ドストエフスキー研究者 松尾隆の評伝

 私が最近繰り返し読んでいる評伝について述べておこう。
 ひとつは『パリに死す 評伝・椎名其二』(蜷川譲、藤原書店、1996)で、これは私が定年になると大学図書館に戻さなければならない本なので、最近未練がましく読み返している。買えばいいのだが、引っ越し先に収納するスペースがない。
 この評伝は新聞の書評で知った。パリで森有正と親交があった椎名其二の評伝だ。森有正のことなら何でも知りたい私は、大学の図書館に納めるつもりで、「まあ、何か参考になるだろう」と軽い気持で購入した。
 しかし、読み始めると、これが「入魂の」という言葉がぴったりの評伝で、校費で購入したことも忘れ果て(いつもの習慣で、傷まないようカバーをかけて読んでいたので図書館のタイトルが隠れていた!)、書き込みをしたり、線を引っぱったり、頁を折り曲げたりしてしまった。幸運にも赤鉛筆ではなく黒鉛筆で書き込んでいたので、今はそれを消しゴムでごしごし消しながら読んでいる。
 この評伝のどこに惹かれたか。それはもちろん椎名其二のアナーキーな人物像に惹かれたからだが、それ以上に、筆者である蜷川譲の温かな筆致に惹かれたからだ。評伝というものはこうでなくてはならないというような、椎名其二への敬意にあふれた評伝だと思う。私は読みながら何度も泣いた。
 この評伝の中で描かれている森有正も私が思った通りの人物だった。
 また、この評伝で初めて知ったのだが、椎名其二は高田博厚などと同様、ロマン・ローランを尊敬していた人だった。私は高校二年の頃、ベートーベンをモデルにした小説だというので「ジャン・クリストフ」を読んだ。そのあと、憑かれたように、二、三年のうちに、ロマン・ローランのもので翻訳されているものはほとんど読んだと思う。この評伝には、ロマン・ローランの愛読者ならこういうもの(たとえば「老子」)を読み、こんな風に自由に振る舞うだろうな、と思うような記述が多くあった。抜き書きしたいと思う言葉がたくさんある評伝だ。
 もうひとつの評伝は、同じ著者の『敗戦直後の祝祭日 回想の松尾隆』(蜷川譲、藤原書店、1998)で、これは、先の評伝を読んで蜷川譲びいきになったので、また、ドストエフスキー研究者であった松尾隆(筆名・木寺黎二)のことも知りたいと思っていたので、新聞に書評が出ると、すぐ購入した。これも前作に劣らぬ出来の評伝で、今も繰り返し読んでいる。
 特に次のような松尾の言葉には腹の底から共感する。

 ドストエフスキーは典型的な文学青年です。ところが、トルストイツルゲーネフは、それを通っていないということ。それが自主的な文学と小市民的な文学ということの差異になる。文壇文学者ですから・・・。
 ぼくは、日本の批評家がいちばんきらいなのは、ドストエフスキーなんかを読む場合でも、ああいうものを読んで、やはりたんなる刺激剤、興奮剤にする。ちっとも、いわゆる主体的にドストエフスキーをとらえていないことです。これはヤッツケ批評の場合も同様だが、キェルケゴオルがいってるように、詩人と批評家はかみの毛一すじまで同じだが、ただ心に苦悩をもたぬのが違いだ、といってることね。またロレンスがある夫人に与えた手紙で、あなた方は自分のところに来て、自分を非常に異常な人物だといっている。しかし自分がいのちがけで探求したものをあなた方は興奮剤にして、よろこんでいる、あなた方はユダだ、裏切り者だと叫んでいますね。ああいう気持ちを、ドストエフスキーなんかも、日本の批評家を見たらもつんじゃないかと思うんですがね。たんに批評家ばかりじゃないが・・・。
 たんに教養としてドストエフスキーをつかんでいるような気が、ぼく非常にするんです。

 『敗戦直後の祝祭日 回想の松尾隆』は、『「カラマーゾフの兄弟」について』(本間三郎、審美社、1971)とともに、日本でドストエフスキーの小説を愛読する者が最初に読むべきもののひとつだと思う。(ただし『敗戦直後の祝祭日 回想の松尾隆』(p.232)の「このドストエフスキー二十八歳の処女作」は「このドストエフスキー二十四歳の処女作」の間違い。)

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 『敗戦直後の祝祭日 回想の松尾隆』(p.204)の「ゴンチャレンコ」も「ゴンチャローフ」の間違い。蜷川譲はロシア文学にはあまり詳しくないようだ。(2010/5/23)