ドストエフスキーが分からなかった頃

わたしはドストエフスキーを分かりたいと思い、神戸の外国語大学に入ったのだが、いくらたってもドストエフスキーが分からなかった。しかし、三十過ぎに離人症になったあと、分かるようになった。この「十字路で」という文章はその三十過ぎの頃を書いた文章だ。わたしはこのあとドストエフスキーが分かるようになった。それ以来、生きているのをつらいと思ったことがない。病気になったり人に裏切られたりしても、まあ、こんなものだ、と、思った。今もそれは同じだ。