「サウルの息子」

 きのう四条の「京都シネマ」で、ネメシュ・ラースローの「サウルの息子」というハンガリーの映画を見た。
 平凡な感想かもしれないが、私たちが生命(いのち)に出会うためには、どれほど生命ではないものをおびただしく経験しなければならないのかということを描いた映画だった。また、そのような生命に出会わないまま死を迎えることもあることを描いた映画でもあった。言いかえると、この映画は直接にはアウシュビッツ絶滅収容所をその内部から描いたものであると同時に、私たちが生きている世界を寓話的に表現したものでもあると思った。つまり、近代産業社会とその近代産業社会を作りだす工場としての学校を寓話的に表現したものだった。まちがった見方かもしれないが、私にはそんな風に見ることしかできなかった。
 ここで私が「生命」というのは比喩ではない。そうとしか表現できないある事態のことだ。このブログでも、また論文でも私がくり返し述べてきたある事態のことだ。
 三十歳をすぎたあるとき、私は不意に離人神経症になった。母の看護、従兄弟の看護、果てしのない家庭内のもめごと・・・詳しいことはとても書けないが、つもりつもった疲労のあげくの病だった。
 何年間か生と死のあいだをさまよったあげく、ある寒い冬の夜、一月だったか、目の前の机、それは死んだお袋が使っていた裁縫台の表面を削ってなめらかにした大きな大きな机だったが、それが以前と同じように、どっしりとしたものに感じられるようになった。それまでそんなことはなかったのだ。そこにあるのは机という名称をもつものであるという意識しかなく、その質感が私には感じられなくなっていた。それが不意に、どっしりとしたものに感じられるようになった。私は自分の目を疑い、机を抱きしめた。それはたしかにそこに存在していたのだ。
 私は私のいた離れから中庭に出て、空を見た。そこには星が無数にきらめいていた。その星々の中のとりわけ大きな星から出る光が私にふりそそぎ、私はその星と結びついたような感覚に襲われた。変なオカルトめいた表現になるが、私はその星からエネルギーを注入されたのだ。
 中庭から家族のいる住居に入ると、私は「治った、治った」と、つぶやいた。妻は変な顔をして私を見るだけだった。
 そのあと、たぶん一ヶ月ほど続いたろう、出会う人すべてが美しく見えた。ののしりあい、争っている人まで美しく見えた。私は美しいとしか言えない自分の言語能力の貧しさがくやしい。それは美しいということ以上の何かであった。
 そして、それが私から消失したとき、私に退屈な日常が帰ってきた。あれがベルクソンの言っていた「持続」なのだということに、それから何年も経って気づいた。ベルクソンのいう持続とは自分や他人をありのままに受け入れるということだ。そして、その持続のなかにある生命を感じるということだ。持続とは生命のことだ。ふだんは、それを感じることはない。それは危機が過ぎ去った直後、不意に私たちに訪れる事態なのかもしれない。
 私が「サウルの息子」を見ていて思ったのは、そういうことだ。追っ手を逃れ一息ついていたサウルは、殺される直前、ひとりの少年に出会う。その少年の生命に出会うために、サウルは苦しみをくぐりぬけてきたのだ。