カミさんと「國松竜次ギターリサイタル2010──ORIGINAL & ARRANGEMENT」(午後2時ー4時半:学園前「アートサロン空」)。
【演奏曲目】
1)パガニーニの主題による狂詩曲(ラフマニノフ、國松竜次編曲)
2)3つのスペイン民謡(ファリャ、國松竜次編曲)
3)嘆き、またはマハとうぐいす(グラナドス、國松竜次編曲)
4)オリエンタルワルツ1〜3(國松竜次)
中休み
5)6つの日本の歌(赤とんぼ、あの町この町、浜辺の歌、ふるさと、月の砂漠、椰子の実)(國松竜次編曲)
6)チキリン・デ・バチン(バチンのちびっこ)(ピアソラ、國松竜次編曲)
7)エスクワロ(鮫)(ピアソラ、國松竜次編曲)
8)悲しみの街(國松竜次)
以下、アンコール
9)オブリビオン(忘却)(ピアソラ、國松竜次編曲)
10)禁じられた遊び(スペイン民謡、國松竜次編曲?)
11)アランブラの思い出(タレガ)
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収容人員50〜60名。満席。
リサイタルが午後2時に始まるというので悪い予感がした。
私は決して3限目(午後1時〜2時半)には講義を行わない。
なぜなら、午後2時になると学生が一斉に寝るから。講義にならないから。
人間は「睡眠、食欲、排泄、性欲、死」の摂理には逆らえない。昼飯を食べると、必ず、午後2時に眠るようになっている。だから、午後2時にコンサートを始めてはいけない。
悪い予感が的中する。
リサイタルが始まると、ひとりの老人が心地よさそうにいびきをかき始めた。誰も注意しない。静寂の中でのいびき。しかし、誰も注意しない。奈良の人はやさしいのか。
と思うと、そうではなく、まわりを見ると舟を漕いでいる人ばかり。つられて私も一瞬気を失う。前半の演奏曲目も眠気を誘う名曲ばかり。聴衆全体がもうろうとしたまま、わけが分からないまま、中休みに突入する。
私と同じ先生にギターを習っていた美女が来ていたので話す。美女:「(國松さん)らしくないわね」。私:「眠い」。
後半に入って國松氏が「赤とんぼ」などの童謡を演奏し始めると、それに和してひとりの「後期高齢者」が歌い始める。歌声喫茶を思い出したのか。わたしはあなたの歌声を聞きに来たのではなく、國松竜次のギターを聞きに来たのだと言いたいのだが、言えない。誰も止めない。奈良の人はやさしいのか。眠っているのか。
ギタリストの人生というものも文学の教師にまさるとも劣らないほど過酷だと実感する。
しかし、ついに魔の時刻の午後2時が遠ざかる。幸運なことに、疲れたのか、老人の歌声もかすれて聞こえなくなると、國松氏の演奏はしだいに冴えわたり、美女のいう「國松さんらしく」なる。
最後に自作の「悲しみの街」で聴衆は感動の渦に巻き込まれる。終了。拍手。拍手。アンコール、アンコール。
ところが、國松氏が「「オブリビオン」を弾きます」と言ったとたん、最前列にいた前期と後期のあいだほどの高齢者の男性が、「「禁じられた遊び」もお願いします」と叫ぶ。國松氏の顔が一瞬ひきつる。「オブリビオン」を弾く。素晴らしい演奏だった。リクエストに答えて「禁じられた遊び」も弾く。完璧だった。「禁じられた遊び」は易しそうで難しい。
終わったあと、國松氏のDVD(「國松竜次ギターリサイタル2008 in 大阪」)とCD(「フランシスコ・タレガ作品集」)を購入し、CDにサインしてもらう。「オブリビオン」の楽譜のことで少し話す。
タレガのCDを買ったのは、國松氏がこの前、京都薬科大学クラシック・ギター部「伴音会」にゲスト出演(と言っても1時間ほど演奏)したときのタレガに度肝を抜かれたからだ。初めて聞くタレガだった。語呂合わせにしてはぴったりの「ギターの聖フランチェスコ」と呼ばれたフランシスコ・タレガにふさわしい演奏だった。そう思って購入したのだが、その購入した「フランシスコ・タレガ作品集」のライナーノートに濱田滋郎が私が思ったのと同じことを書いていた。もう私の生きているあいだに國松竜次のようなギタリストは現れないと思う。健康と女難に注意してほしい。