セッション

 「ラ・ラ・ランド」というミュージカル映画が良かったので、その映画と同じ監督(デイミアン・チャゼル)が「ラ・ラ・ランド」の前に撮った「セッション」という映画をレンタル店から借りてきて見た。
 結論からいうと、「ラ・ラ・ランド」と同様、「セッション」もまた一種の「禅映画」であった。
 「禅映画」という言い方はわたしひとりの言い方で、これは主人公を試練に遭わせ、狂気に導き、自己への執着(わたしのいう「自尊心の病」)に気づかせるというシナリオをもつ映画のことである。
 要するに、導師によって与えられた禅の公案(「片手で拍手して、その音を聞け」というような、わけの分からない無理難題)によって、弟子が錯乱狂気に陥り、その錯乱狂気によって自己の執着から脱け出し、悟りに至る、というような過程を、「禅映画」の主人公もたどるのである。
 このような映画は多い。というか、ほとんどの映画がそうだ。つまり、人間の運命というような理屈では割り切れない「公案」に主人公が向き合い、しだいに悟りを開いてゆく、あるいは破滅してゆく、という映画が大半なのである。そして、「セッション」や「ラ・ラ・ランド」はそのようなプロットをあまりにも露骨に表現した典型的な「禅映画」なのである。
 そして、わたしが「セッション」によっていまさらながら確認したのは、才能というのは見る人がみれば、すぐ分かるということだ。そして、才能のないやつはいくら努力してもダメなのだ、ということだ。
 映画を見ながら、わたしが昔入っていた同人誌の同人同士の罵倒を思いだした。文章を書く才能があるか否かは、ひと目その人の書いた文章を読めば分かる。これは小説でも詩でも評論でも同じだ。だから、文章を書く才能のない人が同人であるとすれば、「死ね」というしかないのである。もちろん、「死ね」というのは紳士淑女のいう言葉ではないので、その「死ね」という言葉を別の言葉でいうのであるが、意味するところは同じである。要するに、ここはお前さんのいる場所ではない、とっととどこかに失せやがれ。さもなければ、ここで死ね、ということである。
 「セッション」の舞台になっている音楽院のフレッチャー教授も学生に同じことをいう。しかし、才能のある主人公のニーマン青年にはそういう乱暴な言葉は吐かない。そして、ニーマンが自分の目の前に現れたことに、ひそかに、激しい喜びを覚える。
 この場面を見ていて、わたしはドストエフスキーの『貧しき人々』の原稿を偶然読むことになったベリンスキーを思いだした。ベリンスキーもまたドストエフスキーのような若い才能が自分の前に現れたことに激しい喜びを覚えるのである。そして、そのあと、ドストエフスキーを徹底的にしごく。「お前さんの、その甘っちょろい考え方はどうなんだ。ほんとに神がいるなどと信じているのか。お前のいう神などいるものか」という風に。それは図星だった。若いドストエフスキーがベリンスキーを殺してやりたいと思うほど憎むようになるまで、ベリンスキーは徹底的にドストエフスキーを追いつめる。
 才能のある人間は試練に遭わなければ、その持って生まれた才能がいつかはダメになる。ベリンスキーはそう思っていたはずだ。そして、ドストエフスキーは最初はベリンスキーに、ベリンスキーが病死したあとは、反体制活動によって死刑判決を受けるという試練を受ける。そして、恩赦によって死刑を免れたあと、シベリアの監獄に送られ、シベリアから帰還したあとも、死んだ兄の残した莫大な借金や自らの病気(てんかん、歯痛、痔、肺気腫)、息子の非行などによって試練を受け続ける。
 話をもとにもどすと、フレッチャー教授もニーマンに、ベリンスキーがドストエフスキーにしたのと同じようなことをする。しかし、ドストエフスキーがそうであったように、ニーマンもいつまでたっても自己への執着から抜けきれない。自分が可愛いので、ジャズに全身全霊で入ってゆくことができない。
 「セッション」の最後で、久しぶりにニーマンに会ったフレッチャーは、自分のバンドで演奏してくれるよういう。
 フレッチャーは音楽院を辞めさせられていた。その余りにも激しい教え方のため、学生が自殺し、誰かが密告し辞めさせられたのである。ニーマンもフレッチャーの人柄に疑いを抱き、音楽院を辞め、ジャズで身を立てることをあきらめていた。
 フレッチャーがいう。演奏曲目は学院でやった、あれとあれ。迷ったあげく、ニーマンは、演奏のあるカーネギー・ホールに駆けつける。フレッチャーがいう。大事な演奏なんだ。プロへの道が開けるかもしれないぞ。
 しかし、その演奏直前、フレッチャーから教えられた曲目が嘘だと分かる。ニーマンだけが別の楽譜を持っていったのだ。ニーマンはパニックにおちいる。しかし、ドラムをたたくしかない。何をやっているんだ、このバカ、と、バンドの連中から激しい怒号がとぶ。それでも、ニーマンはドラムをたたくしかない。
 そして、いきなり、「お前が密告したんだろう」と、指揮をしていたフレッチャーがいう。なんだ、この意地悪は。この野郎。ニーマンは呆然となり、その演奏がさらにひどいものになる。そして、とうとうどうにもならなくなり、舞台から逃げ出す。しかし、心配して駆けつけてきた父親と抱き合うと、再び舞台に戻る。えい、もうどうなってもかまうものか、と、バンドの全員に演奏曲目ではない「キャラバン」をやるぞ、と、叫び、ドラムに向かうのである。まるで悪夢だ。なにがなんだかわからない。しかし、ドラムをたたいているうちに、不思議なことに、ニーマンとフレッチャーの心がひとつになってゆく。そこで映画は終わる。ニーマンはフレッチャーという導師によって、無我の境地に導かれたのである。
 しかし、わたしのこんな説明では、この映画の良さはわからない。いずれにせよ、これは創造の現場を描いた希有な映画なのである。ジャズの演奏そのものを楽しみたいと思って見た人はがっかりするだろうが。