名を冠せられた国立「サルトゥイコーフ=シチェドリーン」図書館というものまであった。
 結局、私はサルトゥイコーフに対する積年の恨みの集積とも言うべき長大なロシア語文の修士論文で、サルトゥイコーフの作品とその作品を無批判に賞賛していたソ連の御用文学者を徹底的にこきおろした。このため、指導教授の小松勝助をうろたえさせ、副指導教授でモスクワ大学から交換教授で来ていた、漱石研究家のリャープキン教授を激しく苦しめることになった。リャープキン教授は「嫌いな作家なら論じるな!」と、文字通り禿げ頭から湯気が出るくらい怒ったが、小松勝助がとりなしてくれ、ことなきを得た。しかし、この修士論文を書くことによって、もうそれきりサルトゥイコーフ=シチェドリーンとは縁を切った。
 ところで、私のもう一人の研究対象であったゴーゴリだが、このゴーゴリ研究のため、私は「ゴーゴリとワイルドのキャンプ──文学と同性愛について」という論文を書くことになる。
 私は小川正巳にオダサクみたいになれ、とそそのかされて下らない小説を書いていたのだが、小説のことをもっと知りたいと思い、十代後半から続いていた乱読に拍車がかかり、大学院に入った頃は悪夢のような乱読状態に陥っていた。
 その中で、面白いことは面白いが、どうしても腹の底からをリアリティを感じることができない一群の作家がいた。それがたとえば三島由紀夫オスカー・ワイルドジュリアン・グリーン、多田智満子が訳していたユルスナールなどの同性愛者作家だった。
 また、ロシアの作家でも、ゴーゴリ選集をずっと読んでゆくと、未訳の「別荘の夜」というゴーゴリ自身の同性愛を告白するような作品があり、これはゴーゴリの「友人との書簡選」より気味の悪い、私にとってはまったくリアリティのない作品だった。そのような作品以外のゴーゴリの作品は高校生の頃から愛読していたので、これはいったいどういうことなのかと悩んだ。
 また、小説ではないが、たとえば、『自転車泥棒』や『道』を見たときには腹の底から感じたリアリティを、同性愛者のヴィスコンティパゾリーニの映画を見て感じることはなかった。ところが、ヴィスコンティパゾリーニの映画を礼賛する人は私のまわりに多かったのである。
 これはいったいどうしたことか、自分の感受能力に欠陥があるのか、同性愛者作家の作品でも良いものは良いはずではないのか、と悩んでいたあるとき、アメリカのスーザン・ソンタグという文芸批評家が同性愛者による芸術作品の特徴を「キャンプ」と名づけて論じているのを知った。このため、私もその「キャンプ」という言葉を使って「リアリティ」とは何かということを解明してみようと思ったのである。これが「ゴーゴリとワイルドのキャンプ──文学と同性愛について」という題名の由来だ。
 連載は十年以上続いて、突然終わってしまった。これは、連載の5回目あたりで「文学におけるリアリティとは何か」の答が理論的に分かってしまったため、それ以上惰性で続けてゆくことが苦痛になってきたからだ。6回目以降は連載の5回目に出した結論をゴーゴリやワイルドに当てはめながら説明してゆくつもりだったのだが、そういう答の分かったことをなぞってゆくような行為は私には不可能だった。また、そういうのんきな行為は許されない状態だった。妻子を抱えた私は赤貧の生活から抜けださなければならなかった。こうして、そのキャンプ論と私は縁を切ったのである。
 私がそのキャンプ論で得た答とは何か。その答が分かったときの「ゴーゴリとワイルドのキャンプ──文学と同性愛について(5)」([file:yumetiyo:ゴーゴリとワイルド(5).pdf])をスキャンしてみよう。これも古いものなのでスキャンするとますます印刷がうすくなって読みづらいものになるが、幸運にも、いまの説明に必要な9頁目あたりは比較的鮮明だ。
 この連載の5回目では、「女が描けるとはどういうことか」について集中的な議論をし、それから「リアリティ」の意味を理論的に解明している。この理論的説明は9頁目に引用した竹内成明の作った次の数式に依拠している。

(A+B)e=Ae+Be
(A+B)f=Af+Bf

 話が長くなりすぎたので、次回に亀山批判をこの数式を使って行うことにする。