もっとも少なく悪い安保法制

 私は先の安保法制をめぐる国会での与党と野党のやりとり、さらに国会を取り巻くデモをテレビで見ながら、この先、日本はどうなるのだろうと不安になった。そのことについて少し書いておこう。
 もっとも、安保法制のような問題について述べるときには、まず自分の政治的立場を明らかにしておく必要があるだろう。そうでないと、こいつは右翼か、あるいは左翼かなどと、要らぬ誤解を招くということになりかねないからだ。
 私に政治的立場などない、というのは冗談で、そういう人間はいない。誰もが政治的な利害関係の中で生きているので、なんらかの政治的立場をとらざるをえない。しかし、私にはっきり言えるのは、全体主義社会は御免だということだけだ。バフチンアーレントが理想とするような、自由な対話の可能な社会を私は求める。だから、単一のイデオロギーしか認めない共産党や右翼ファシズム政党を私は選択しない。だから、現在の日本は私の理想に近い。
 話が横道にそれるが、このブログでも書いてきたように、私は長い浪人生活をへて、五十近くになってようやく大学に定職を得た。そのときいちばん驚いたのは、大学では反体制的であることが善で、保守であることは悪であるかのような空気が流れていたということだ。
 これはソ連の狂気と長年付き合ってきた私としては非常に驚くべきことだった。エマニュエル・トッドは弱冠25歳でソ連の崩壊を予言し、『最後の転落 ソ連崩壊のシナリオ』(E・トッド、石崎晴己訳、藤原書店、2013)という論文を書いたのだが、私は、というより、私のようにソ連と長く付き合ってきた者なら、誰でも、ソ連が「近いうち」に崩壊するだろうという予感はあったはずだ。その「近いうち」が十年先であるのか二十年先であるのか分からなかったが、いつ崩壊してもおかしくないという予感はあった。ただ、トッドのようにソ連の乳児死亡率に注目して、その崩壊の時期をぴったり予言することはできなかった。しかし、私にしても、トッドがその論文で述べているようなソ連の惨状は、うんざりするほど承知していたのである。
 だから、反体制的であるということ、つまり、現在の日本ではマルクス主義に共感するということが反体制的になるということを意味するのだが、マルクス主義的に反体制的であることなど、私にとっては無意味以外の何ものでもなかった。しかし、くり返すが、私にとって驚くべきことに、大学には反体制を標榜し、マルクス主義に共感する研究者がかなりいた。この人たちはソ連がなぜ崩壊したのか知らないのだろうかと思った。
 言うまでもないことだが、マルクス主義というのは唯物論的なイデオロギーであり、イデオロギーというものは他のイデオロギーを許容しない、したがって、マルクス主義によって作られたソ連のような政治体制が全体主義になるのは当然なのだ。このことは今の中国や北朝鮮を見れば明らかだろう。日本共産党が政権を取っても同じことになるだろう。
 ところが、大学で、こんな風にマルクス主義を批判すると、「お前は反共の保守反動だ」と言われる。言われなくても、白い目で見られる。いったい、これはどういうことなのだろう。私は絶望した。しかし、そのうち少しずつ分かってきたのは、彼らが反体制であることはカッコイイと思っているということだった。そして、自民党を認めるなど、もっともカッコワルイと思っているということだった。
 これは私にも分かる。私なども、自民党の支持者というと、つい、北島三郎を歌ったり、ひわいな冗談を言ったり、ステテコのままホテルを歩きまわるような人を思い浮かべてしまう。しかし、私がこれまで出会った大半の自民党支持者は温和な典型的日本人という人が多かったように思う。それにも拘わらず、私はこれまで自民党以外の党、社会党民主党に投票してきた。これは自民党と「対話」して、その暴走を押しとどめる勢力が必要だと思っていたからにすぎない。
 しかし、今回の国会での民主党の醜態を見て、民主党には自民党と対話しようという意志も意欲もないことが分かった。彼らはアメリカとの緊密な防衛体制なしに、どんな風にして日本を中国や北朝鮮などから守ることができるというのか。民主党の中にもアメリカとの集団的自衛権に賛同する議員は多くいたはずだ。そういう議員が沈黙し、民主党共産党と手を結んで自民党を攻撃した。最低だ。
 民主党は今回の安保法制が違憲だという。アメリカとの連携を強化して自分の国を守るのが違憲だというのなら、それは憲法九条が世界の状況に合わなくなっているのだ。そういう憲法九条は改めればいいのだが、山本七平が言うように、言葉のお守りが好きな日本人にとって、それは難事業だろう。また、そんな風に九条改正で騒いでいるあいだに、中国や北朝鮮が崩壊しはじめ、その崩壊を食い止めるため、国民の目を外に向けようとし、中国や北朝鮮が日本を挑発し攻撃するかもしれない。そういう場合、民主党はどうするつもりだろう。
 いずれにせよ、日本は中国や北朝鮮の脅威に対処するため、アメリカとの安保体制を強化するしかない。
 ソ連の狂気と長年付き合ってきた私は、日本がソ連に占領され、共産主義国にならなくて本当に幸運だったと思っている。
 日本はアメリカに占領されて幸運だったのだ。共産党の国会議員や国会前でデモをしていた人たちには、これがどれほど幸運なことかが分かっているのだろうか。そのデモを見ていて、私はこの当たり前のことが分からない人たちが共産党以外にも増えているのではないのかと思い、不安になったのだ。
 最後に最近記憶に残った新聞記事を引用しておこう。これは五百旗頭真朝日新聞の記者の質問に答えたインタビュー記事の一部だ。五百旗頭が言うように、アメリカの「日本占領は『もっとも少なく悪い占領』」だった。私としては、今回のアメリカとの安保法制も『もっとも少なく悪い安保法制』になるよう政府に望みたい。なぜなら、くり返すが、国会での質疑応答を見るかぎり、批判勢力である民主党には『もっとも少なく悪い安保法制』になるよう自民党と対話しようという意志のかけらも見られなかったからだ。

記者:「開国を迫られたペリーの黒船以来、日本にとっての運命的な関わりは、米国が多いですね。日露戦争の講和はセオドア・ルーズベルト米大統領のあっせんでした。そして、連合国による占領も、マッカーサー最高司令官のもと、米国主導でした」

五百旗頭真:「占領とは、占領された側にとっては苦々しいもので、『よい占領』というものはありません。しかし、日本占領は『もっとも少なく悪い占領』でした。米国は真珠湾攻撃の後すぐに、日本の事情に通じた専門家を集め、3年かけて対日占領政策をつくりました。天皇制と官僚機構を残して、間接統治を行った。ニュートラルな技術集団として、官僚機構を使ったのです。既存の軍や警察、バース党などの機構を全部排除して大失敗した最近のイラク占領とは対照的です。そもそも、日本の場合は、明治の自由民権運動大正デモクラシーなど、自前の民主主義経験もあった。戦後日本は日米の共同作品だと思います」(『朝日新聞』、2015年8月6日、朝刊より)