「日本教」の消滅(承前) 

 これまで述べてきたように、死産児の内面と現在の日本の状況は重なる。それは当然そうなるはずであり、日本人の多数派が死産児ということになれば、その死産児たちが生きている日本の社会は彼らの内面を反映したものになるからだ。この点についてあと少し述べるため、前回引用したルカの福音書をもう一度引用しておこう。

「・・・汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、帰って見ると、その家はそうじがしてある上、飾りつけがしてあった。そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。(ルカ:11.24-26)

 この箇所を私は以下のように解釈している。
 なぜ「汚れた霊」、つまり悪霊(あくれい)はいったん人から出て行ったのか。それは、その人に神への信仰があったからだ。しかし、それは自発的な信仰ではなかった。生まれてすぐ親から強制された信仰だった。そのため、大人になる過程で、その信仰は罪への誘惑によって容易に失われる。そして、あるとき、悪霊が再びその人(=「家」)のもとに立ち寄る。すると、そこにはかつて自分が入るのを妨げていた形だけの神への信仰さえ見当たらない。その人の心は空虚であり、人の欲望をそそるような飾りつけさえしてある。これはすばらしいと悪霊は喜び、仲間まで呼び寄せ、住みはじめる。こうして、その人の心は形だけの信仰があったときよりももっと悪くなる。
 なぜこのように私が解釈するのかと言えば、さまざまな宗教の枠を越えて、これが多くの信仰者のたどる道であると思うからだ。
 たとえば、ドストエフスキーもこの道をたどった。ドストエフスキーは母親に教えられたキリストへの信仰を、1845年、無神論者のベリンスキーと出会うことによって失う(拙稿「ドストエフスキーと二つの不平等.pdf 直」、p.7)。そしてその後、1864年、『地下室の手記』を書くまで、ドストエフスキーが死産児である状態は続くのである。この足かけ20年にもおよぶ信仰の空白期にドストエフスキーは革命運動に熱中し、ペトラシェフスキー事件に連座し、死刑を免れシベリアに流刑になり、その地の人妻(マリヤ)とその夫との三角関係に苦しんだあげく、マリヤと結婚し、皇帝の恩赦によってロシアに帰還すると、すぐ自分の作品の愛読者であった若い独身女性(アポリナーリヤ・スースロワ)と不倫関係に陥り、賭博にも熱中し・・・という風な、死産児の多くが経験する、まるで「すべてが許されている」かのような波瀾万丈の生活を送るのである。
 このような道を、たとえば私のような「日本教」信者もたどる。「日本教」というのはイザヤ・ベンダサンこと山本七平の命名によるもので、日本の伝統的な中間集団が保存し後生に伝えてゆく「宗教」のことだ。この宗教に司祭は存在せず、儒教、仏教、神道などあらゆる宗教が渾然一体となって日本教を形成している。山本七平は父親が内村鑑三の無教会派キリスト教を奉じていたので無教会派のクリスチャンだが、日本教徒でもあることを認めている。要するに、『日本人とユダヤ人』を始めとするイザヤ・ベンダサン名の著作によって、山本は日本教徒でありながらクリスチャンを名乗る自分のいかがわしさを痛烈に批判しているのだ。
 日本教信者に話を戻すと、また、他人のことはよく分からないので、私の個人的な経験に限定すると、私が生まれた昭和22年頃は敗戦直後ではあったが日本の伝統的な中間集団、つまり家族、拡大家族(親戚など)、職能集団、学校、地域の集団などにおける人のつながりは密であり、山本のいう日本教も健在だったように思う。いま簡単に述べるため具体的な例は述べないが、子供が何かしてはならないことをすると、家族だけではなく、学校ではもちろん、通りすがりの大人にもこっぴどく叱られたものだ。要するに、その当時の中間集団では山本のいう「これだけはしてはいけないこと」が何であるかということが明らかであり、それが子供に確実に伝承されていたのだ。
 しかし、私の場合、思春期になるにつれ、徐々にその日本教の不合理な面に気づくようになる。中学・高校の教師の多くがマルクス主義思想の持ち主であったこともあり、また、自分でも丸山真男森有正などの著作に出会うことによって、天皇制なども含む日本教から決定的に離れることになった。
 こうして私は無倫理の「すべてが許されている」という思想をもつ死産児になったのだ。このような思想をもつ死産児が身を寄せる中間集団は、当時、全共闘過激派のセクトしかなかった。しかし、それはまた、日本教と同様、あとで述べるような日本的集団につきものの不合理な要素をもつ集団でもあったため、死産児の私は適応できなかった。いま思い出しても、その死産児であったときほど苦しかったことはない。その結果、私は三十歳近くになって離人症という病気になって生死の境をさまようことになった。このため、死産児であったドストエフスキーの苦しみがほんの少し分かるのだ。私がこの死産児の状態から抜け出し日本教に回帰したのは、三十歳を過ぎてからだ。このような経験は私ひとりの経験ではないと思う。私と同世代の人々は類似の経験をしているのではないのだろうか。
 以上の誰にもあるような身の上話で私が言いたいのは、先のルカ福音書の話は真実だということなのである。日本教という宗教とも言えない宗教ではあるが、それが子供の頃の私が人の道を外れないよう守ってくれていたことは確かなのだ。長じたのち、その日本教を捨てた私の空虚な心に「悪霊」がしのびこみ、「すべてが許されている」とささやいたのだが。
 さて、以上述べてきたように、われわれが死産児にならないよう、われわれの心に「悪霊」が入ってくるのを妨げるもの、その歯止めあるいはモラルは、キリスト教圏においては神との契約によって作られ、日本においては中間集団によって作られるものであった。
 もっとも、キリスト教圏において神との契約によってその歯止めがつくられると言っても、その歯止めを保存し後の世代に伝えてゆくのはさまざまな中間集団(居場所)に所属する人間なのであり、これは日本と変わらない。たとえば、たとえキリスト教圏であろうが、あり得ないことではあるが、その中間集団の成員がみな無神論者であるとすれば、神との契約は伝達されない。そこでは無神論的な「すべてが許されている」という思想が後の世代に伝えられてゆくだけだ。「これだけはしない」という歯止めを伝達してゆくのは家族や地域集団などの中間集団だけなのだ。
 ここで誤解を避けるために、なぜ中間集団と言うのかについて説明を加えると、それは個人と国家のあいだに存在し、その両者を結びつける媒介のような働きをするので中間集団と呼ぶのである。この中間集団が失われると、個人は国家と直接向き合わなくてはならなくなり、個人は圧倒的に強大な力をもつ国家に直接支配されなければならなくなる。そのような事態になるのを防ぐのが個人と国家のあいだにある中間集団なのだ。従って、家族、学校、職能集団、地域共同体などのといった中間集団(つまり「居場所」あるいは所属集団)は個人とって必要不可欠なものだ。その居場所での人と人との信頼が失われるとき、その国家は、かつてのソ連ナチス・ドイツあるいは現在の中国や北朝鮮のような全体主義国家に近づく。このような全体主義国家では国家への反逆だけが禁止されているだけで、それ以外のことは「すべてが許されている」のである。今や多くの人が知るところとなったが、ソ連の収容所では、人肉食や強姦がなかば公然と行われていた。今も全体主義国家では同じことが繰り返されているだろうと想像がつく。
 ドストエフスキーが恐れたのは、このような全体主義国家の出現だった。これは彼の杞憂ではなく、その後のロシアの運命を見れば明らかだろう。
 宗教をアヘンと見るマルクス主義者たちによるロシア革命によって、中間集団の成員のうち、海外に亡命できる者は亡命し、ロシアに残った者のうちの二千万人(拙稿「熊の親切,ウサギの迷惑――レヴィナスとマルクス」、p.248)、失政による餓死なども含めるとそれに倍する数の成員がスターリンたちによって殺された。このため、キリスト教をその背骨とするロシアの中間集団のほとんどが破壊され、帝政時代の中間集団が保存し伝えていた伝統も破壊された。やがて、そのソ連も崩壊し、ロシアは再び資本主義の国になった。しかし、私は新聞や雑誌、それにインターネットなどで知るだけだが、まだ往時の倫理観は回復していない。私には今のロシアが「何でもあり」の「すべてが許されている」国のように見えるのだ。
 このようなロシアと、マルクス主義アメリカニズムという違いはあるにせよ、現在の日本が似た立場に置かれていることは明らかだろう。違いは、革命によって、ロシアの中間集団が一挙に破壊され、その集団が保持していたキリスト教的伝統も破壊されたのに対し、日本の中間集団では、米国の手になるキリスト教的な日本国憲法によって、中間集団が保存してきた日本教が徐々に破壊されてきたということだ。
 なるほど、そのキリスト教的な日本国憲法から見れば、日本教によって保存されている中間集団は、「たこつぼ」(丸山真男)、「「甘え」の構造」(土居健郎)、「二項関係」(森有正)といった悪を温存している集団であるかのように見えるだろう。それが「談合」や「八百長」などの不合理な悪をもたらす土壌になってきたことは明らかだろう。これはロシア帝国において、ロシア正教(ロシアのキリスト教)が悪としての農奴制ロシアを支え持続させるのに大きな役割を果たしてきたのに似ている。
 しかし、そのロシア独特のキリスト教思想がロシア人の道徳心を育て、それなりに暮らしやすい社会を作ってきたことも確かだろう。山本七平のいう日本教もまた同じだ。それは合理的な操作によってではなく、歴史によって作られてきたものなので、当然、不合理なものを含む。その不合理で不愉快な要素(「たこつぼ」、「甘え」、「二項関係」などと名づけられる特徴)を排除しようとすれば、日本教全体が排除されてしまう。なぜなら、その不愉快な要素は日本教全体と有機的に結合しているからだ。
 要するに、日本人をアメリカナイズすることによって、日本教を中間集団から追い出せば、先に引用したルカ福音書のような事態に日本が見舞われる可能性がきわめて高いのだ。いや、もうすでにそのような事態に見舞われていると見るべきだろう。まだ伝統的な中間集団が保存されていた時代に生まれた私の世代の者でさえ、死産児として放浪したのだ。生まれたときから家族などの中間集団さえ崩壊している時代に生まれた日本人が、生涯死産児として放浪する可能性はきわめて高いのだ。
 これまで述べたことを要約しよう。
 ルカ福音書でいう「汚れた霊」から日本の中間集団を守っていた日本教は、敗戦後、拘束着として押しつけられた米国製の日本国憲法によってしだいに影響力を失い、今や、ほとんど何の力も持っていない。電車の中で、堂々と化粧をする女性、大声で会話を交わす中年女性、着替えする若い女性、人前でポルノ雑誌や漫画を読む紳士・・・例を挙げるのも気が引けるほど、現在の日本では「すべてが許されている」。要するに、日本の中間集団が滅亡し、その中間集団を支えていた日本教も滅亡し、空虚になった日本の空間に、きらびやかな米国文化が花開いたのだ。このため、その空間に、「汚れた霊」がさらに悪い「他の七つの霊」を引き連れて入ってきたのだ。言い換えると、日本教が中間集団を「汚れた霊」から守っていたときよりも日本ははるかに悪くなっているのだ。私がこんな風に断定するのは、「すべてが許されている」という思想をもつ亀山郁夫ドストエフスキー論やドストエフスキーの翻訳が何の疑問もなく大衆に受け入れられているように見えるからだ。
(「カナリアとしてのドストエフスキー論」の項、終わり)
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