雪明かり

 今も腹とその裏の背中にやいとの跡がある。やいととは私の地方の言葉でお灸のことだ。小さいころ、身体が弱くて、親戚の家に行くと、その家の主である伯父に「どうしてそんなに痩せているのだ」と叱られたことがある。私が非難されたのではなく、私をそこに連れて行った、伯父の弟、つまり、私の父が非難されたのである。私は胃腸が弱く、そのため、やいとを何度もされた。今から思えば、それは母が恋しかったため、精神に異常をきたしていたためだろう。
 中学の頃、伊藤整の『雪明かりの路』という詩集を読み、それ以来、伊藤整が好きになった。呼べば母が来てくれる伊藤整をうらやましく思ったものだ。

 雪明かり
    ――私はいつも胃が弱かった――
                 
                     伊藤整

静まった雪明かりの夜中に
とおくで
さびしくさびしく鶏が鳴いたようだった。
そのとき私は
三畳間の寝床でそれを聞き
胸に苦しさを覚えて吐いた。
――母あさん、母あさん
私は目をさまして呼んだ。
母はいつも同じ姿で入ってき
それを拭きとってくれた。
なぜこの夜中に母が起きていたのか
なぜ黙っているのか
それが私に不思議でならなかった。頭の上には棚や並んだ本や
みんな あやしい夜の姿をして
私の弱り切った神経に落ちかかっていた。