内村剛介

 わたしは内村剛介の書いたものをわりあいよく読んできたほうだと思う。ソ連の収容所などに関して、知らないことをいろいろと教えてもらった。これは感謝している。
 しかし、あるときから、内村剛介は詐欺師と言ってもいい人ではないのか、と疑うようになった。その理由はいろいろあるが、そう疑う最初の、そして最大のきっかけになったのは、ある鼎談での内村の発言だった。
 その秋山駿と桶谷秀昭との鼎談で、内村は、夏目漱石の自分は英語など分からないという言葉を引用しながら、自分にはロシア語のニュアンスが分かるというようなことを相手ににおわせていた。その言葉は漱石が言いそうな言葉、言っても当然だと思うような言葉だった。しかし、どこで漱石が自分には「さっぱり英語はわからない」と言ったのだろう。漱石漢詩はよく分かる、ということを言ったのはわたしも読んだことがある。しかし、英語はさっぱりわからない、と、漱石がはっきり言ったのは記憶がない。
 しかし、それは、まあ、どうでもいいことだ。口にしようがしまいが、漱石がそう思っていたことは確かだろうと思う。問題は、内村が自分にはロシア語のニュアンスがわかると相手ににおわせたことだ。内村はこういう。

内村剛介漱石の言葉を思い出しますね。私は英語を教えて飯を食っているのだけれどもさっぱり英語はわからない。それよりも少年時代にちょこっとやった漢文のほうがはるかにわかる。漱石はそう書いてますね。英語は遂にお他人様である。ところが子のたまわくかなにか知らないけれども、口伝えに移されて読んでいて、いままでわかなかったものが、ある日思いだしてみたら全部わかっていたということでしょう。こうなるとドストエフスキーを理解するというようなことは、われわれにとってどういうことなのかという初源的なものに帰ってきますね。(『文芸読本 ドストエフスキイ2』、河出書房新社、1978、p.85)

 だから、ドストエフスキーを理解することは、ついにかなわない、と内村が言うのならわかる。外国のものはわからないという事態が「初源的なもの」であるのなら、わかる。すでに述べたように小林秀雄は1939年、私たちに外国の思想文化など分からない、と述べている。この小林の言葉は正しい。どんな風にドストエフスキーの言葉を日本語に訳したところで、それはロシア語原文のニセモノにすぎない。米川正夫のように訳そうが、小沼文彦のように訳そうが、それはしょせんニセモノにすぎない。ニセモノではあるが、それは亀山郁夫の『カラマーゾフの兄弟』の翻訳のように原文を無視したデタラメであってはいけない。翻訳とはそういうものなのである。
 つまり、外国人である私たちにはしょせんロシア語のニュアンスは分からないのだから、原文を原文と「だいたい」等価の、しかし読みやすい日本語に、律儀に移すしかない。ところが、内村は、先の発言の前に、こう述べている。

内村剛介ドストエフスキー全集がたくさん出ているけれども、例えばウモナストロエーニエ(萩原:思想傾向)に対してなっとくのいく新しい訳語を、新しい日本語をひとつでも加えてくれるんだったら、新しい全集を出してもらってもいいわけです。思想傾向よろしくないというのは日本的な発想の文脈を、それだけを表わすものでしょう。ロシアだとポリティカルな波調がけしからんというんですからそこから転向したり、又そこへ回帰するといったことはどうにもならん。そこからは逃げようがない。」(同上、p.81)

 こう言われた内村の鼎談相手、秋山駿と桶谷秀昭はロシア語ができない(と、わたしは思っているが、間違っていたら、ごめんなさい)ものだから、「へえ!」と感心しているように思われる。
 しかし、私はドストエフスキーが「ウモナストロエーニエ」という言葉を使っているのを読んだことがない。少なくとも彼の長編小説では読んだことがない。記憶力には、自慢ではないが、まったく自信はない。しかし、そう思う。ドストエフスキーが小説の中でそんな抽象的な言葉を使うのだろうか。そう思ったので、念のため、インターネット上にあるドストエフスキーのテキストを検索にかけてみた。やはりなかった。内村の嘘だった。内村はインターネットで自分の嘘が検索にかけられる時代が来るとは、まさか思っていなかっただろう。
 だから、内村の、自分はロシア語でしかドストエフスキーを読んだことがないという次の言葉も嘘だと分かる。

内村剛介:実はドストエフスキーというのは、僕は日本語でとうとう読まなかったわけですよ。いまでも読む気にならないですね。なにかのさいに拾い読みしなければならないこともあるけど。(同上、p.82)

 しかし、この鼎談を読むと、内村がこの時期までにドストエフスキーを日本語でちゃんと読んでいたのかということさえ疑問に思う。その程度の内容しか内村は口にしていないし、初歩的なまちがいをいくつか犯している。たとえば、『地下室の手記』の「地下室」は「非合法化」を意味しているとか(p.71)。言うまでもないことだが、この場合の「地下室」とは、チェルヌイシェフスキーの『何をなすべきか』に出てくる「地下室」のことで、農奴制を支える保守反動の連中のいる場所、つまり帝政ロシアを指す。
 ところで、言う必要もないことをここで言うと、かりにドストエフスキーが「ウモナストロエーニエ」という言葉をその小説で使ったのであれば、それを「思想傾向」ぐらいに訳しておけば済むことだ。なぜそれで済むのかといえば、繰り返しになってあまりにもしつこいが、小林秀雄がすでに1939年、私たちに外国の思想文化など分からない、と述べているからだ。内村はあるいは小林のその1939年の文章を記憶していて、ドストエフスキー全集で「ウモナストロエーニエに対してなっとくのいく新しい訳語」を出せ、と、日本のドストエフスキー研究者に無理難題をふっかけ、威張っているだけではないのか。そう邪推したくなる。
 若い頃、わたしは内村のこの鼎談を読んで、内村剛介は変なことを言う人だな、詐欺師なんじゃないか、と、思った記憶がある。わたしのその直感は正しかったようだ。