自尊心の病

 「自尊心の病」というのは、私が授業や論文でドストエフスキーの思想を説明するときもう三十年近く使っている言葉で、とても重要な言葉だと思っている。「自尊心の病」とは何か。それは、自分の「自尊心」あるいは「肥大した自尊心」に気づかないということだ。つまり、「自尊心」(エゴイズム)の延長上に「肥大した自尊心」があり、両者は基本的には同じもので、そのような自尊心に憑かれた自分に気づかない者を「自尊心の病に憑かれた者」と私は呼んでいる。このことについては、当ブログの「金啓子様に」で簡単に述べた。しかし、もう少し詳しく説明しておこう。なぜなら、私はドストエフスキーの思想を説明するときだけではなく、亀山郁夫批判を行うときも、この「自尊心の病」という言葉を繰り返し使うことになるからだ。
 この言葉を思いついたのは、『地下室の手記』を読んでいたときだ。
 肥大した自尊心に憑かれた『地下室の手記』の主人公は小説の末尾で次のようにいう。

わたし自身のことを言えば、諸君が半分も追いつめて考える勇気のなかったことを、わたしはわたしの人生においてぎりぎりのところまで追いつめて考えただけだ。まあ諸君など、自分を欺きながら、自分の臆病さを良識と取り違え、自分を慰めているだけだ。

 じつに傲慢な言い方で腹立たしく思う読者もいるかもしれないが、ここで怒ってはだめで、これは彼の言う通りなのである。つまり、私たちの誰もが自尊心の病に憑かれたエゴイストなのに、そのことにまったく気づいていないか、気づいても気づかないふりをしているだけなのだ。このことを認めないと『地下室の手記』以降のドストエフスキー、それこそ本当のドストエフスキーなのだが、そのドストエフスキーが分からなくなる。つまり、私たちの誰もが自尊心の病に憑かれたエゴイストだということを認めないと、キリスト教においてもっとも重要な「砕かれた心」(パウロ)もルネ・ジラールのいう「模倣の欲望」も分からなくなり、結局、ドストエフスキーの後期小説群が分からなくなる。これについてはこれまで「わが隣人ドストエフスキー」(『論集・ドストエフスキーと現代』所収)、当ブログの「不正」で紹介した二つの論文、「ドストエフスキーとヴェイユ.pdf 直」、「ドストエフスキーと二つの不平等.pdf 直」などで書いてきたので、詳しくはそちらを見てほしい。
 それでは、ドストエフスキーはいつ自分が自尊心の病に憑かれていると気づいたのか。『地下室の手記』の主人公の先に引用した言葉から分かるように、ドストエフスキーが『地下室の手記』を書いていた頃、そのことに気づいていたのは明らかだ。「ドストエフスキーヴェイユ」で述べたように、『地下室の手記』の主人公の自尊心はリーザという売春婦に会うことによって砕かれる。砕かれて初めて、彼はそれまで自分が自尊心の病に憑かれていたことに気づく。砕かれなければ気づかなかっただろう。
 従って、「ドストエフスキーヴェイユ」で述べたように、『地下室の手記』を執筆していた頃、ドストエフスキーの回心への道も開かれたのだ。なぜ自尊心が砕かれると回心への道が開かれるのか。それは自分を何者かであると思う自尊心がなくなり、自己が無に近づくからだ。それは自分を創造した造物主に一歩近づく、あるいは、その造物主とひとつのものになろうとする運動に他ならない。「ドストエフスキーヴェイユ」で紹介したように、このような事態をシモーヌ・ヴェイユは「脱創造」という言葉で説明している。
 ちなみに、「わが隣人ドストエフスキー」で述べたことだが、ドストエフスキーの回心は一挙に完成したのではなく、遺作となった『カラマーゾフの兄弟』まで少しずつ進展し深まってゆく。言うまでもないことかもしれないが、回心という事態には一挙に完成するものもあれば、ドストエフスキーの回心のように徐々に進行するものもある。これについてはすでにウィリアム・ジェームズの『宗教的経験の諸相』という有名な研究があるので、それを参考にして頂きたい。
 では、ドストエフスキーはいつ頃、自分の自尊心の病に気づきはじめたのか。正確な時期は分からないが、少なくとも『ステパンチコヴォ村とその住人』(1859)を書く頃までに、ドストエフスキーは気づきはじめていたはずだ。これについては、すでに挙げた三十年前近く前に書いた論文「ゴーゴリとファラレイ.pdf 直」で述べた。いまその論文から引用しておこう。ここで私がいう「フォマー」とは、ドストエフスキーゴーゴリをモデルにして造り上げた『ステパンチコヴォ村とその住人』の主人公フォマー・オピースキンのことだ。

 ドストエフスキーフォマーのこのような異常な主観性──常に自分の枠内にとどまってサド=マゾ・プレーを演じたり判断したりする傾向──の生じた原因を彼の生活環境にみる。
 「例えばこんな人間を想像したまえ。まったく下らなくて、きわめて度量が狭く、この社会の落ちこぼれで、誰にも必要でなく、何の役にも立たず、汚らしい、しかし、とてつもなく自分自身を愛していて、おまけに、この病的にいら立っている自己愛に根拠を与えてくれる何かの才能をこれっぽっちも持ち合わせていない、そいういう人間を。(中略)これら運命に虐げられた放浪者や、あなた方の飼っている道化や白痴めいた者の中には、その自己愛が運命に押さえつけられることによって消え去るどころか、かえって押さえつけられたために、また道化や白痴のふりをして他人の家の厄介になり、死ぬまで他人の言いなりになって、自分というものを発揮できないがために、その自己愛を一層つのらせる者もいるかもしれないのである。そして、この醜く成長してゆく自己愛は子供のころ初めて、貧困や生活の苦しさ醜悪さのために傷つけられ歪んだのかもしれないし、或いは、この未来の放浪者(フォマー・オピースキンのこと:萩原)の両親が子供である彼の目の前で他人に唾を吐きかけられたがためであるかもしれない。」
 「偽りの自尊心」(ロシア語そのままを訳せば「自らの価値に対する偽りの感情」)や「病的にいら立っている自己愛」は、環境のために生じたのかもしれないとドストエフスキーは類推するのであり、このような「偽りの感情」がフォマーを、相手の立場を考えず説教したり、相手の人となりをまったく理解せず、無闇と非難するといった態度に駆り立てていると見るのである。なるほど、ゴーゴリは風采の上がらぬ小男であり(以下、引用省略)。

 この「ゴーゴリとファラレイ」という論文で私は、ゴーゴリをモデルにしてフォマー・オピースキンという人物を描いたドストエフスキーの真意を探りながら、ドストエフスキーがどのようにして自分の小説の師であるゴーゴリを乗り越えて行ったのかについて論じている。同時にこの論文では「偽りの自尊心」という事態についても論じている。言うまでもなく、「偽りの自尊心」とは、自分の「自尊心の病」に気づいていない者がもつ肥大した自尊心のことだ。
 この論文で明らかにしたように、『ステパンチコヴォ村とその住人』を書いていた頃、ドストエフスキーは自尊心の病というものに強い関心をもっていた。しかし、自分がその病に憑かれていることに気づいていたか、ということになると、それは疑わしい。なぜなら、フォマー・オピースキンの意識は『地下室の手記』の主人公のように分裂していないからだ。フォマー・オピースキンは明らかに『地下室の手記』の主人公の前身だが、フォマーは自分の正しさを疑ってはいない。作者の経験は作品の登場人物において反復される。従って、ドストエフスキーフォマーのように自分の自尊心の病に気づいていないと見るべきだ。
 以上から、ドストエフスキーの回心は『ステパンチコヴォ村とその住人』(1859)あたりが準備期間で、『地下室の手記』で完全に回心への道が開かれたと見るべきだ。