天皇の政治利用

内田樹による天皇の政治利用

 先の「神聖不可侵なもの」という文章で、私は次のように書いた。
 「内田樹天皇という日本人の多くにとって「神聖不可侵」な存在を、自分の政治的な目的のために利用した。このため、私は違和感を覚えたのだ。」
 しかし、こう書くと、その「日本人の多く」とは誰なのか、という疑問をもつ人が現れるに違いない。私はそのような疑問に明確に答えることはできない。ただ、昭和天皇が亡くなる前、「下血」し危篤状態に陥ったときのマスコミなどの恐慌状態を見て、「日本人の多く」にとって天皇は今も神聖不可侵な存在だということを明確に意識しただけだ。当時、テレビなどのお笑い番組はいっさい禁じられ、出てくるアナウンサーやコメンテーターはそろって、暗い顔をして天皇の身を案じていた。少し誇張した言い方になるかもしれないが、それは金一族にひれふす現在の北朝鮮のテレビ報道などと変わらない情景だった。
 ところで、私自身はどうかと言えば、天皇を神聖不可侵な存在だとは思っていない。これは親の影響のためだろうと思う。七人兄弟の末っ子だった親父は、自分が生まれる前、父親が急死したため、ろくに小学校も行かせてもらえないまま丁稚奉公をしていた。そして(親父の言葉を借りれば)「ち×ぽの毛も生えそろってないのに海軍にほうりこまれ」、何年間か勤務する。しかし、肺が腐るという大病(肺壊疽)を患ったため外地から日本に帰され、しばらく養生したあと少し治ると、また応召され(今度は母親の世話をしていた次男の身代わりだと言っていた)、あちこち転戦したあげく、最期は南の島にたてこもり、米軍の捕虜になってハワイから帰ってきた。ちゃんと計算したことはないが、そのときすでに三十歳近くになっていたはずだ。また、母親はほとんど何も言わなかったが、その断片的な言葉をつなぎあわせると、広島の原爆はのがれたものの、友人を多く失い、自分は働いていた呉の軍需工場でこの世の地獄を見たということだ。こういうことがあったためか、戦争の責任もとらず退位もしない天皇の一家がテレビに出てきたりすると、二人とも、いかにも小馬鹿にしたように、うすい笑いを浮かべるのみであった。このため、私も天皇一家を変な一家としか見なかった。
 従って、私の内田批判には私の個人的感情がかなり入っていると思う。つまり、私は内田が天皇という存在を無批判に受け入れ、天皇のもつ「神聖不可侵な」威力によって為政者をこきおろしたことを批判したのだが、ここには、どうして天皇をそんなに無批判に受け入れることができるのだ、という私の怒りに似た感情がある。
 つまり、私が内田を批判した一番目の理由は、先に述べたように、内田が天皇という「神聖不可侵」な存在を政治利用したことにあるのだが、内田を批判した二番目の理由は、内田が天皇という存在を無批判に受け入れ、その天皇を政治利用したためだ。
 こんなことを言うと、じゃあ、なぜ天皇を無批判に受け入れてはいけないのか、というような問いを私に向ける人が現れるかもしれない。私がそう推測するのは、私が知らないだけかもしれないが、内田の書いた文章に対してどこからも非難の言葉が聞こえてこないように思われるからだ。内田の文章は世間にそのまま受け入れられているような印象を私はもっている。だから、ここで、なぜ天皇という存在を無批判に受け入れてはいけないのか、ということについて、もう少し詳しく述べておかなければならない。

平井啓之の誤読

 昔、サルトルベルクソンの研究者であった平井啓之が「人間ヒロヒトの御歌に思う」(太字は原文では傍点部、以下同じ)という文章を『東大新聞』に書いたことがある(『ある戦後――わだつみ大学教師の四十年』所収、筑摩書房、1983)。それは平井の言葉を借りると「一九八〇年、つまり第一回安保改定の騒動があった年」のことで、そこで平井は「人間天皇という矛盾命題」について述べている。
 平井は「人間ヒロヒトの御歌に思う」で、一九八〇年の正月、宮中の新年の歌会始めで昭和天皇が詠まれた次の歌を問題にする。それは次のような歌だ。

 さしのぼる朝日の光へだてなく 世を照らさむぞわがねがいひなる

 この歌に対して平井はこういう。

 表面の字義はいうまでもなく読んで字のごときもので、「自分はさしのぼる日輪のように(あるいは、日輪として)公平に世の中を照らすことをねがいとしている」というに他ならないであろう。しかし自分を日輪に擬して世間の上に臨まんとねがうとは、およそこれ以上に高飛車な発想というものが考えられるだろうか。普通の人間がこのような歌を作ればぼくたちはその人が正気かどうかを疑わざるを得ないであろう。このような歌を詠む人がもしぼくたちの周囲にありとすれば、それは新興宗教の教祖かあるいはそれに似た発想の特異な人格の持主であろう。

 要するに、平井は「朝日の光」のように天皇自身が「世を照さむ」と願っている、と、解釈するのである。このため、平井は「これ以上に高飛車な発想」はない、と断じ、こういう発想をするのは「新興宗教の教祖か」「あるいはそれに似た発想の特異な人格の持主」、つまり、唯我独尊の異常な人間だけだという。しかし、こんな風に言うからといって、平井が天皇を蛇蝎のごとく嫌っているわけではない。平井はこういう。

 同じく戦中派でも、たとえば村上兵衛は、天皇族の写真を見ると胸糞がわるくなると皇太子の結婚の際に公言するほど徹底しているが、ぼくは清宮と島津某氏とのランデヴーの新聞記事にも微笑を禁じ得ないくらい不徹底な世代意識しかもち合わせていない。だから今日まで、ヒロヒトは戦犯だから巣鴨に入れてしまえ、というような過激な論議には一度も共感をおぼえたことはなく、せいぜい一昨年だかの『週間朝日』に臼井吉見の発表した天皇退位論、つまり日本民族に道義の存在が可能になるためには、戦争について一半の責任は否定のしようのない現天皇ヒロヒトの退位が必要だ、という意見に共鳴をおぼえる程度の穏健中正な人間である。

 このような平井の天皇観は(私は村上兵衛に近いが)多くの日本人が共有する天皇観でもあるだろうと想像する。
 ところが、そういう「穏健中正な人間」である平井が、先の天皇の歌は受け入れることができないという。平井はこういう。

 しかしその現天皇がみずからを太陽になぞらえて人民の上にのぞまんというその風壊には、おそろしいほど無反省な非人間性を嗅ぎつけずにはいられない。またあの歌を新春の天皇の作として発表することを許した天皇側近の意図についてふかい危惧の念を抱かずにはいられない。なぜなら、終戦以来十五年になるが、その間発表された天皇の歌は、ぼくの記憶にあやまりがなければ、叙景の歌か、またはそれにちかい無難な性質のものであったから。西独にはナチスの亡霊が頭を擡げだした同じ年の新春に、天孫降臨的な天皇御歌があらわれたことの意味をぼくたちは見過ごしてよいものであろうか。(一九六〇年一月二十七日号)

 「西独にはナチスの亡霊が頭を擡げだした同じ年の新春」という箇所が無知な私には意味不明なのだが、いずれにせよ、平井が天皇のその御歌に「無反省な非人間性」を感じたということは理解できる。
 この平井の論評が載った『東大新聞』の次の二月三日号に、平井を批判する学生からの投稿が掲載される。それが「「ヒロヒトの御歌に思う」を読んで」(葛西幸雄)という文章だ。次に全文を掲げる(『ある戦後――わだつみ大学教師の四十年』から引用、平井からの他の引用も同じ)。

 大変失礼であるが、近頃まれにみる文であった。そもそもの出発が御歌の意味をとりちがえているからであろう。
 あの御歌は、「さしのぼる朝日の光が、わけへだてなく万物を照らし出すごとく、(いわば)天の恵が、すべての人々を、あまねく潤してほしい、それが私の願である」というのであって、どうしてどうして、一点の私心もないものである。
 大体が、近代教育を受けた人には、科学的に測定できるもののみ存在する、という素ぼくな唯物論で、物事を考えやすいが、これを貫くと、正・不正の標準というものがありえないことに、気がつかぬようである。
 もし人間の中で、最も尊敬せられてしかるべき人があるとすれば、それは、人々の幸福のみを願って自己のことを願わぬ人であろう。そのような存在は世界に、日本の天皇を除いてはない。強いてあげるならば、ローマ法皇くらいなものであろう。

 ちなみに宮中の行事を見ると、元旦から大みそかにいたるまで、世界の平和と人々の幸福を祈ることである。
 歴史を見ても、(いわば)権力をふるわれた天皇はほとんどないし、それも困難という時期にふさわしい時だけであることに、気づかれるはずである。そして外国の歴史に見られるごとく、自己のためという動機は一つもなかったということにも、気づかれるはずである。現天皇にしても、真に意志を通されたのは終戦の時だけであって、他にはない。
 もっと冷静に見ていただきたいと思うこと、切なるものがある。(法学部三年)

 葛西が言うように、平井が御歌の意味を取り違えていることは明らかだろう。このあと、葛西だけではなく、東大生による平井の解釈を誤りとする投稿が続く。また、この一ミニコミ誌での論争がマスコミに取りあげられるまでになり、当時天皇退位論を唱えていた臼井吉見からも、平井の読みは間違っていると言われる。御歌を素直に読めば、葛西のように読むしかない。私もそう思う。

人間天皇という虚妄

 しかし、当時の第一回安保改定に対する反対運動の影響もあり、こういう論争にはよくあることだが、論争の論点がしだいにずれてゆく。つまり、御歌の解釈そのものより、天皇の戦争責任について話が発展してゆく。そして、鶴見俊輔のように、「平井先生の御歌の解釈が誤解であるにせよ、戦中派には誤解する権利がある」(『東京新聞』の斎木厚利のコラムより)と言う者まで現われる。
 要するに、平井のような誤読を招くような天皇のありかたそのものが問題なのだ、という意見がしだいにマスコミの主流になってくる。誤読した平井が悪いのではなく、誤読させるような歌を詠んだ天皇が悪いのだ、という風な空気になってくる。
 こんな風にマスコミのあいだでさかんに平井の文章が取りざたされていたとき、運悪く、新宿西口で、平井は暴走してきたタクシーにはねられ、重傷を負う。そのタクシーの運転手が平井を狙った右翼だったというわけではない。しかし、その日はたまたま紀元節の夜で、天皇批判を行った平井が、神武天皇即位の日である紀元節に「神風」タクシーにはねられた、という記事が週刊誌に載り、平井はくやしい思いをする。「神風」とは神である天皇が吹かせたのであるという冗談にすぎない。
 そして、ようやく怪我が少し癒えた平井は病院のベッドで「天皇御歌論争について」という一文を書き、論争の経緯をふりかえる。平井は自分の誤読についてはふれず、次のようにいう。

 しかし、右も左もふくめたその気持とは別に投書全体を通じて、ぼくには、果たしてわかい世代には現天皇をめぐる問題の現実的な意味の軽重がつかめているのかどうかについて、一方ではふかい疑念がのこらざるを得なかった。たとえば、投稿者はすべて、現天皇が人間であり、あの新年の歌が人間の歌であることにはすこしのうたがいも持っていない。しかしぼくの問題提議の真意は、じつは、あの歌の作者天皇ヒロヒトは果たして人間であるのか、あの歌は人間の歌であるのか、という点にかかっていたのである。たとえばある投稿者は「自分は天皇に対して《ほんにお前はいい男、いてもいなくてもいい男》という落語のせりふ位な気持しか持ち合わせぬ」ことを告白していた。この告白は、あたらしい世代の多くの人々にとって、天皇は人間であるのみならず、落語のなかの若旦那と大差のない、とるに足りぬつまらぬ人間であるとみえることの端的な表白であろう。しかしぼくにとっては、現天皇つまらぬ人間であるどころか、人間であるかどうかについてさえうたがいのもたれるようなじつにユニークな存在であり、あの歌自体もじつにユニークな歌のように思われるのである。

 ここで平井の言いたいことは次の一文に尽きていると思う。つまり「ぼくにとっては、現天皇つまらぬ人間であるどころか、人間であるかどうかについてさえうたがいのもたれるようなじつにユニークな存在であり、あの歌自体もじつにユニークな歌のように思われるのである。」という一文だ。この「人間であるかどうかについてさえうたがいのもたれるようなじつにユニークな存在」である天皇だからこそ、あのような御歌を書いたのだ、というのが平井の言いたいことだ。
 たしかに、自分が天皇の御歌を誤読したのは確かだが、それでは葛西のように読めばいいのか、と言えば、そうとも言えまい、というのが、平井の言いたいことなのである。御歌をもう一度読んでみよう。

 さしのぼる朝日の光へだてなく 世を照らさむぞわがねがいひなる

 この御歌に関する平井と葛西の解釈と意見を要約すれば次のようになるだろう。
 平井啓之天皇自身が「朝日の光」のように「世を照さむ」と願っている。こんなことを言うのは、自分を神だと思っている「新興宗教の教祖」ぐらいしかいない。
 葛西幸雄:「さしのぼる朝日の光が、わけへだてなく万物を照らし出すごとく、(いわば)天の恵が、すべての人々を、あまねく潤してほしい、それが私の願である。」従って、この天皇の願いには「一点の私心もない」。
 要するに、平井は御歌を傲慢のきわみと見、一方、葛西は民草に対する愛情のあふれた私心のない御歌と見るのである。
 平井の読みがヒステリックな誤読であることは明らかだろう。これは多くの人が指摘していることで、その通りだと思う。
 一方、葛西の読みは正しいのだが、葛西によるその正確な読みから現われる天皇とは、私心のない、つまり、まったくエゴイズムのない、ひたすら民衆や世界の幸福を願う存在なのである。このため、葛西は、「もし人間の中で、最も尊敬せられてしかるべき人があるとすれば、それは、人々の幸福のみを願って自己のことを願わぬ人であろう。そのような存在は世界に、日本の天皇を除いてはない。強いてあげるならば、ローマ法皇くらいなものであろう。」と言うのだ。
 このため、平井は自分の誤読には口をつぐみ、「ぼくの問題提議の真意は、じつは、あの歌の作者天皇ヒロヒトは果たして人間であるのか、あの歌は人間の歌であるのか、という点にかかっていたのである。」という方向に話をもってゆくのである。このような自分の誤読に口をつぐみ、当時のマスコミの空気に便乗するような話の進め方は釈然としないが、それはそれとして、平井が話をそんな風に進めたところに重要な問題がひそんでいることは明らかだろう。つまり、御歌を正しく読むことを可能にし、その読みを誇る葛西の思想そのものこそが問題なのだ。
 繰り返すが、葛西は「もし人間の中で、最も尊敬せられてしかるべき人があるとすれば、それは、人々の幸福のみを願って自己のことを願わぬ人であろう。そのような存在は世界に、日本の天皇を除いてはない。強いてあげるならば、ローマ法皇くらいなものであろう。」と言う。要するに、葛西は天皇やローマ法皇を世界に類を見ない存在、「人々の幸福のみを願って自己のことを願わぬ人」だという。つまり、彼らは人間ではあるが、人間ではないと葛西はいうのである。なぜなら、人間がエゴイスティックな存在であることは自明の事柄であるからだ。それでは彼らは何なのか。神でないことは確かだろう。なぜなら、天皇はすでに人間宣言を行ったのだし、ローマ法皇カトリックキリスト者を代表する者にすぎないからだ。
 いまローマ法皇のことは脇に置くとすれば、平井は葛西のいうような天皇を「人間不在」の存在だという。平井は葛西の御歌の読みに現れているような天皇について、こう述べる。

 しかしここでぼくは敢えて借問したい。登極(天皇が即位すること:萩原)以来、過去三十五年にわたる泥まみれの歴史の波をくぐりぬけてきたはずの現天皇が、終戦後十五年の新春に、これほどまでに無垢の心情を示し得ることの意味とは何であるかと。この歌にあらわれている無私性とは、じつは、近代日本の天皇制のからくりの根源にひそむ人間不在の謂ではないのか。戦後天皇はみずから神であることを否定し、人間のまじわりをすることを宣言した。そして人間天皇という言葉は自明の真理のようにわれわれ国民の心情のなかにするするとしのび込んできた。しかしこの場合の人間という言葉の真意は何だろうか。まさか天皇の娘もロカビリーが好きだ、ということが天皇の人間化の証明になるわけではあるまい。人間天皇という命題が日本の民主化と直接かかわりをもつ、われわれにとって切実な意味をもつものであるとすれば、その場合の人間の理念とは、近代民主主義の根幹をなす《自由と責任を敢取する(思いきって取る:萩原)意識存在》たる点に存するのではないか。

 要するに、人間であるとは、自由であると同時に責任を取る存在だということだ。従って、人間宣言をした天皇自身もそのようにふるまうべきなのである。平井は続けてこういう。

 人間の理念をそのような本質的なものとして把えるとき、人間天皇という命題が元来矛盾命題であることが明らかになるだろう。なぜなら天皇という言葉の本質は人間不在ということであり、戦前の天皇制とは、この天皇における人間の不在性を根源に据えて史上空前の無責任性をその特色とする一大政治体制を確立したことに他ならなかったからである。それゆえ、もしも日本民族が戦後天皇の人間化を真剣にねがったのであれば、そのことはただ現天皇に人間的責任を問うことによってのみ可能になったはずである。また天皇自身も真に神の座を降りる自覚をもったなら、そのことは過去および現在における自分の人間的責任について心の痛みをおぼえる意識をもつ、ということ以外のことではないのである。

 ところが、現実はそうなっていない。先の文に続けて平井はこういう。

しかるに実情はどうであろうか。《人間天皇》という矛盾にみちた言葉は、逆に現天皇からあらゆる人間的責任を免除してやるための方便として用いられた。言いかえるなら、《人間天皇》という言葉は、天皇における人間不在を温存するために利用されてきた。そして当の天皇は、といえば、戦前も戦後もかわりのない世界に冠たる無私の歌を安心して詠じているのである。この天皇の無私性はかつての東条内閣の閣員であり、A級戦犯であった岸信介氏が安んじて安保条約推進の重責をになう宰相として国政を壟断しているこの日本的現実と連絡している。天皇における人間不在が不犯のものとしてのこる限りかつての天皇の大臣岸信介氏がこころに痛みをおぼえる必要はないわけだ。この意味において現天皇はまことに日本の象徴であり、今年の新春の天皇の歌の無私性は、まさしくその天皇の象徴であるとぼくには見えた。

 このような天皇に関する平井の意見に私は完全に同意する。しかし、岸信介と安保条約のくだりについては、岸に不愉快になる気持は分かるが、同意できない。なぜなら、安保改定当時、ソ連の脅威は現実のものであったからだ。これは私の政治的立場とは何の関係もないことだ。ソ連全体主義国家であり、現在の北朝鮮のような存在であったことは、当時すでに明らかになっていたからだ。そのような全体主義国家から自国を守るために米国と安保条約を結ぶのは当然だろう。岸信介は正しく行動したと言うべきだ。

葛西幸雄と内田樹の違い

 ところで、私が先に批判した内田は平井が批判している葛西と同様、次のように言ったのだった。

 今上天皇は政治とはっきり一線を画した立場にあり、その点では明治天皇以来の「近代天皇制」から離れて、古代以来の天皇の立ち位置に戻っていると思います。
 天皇の本務はもともとすぐれて宗教的なものです。天皇の最優先の仕事は祖霊の鎮魂と庶民の生活の安寧のために祈願することだからです。草木国土のすべてに祝福を贈り続けることを専一的にその職務とする「霊的なセンター」がなければ共同体は成り立ちません。そのことを今上天皇はよく理解されていると思います。その点では「ローマ法王」に似た存在なのかも知れない。

 内田も葛西と同様、天皇ローマ法王法皇)を重ねながら、彼らが人々の幸福を願うために存在しているという。
 内田と葛西の違いは、葛西が天皇は「人々の幸福のみを願って自己のことを願わぬ人」であるというのに対し、内田は天皇が「草木国土のすべてに祝福を贈り続けることを専一的にその職務とする「霊的なセンター」」であることを「よく理解されている」という点だ。
 要するに、葛西が天皇を本当に無私の人であり、民衆の幸福を願う存在であるということをナイーヴに信じている(あるいは、信じているように見える)のに対し、内田は葛西のようには信じていないように思われる。
 なぜそう思うのか。それは内田が先のように、「そのことを今上天皇はよく理解されていると思います」と述べているからだ。要するに、天皇は自分の役割をその実存そのものによってではなく、「知的に」理解しているので、天皇としての役割を演じているのだと内田は述べているように私には思われる。また、そんな風に天皇を考えているからこそ、天皇を政治利用しながら、為政者を批判することができたのだろうと思う。心から天皇に敬意を覚えているのなら、こういう軽率な政治利用はできないはずだ。軽率というのは、祭司として平和を願う天皇と、欲望のうずまく現実政治に対処する為政者のふるまいが合致しないのは当然であるからだ。当然であるにも拘わらず、前者の宗教における平和主義によって後者の政治における現実主義を批判したからだ。もう一度、内田の言葉を読んでみよう。

安倍首相は頭から無視している

 安倍首相は天皇に対する崇敬の気持ちがまったく感じられないという点において、歴代首相の中でも例外的だと思います。天皇の発言を頭から無視している。天皇が迂回的な表現をとって伝えようとしているメッセージの真意をくむための努力をまったくしていない。安倍首相がわずかに関心を示す宗教行為は靖国神社参拝だけですが、そこはまさに2代にわたって天皇が「招かれても、行かない」ときっぱり拒絶した場所です。逆に安倍首相は何をおいてもそこに行きたがる。靖国神社ひとつをとっても、安倍首相が天皇の真意をくむ気がないということは明らかです。
 もう一つ、憲法があります。天皇憲法については機会があるたびに「憲法を護ること」が自分の責務であると誓言しています。憲法99条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という条文を誠実に履行している。
 一方の首相の方は、憲法を尊重する気も擁護する気もない。「みっともない憲法」だから早く廃絶したいと公言し、改憲がむずかしいとなると「安全保障環境の変化に応じて、憲法解釈を変えることは政治家の責務だ」とまで言い出した。
 天皇と首相のありようの違いは、彼らのたたずまいをみればわかります。天皇は「日本国民の安寧」を願うという本務を粛々と果たし、首相は「立法府、司法府を形骸化して、独裁体制をつくること」をじたばたと切望している。両者の語る言葉の重さの違い、国民に向かうときの誠実さの違いは、日本人なら誰でもわかると思います。
 政治と祭祀を2つに分かち、現実政治の専門家と霊的事業の専門家を分離した「ヒメヒコ制」は古代の列島住民が着想したすばらしい人類学的装置でした。天皇制はその遺制の知恵を今に伝えています。
 ですから、天皇と首相のそれぞれが発信するメッセージに大きな隔たりが生じると、僕たち国民は困惑します。どちらの言うことを信じるべきか。でも、困惑していいのだと僕は思います。困惑した国民が政治家に向かって「ちょっと待って」と一言上げるきっかけになるなら、それこそが天皇制の功徳と言うべきでしょう。

 内田は自分の政治的な意見を補強するために天皇を利用しただけだ。天皇に何の関心もない私が不快に思うぐらいだから、天皇に尊崇の念を覚える人々はよりいっそう内田を不快に思うだろう。(2016年2月18日、一部の語句を修正しました)