東京裁判

ベルジャーエフの西洋観

 今もときどき読み返す文庫本のひとつに、学生のころ買った『現代世界における人間の運命』(ベルジャーエフ、野口啓祐訳、社会思想社、1957)というのがある。ヨーロッパに亡命していたロシア人のベルジャーエフが1934年に書いたものだ。
 ベルジャーエフはそこで当時猖獗をきわめていたドイツの人種主義とソ連マルクス主義を激しく批判している。しかし、批判はそれにとどまらず、ベルジャーエフは、西洋の帝国主義の餌食になった東洋人に同情しながら、西洋人による東洋人の搾取についても述べている。これについては、このブログの歴史についてでも少しふれた。
 要するに、ベルジャーエフは、西洋人は東洋人に対して行った悪行を反省しろ、という。それと同時にベルジャーエフは、東洋人が、この場合は日本人のことだが、「ヨーロッパ文明のもっとも下劣な部分だけを身につけておどり出た」という。いずれにせよ、悪いのは日本人ではなく、帝国主義という悪いお手本を示した西洋人だとベルジャーエフはいう。
 学生の私はその通りだと思ったが、このとき私の念頭にあったのは東京裁判だ。どうして東京裁判で西洋人に自分の真似をした日本人を裁くことができるのか。そんなことをする前にまず自分を裁くべきだろう。そう私は思った。今もその考えは変わっていない。
 もっとも、私は先のベルジャーエフの意見に全面的に賛成したわけではない。もし日本が西洋の真似をしなかったなら、他の東洋の国々と同様、日本が西洋の植民地になっていたのは明らかであるからだ。だから、日本が西洋の真似をしたのは自分を守るためだった。当時の日本にはそれ以外の選択肢がなかった。したがって、日本が「ヨーロッパ文明のもっとも下劣な部分だけを身につけておどり出た」というベルジャーエフの言葉は事態を正確にとらえていない。ここには白色人種の黄色人種に対する差別意識が感じられる。
 そうではあるが、ベルジャーエフが西洋人の帝国主義を批判しているのは変わらない。キリスト教徒であろうがなかろうが、良識のある人なら、ベルジャーエフのように考えるのは当然だと思う。西洋にはベルジャーエフのような人が他にも多くいたはずだ。それなのに、東京裁判ではその裁判を批判し否定する勢力が西洋には現れなかった。私はここにも白色人種の黄色人種に対する差別意識を感じる。

トークスの東京裁判批判

 しかし、最近になってようやく東京裁判を本格的に批判する西洋人の声を聞くことができた。それが『英国人記者が見た連合国戦勝史観の虚妄』、ヘンリー・S・ストークス、祥伝社、2013)という本だ。
 著者のストークスは、1938年にイギリスに生まれたジャーナリストで、ニューヨーク・タイムズの東京支局長などを歴任した人物だ。三島由紀夫とも親交のあった、政治的には右でも左でもない、きわめて常識的な人物だと思う。たとえば、彼はその著書で、東京裁判で処刑された東条英機満州で二万人ものユダヤ人の命をナチス・ドイツの手から救ったこと、日本では高く評価されている白州次郎が金に汚い傲慢な人物であったことなど、常識人の立場から正確に描いていると思う。そのようなことが書かれた本文も面白かったが、私がとくに興味を惹かれたのはその序文だった。そこで彼は次のようにいう。

 大東亜戦争は、日本の自衛のための戦いだった。それは戦後マッカーサーアメリカに戻って議会で証言した「マッカーサー証言」によっても明らかだ。東京裁判は裁判の名にも値(あたい)しない、無法の復讐劇だった。「南京大虐殺」にしても、信用できる証言は何一つとしてなく、そればかりか中国が外国人記者や企業人を使って世界に発信した謀略宣伝(プロパガンダ)であることが明らかになっている。「慰安婦問題」については、論ずるにも値しない。
 だが、これまで日本人が日本の立場から、これらに抗議し糺(ただ)していく動きはほとんど見られないか、見られてもごくわずかだった。いま国際社会で「南京大虐殺はなかった」と言えば、もうその人は相手にされない。ナチスガス室を否定する人と同列に扱われることになる。残念ながら、これは厳粛なる事実だ。だから慎重であらねばならない。だが、日本が日本の立場で、世界に向けて訴え続けていかなければ、これは歴史的事実として確定してしまう。日本はこれまでこうした努力が異常に少なかった。
 日本は相手の都合を慮(おもんぱか)ったり、阿諛追従(あゆついしょう)する必要はない。アメリカはアメリカの立場で、中国は中国の立場で、日本は日本の立場でものを言う。当然それらは食い違う。だが、それでいいのだ。世界とはそういうものである。日本だけが物わかりのいい顔をしていたら、たちまち付け込まれてしまう。
 もう一つ私が声を大にして言いたいのは、「南京」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、現在懸案になっている問題のほとんどは、日本人の側から中国や韓国に嗾(けしか)けて、問題にしてもらったというのが事実だということだ。この問題をどうするか、それは日本人が自分で考えなければならない。
 日本人は、いまだに連合国がでっち上げた「戦勝国」史観の呪(のろ)いから脱け出していない。本書がその束縛から逃れる一助となれば幸いである。(ストークス、pp.4-5)

 この箇所を読み、私はストークスが日本および日本人を正確に捉えているのに深い感動を覚えた。彼は日本人に失礼にならないよう婉曲な言い方をしているが、「日本は日本の立場でものを言う」ということができない。また「日本は相手の都合を慮(おもんぱか)ったり、阿諛追従(あゆついしょう)する」。また、「「南京」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、現在懸案になっている問題のほとんどは、日本人の側から中国や韓国に嗾(けしか)けて、問題にしてもらった」ものなのである。
 ストークスから指摘されるまでもなく、私にはすでに自明の、日本人に顕著に見られるこのような態度こそ、日本人に不当な東京裁判をそのまま受け入れさせ、存在そのものが疑わしい「南京大虐殺」や「慰安婦問題」に対して謝罪させたのだ。
 なぜ日本人はそんな態度を取り続けてきたのか。また、今も取り続けているのか。ストークスはその理由を述べていない。そこで、その理由を述べるとすれば、日本人には「わたし」というものがないから、そんな態度を取り続けているのだ。

日本語には一人称がない

 日本人にあるのは、相手に調子を合わせる「わたし」しかない。また、その相手にも相手に調子を合わせる「わたし」しかない。従って、そんなものは一人称の「わたし」ではなく、「あなた」と言っても同じことだ。
 要するに、日本人には西洋の文法にあるような一人称はない。また、一人称がないのだから、当然、二人称も、三人称もない。ちなみに、鈴木孝夫は日本語には三人称しかないと言うが(鈴木孝夫、『日本語教のすすめ』、新潮新書、2009、p.179)、鈴木のいう三人称とは、西洋の文法でいう三人称とは似て非なるものにすぎない。鈴木の言いたいことは分かるが、日本語には三人称しかないというのは間違っている。
 また、日本語には「わたし」という一人称がないので、日本語でデカルトの言うような「われ思う、ゆえにわれ在り」というような事態について考察することもできない。つまり、デカルトの哲学などを基礎にして発展してきた西洋の人文科学の体系そのものが日本では成立しない。要するに、日本の大学などで研究されている人文科学そのものがいかさまなのだ。
 と、こう言うと、とんでもないことを言うやつだ、気が狂っているのだ、と、人文科学の一部の研究者から言われるかもしれない。しかし、残念ながら、私は正気だ。ストークスから離れることになるが、また、以下は授業で配布した講義ノートの一部だが、その理由について述べておこう。

二項関係

 日本語に一人称がないと言ったのは私が初めてではない。一人称という言葉こそ使わないが、丸山真男(『日本の思想』)は「タコツボ」という言葉で、また、土居健郎(『「甘え」の研究』)は「甘え」という言葉で、同様の事態について述べている。丸山や土居の話をいっしょくたにして要約すると、日本には「タコツボ」集団の中で甘えあった個人しかいないので、それをもはや個人と呼ぶことはできない。それは、西洋で言うような、独立した人格をもつ個人ではない。それは西洋から見れば、個人以外の、なにか奇妙な存在にすぎない。
 ところで、土居のいう「甘え」の関係を、森有正は「二項関係」と呼んでいる。ただし、土居と森の違いは、精神科医である土居が主に、日本人に広がる「甘え」の精神病理について述べたのに対し、森は主に、フランス文化と日本文化の違いについて述べながら、日本人特有の「二項関係」について述べている点だ。
 森は長年パリ大学でフランス人に日本語を教えた経験から、日本語の文法書とフランス語や英語の文法書はまったく違う性格をもつものだという。つまり、フランス語や英語の文法書の場合、その規則を身につけることによって、フランス語や英語を書くことが可能になるが、日本語の場合、それは不可能だという。なぜそうなるのか。
 それは日本語の中に「現実」が入りこんでいるからだ。森はそれを「現実嵌入(かんにゅう)」と名づける。このため、これまで日本の国語学者がやってきたように西洋の文法書をそのまま模倣して日本語の文法書を書いても、それは無意味になる。
 一方、西洋の文法書を模倣せず、日本語独自の文法書を書こうとすれば、そこに無限とも言える日本の現実が入ってくるので、それは際限なく膨らむばかりの叙述からなる文法書になるだろう。だから、外国人に日本語を教えるときは、日本語の文章を丸暗記させるのがいちばんいい。森はそういう。
 森によれば、このような事態は日本語のさまざまな面に現れている。たとえば、人称代名詞について森はこういう。

・・・ある文中に例えば「田中さん」という固有名詞が現れると、その田中さんが何回でも繰り返され、「かれは」となることは普通はない。「その方は」、「その人は」という言い方は、代名詞であるかどうか非常に疑わしく、それらは一度文中に現れた「田中さん」という名詞を代表するのではなく、その都度、田中さんという人自体のことなのである。だから文章によっては、単純に省略されてしまうが、そのために文章が不完全になることはない。田中さんその人が文章の構成要素として、そこにいるからである。それは、さらに立ち入って考えてみると、話者とその相手とが一つの共通の了解圏を構成し、「田中さん」という人について二項関係が成立しているからである。この「田中さん」というのは、凡ゆる限定をうける以前の、感覚に直接入って来るその人そのものであり、それは一つの現実として、陳述そのものに凡ゆる仕方で影響を及ぼすのである。このように現実を生のまま荷なっている文章に批判的性格が甚だ乏しいことは言うまでもないであろう。(原文の傍点部分を太字にした:森有正、『経験と思想』、岩波書店、1979、第5刷、p.124)

 要するに、ここで森は、日本人同士の会話は、自他の区別もつかない甘えの関係、つまり、「二項関係」の中で行われる、と述べているのだ。二項関係とは、森によれば、「話者とその相手とが一つの共通の了解圏を構成」するような関係のことだ。要するに、話者とその相手がべったりともたれあい、親密で排他的な空間を作りだす。そして、その空間の中で、「これは二人だけの秘密だけど」というような調子で、二人が知っている田中さんを持ち出す。
 このため、「田中さん」と言うと、「そうそう、あの田中さんね」ということになり、その人のことを指すときは、いつも「田中さん」という言葉が反復される。あるいは、反復されなくても、二人のあいだには、その田中さんが生々しいイメージとして存在している。だから、その「田中さん」のことを客観的に「彼」と言い換えることはない。なぜなら、その「田中さん」というのは、あの「田中さん」であり、「凡ゆる限定をうける以前の、感覚に直接入って来るその人そのもの」であるからだ。ここで「限定をうける以前」という意味は、たとえば、「課長としての田中さん」とか「あわて者の田中さん」と言うような限定を受けた田中さんではない、田中さん「その人そのもの」だということだ。
 繰り返すが、二人が「田中さん」と言うとき、その二人のあいだではすでに「田中さん」その人が生々しく再現されているので、その人を客観的に「彼」と言い換えることはない。と言うより、そんな風に言い換えると、「田中さん」の生々しさが薄れてしまい、二人だけの「秘密」ではなく、二人以外の人にも共有される客観的な「田中さん」になってしまう。このため、言い換えることはできないし、言い換えてはいけない。こんな風にして、日本語では、現実そのものがいつも言葉の中に入ってくる。そう森はいう。
 ただ、ここで森の以上の言葉を私見によって捕捉すると、たとえ日本語でその「田中さん」を「彼」あるいは「彼女」と言うとしても、それは森のいう「その方」や「その人」と同様だということだ。つまり、日本語の「彼」あるいは「彼女」は英語の「he」や「she」とは異なり、現実に存在している人物をその生々しさを保持しながら、外来語の「彼」や「彼女」によって言い換えているだけだと言える。
 このことは、たとえば、日常会話で「彼、どうしてる?」とか「きみの彼女、素敵だね」と言う場合の「彼」や「彼女」が、二人が知っているあの「田中さん」などを言い換えただけだということから分かるだろう。この場合、それは「彼」や「彼女」という客観的な代名詞ではなく、生々しく、あるいは官能的に、その「彼」や「彼女」を互いのあいだに現前させるような効果をもつ言葉になっている。
 しかし、こう言うと、翻訳された小説の中では、始終、「彼」とか「彼女」という言葉が出てくるではないか、それはある具体的な人物を客観的に言い換えた人称代名詞ではないのか、と言う人がいると思う。しかし、それは翻訳だから、そういう日本語が許されているというだけだ。それは本当の日本語ではない。翻訳書の中の「彼」あるいは「彼女」は、翻訳語にすぎない「個人」や「社会」などと同様、日本には存在しない。日本に存在するのは、「個人」と呼ぶにはあまりにもべったりと甘え合った、たがいに分離していない人間であり、そのような人間の集まりを「社会」と見なすことはできない。なぜなら、社会というものは個人があって初めて存在するからだ。個人のないところに社会もない。私たちのいう「個人」や「社会」は、西洋の「個人」や「社会」とは似て非なるものだ。こんなことになるのは、繰り返すが、私たちが個人を成立させない甘えの関係の中で生きているからだ。
 このような甘えの中に生きる日本人の人間関係を、森有正二項関係と呼ぶのだが、この関係について森は次のように説明する。

・・・本質的な点だけに限って言うと、「日本人」においては「汝」に対立するのは「我」ではないということ、対立するものも亦相手にとっての「汝」なのだ、ということである。私は決して言葉の綾をもてあそんでいるのではない。それは本質的なことなのである。「我と汝」ということが自明なように、ある場合には凡ての前提となる合言葉のように言われるが、それはこの場合あて嵌らない。親子の場合をとってみると、親を「汝」として取ると、子が「我」であるのは自明のことのように思われる。しかしそれはそうではない。子は自分の中に存在の根拠をもつ「我」ではなく、当面「汝」である親の「汝」として自分を経験しているのである。それは子がその親に従順であるか、反抗するかに関係なくそうなのである。肯定的であるか、否定的であるかに関係なく、凡ては「我と汝」ではなく「汝と汝」との関係の中に推移するのである。子は自分の自己に忠実であることによって親に反抗するのだと思うであろう。心理的には確かにそう言うことができるであろう。しかしその「反抗」は、親の存在を必然的要素として含むのである。親と成人した子が真に個人として成立するとするならば、そこには分離と無関心とのみが本質的事態としてはある筈である。現象面においては闘争と反抗があろうとも、根本には単純な分離と、それ自体における無関心とがある筈である。一足飛びに言ってしまえば、こういう事態が、近代の日本における「家」からの解放、「自我」の確立、「革命」の不在の深い理由となっているのではないであろうか。(森、pp.95-97)

 要するに、森によれば、日本人には「わたし」というものがない。あるのは、「あなた」にとっての「わたし」にすぎない。だから、西洋の哲学や思想などで論じられる「わたし」と「あなた」の関係など日本で論じても無意味だ。日本にあるのは「あなた」と「あなた」の関係だけだからだ。このような森のいう二項関係が土居のいう「甘え」と同じ事態について述べているのは明らかだ。
 ところで、森は詳しく述べていないので、森の意見を私なりに捕捉すると、このような甘えの関係によって作られる日本人の二項関係は二人だけの関係にとどまらない。このような二項関係が反復されながら丸山真男のいう「タコツボ」が作られてゆく。言い換えると、いわゆる二項関係にある「友達の輪」が次々にひろがり、タコツボがつくられてゆく。このため、あるタコツボの中で、ある人物や事象はそのタコツボ特有の意味を帯びる。そこに客観的な評価はない。
 たとえば、あるタコツボの中のAさんという人物はそのタコツボでは人格者で通っているが、別のタコツボでは人格破綻者として非難されているかもしれない。また、たとえば、あるタコツボの中のAさんの行為はそのタコツボでは英雄的な行為と見なされるが、別のタコツボでは売名行為と見なされるかもしれない。これは日本のあらゆるタコツボ、すなわち、大政党や大新聞社にまで見られる現象だ。そこには客観的な評価をこばむ姿勢がある。
 話が横道にそれるが、このような日本人のタコツボ内の主観的な姿勢が先の大戦に日本を導き、陸軍と海軍というタコツボ同士の対立を招き、戦争を終わらせるべき時に終わらせなかった原因を作ったと言えるだろう。なぜなら、このようなタコツボの中では「すべてが許されている」からだ。そのタコツボの中の「空気」がタコツボのメンバー互いの模倣の欲望をかきたて、互いに模倣し合い、その同質的な模倣の中で意見の一致を見、「正義」とは何かが決定されてしまう。このため、あるタコツボの「正義」と別のタコツボの「正義」が異なったものになる。日本人にはこのような事態はいちいち例を挙げる必要もないほど自明のことだろう。

日本人の二項関係が国際関係をこじらせる

 さて、以上から、日本人における「わたし」の欠如が、日本人に「日本の立場でものを言う」ことを不可能にさせ、他の国に対して「相手の都合を慮(おもんぱか)ったり、阿諛追従(あゆついしょう)」させ、そして、朝日新聞のように「「南京」にせよ「靖国参拝問題」にせよ「慰安婦問題」にせよ、現在懸案になっている問題のほとんどは、日本人の側から中国や韓国に嗾(けしか)けて、問題にしてもらった」のであるということが明らかになったと思う。
 要するに、日本人および日本は他国に対しても、自分の隣人に向かうような態度をとり、その他国と一体化し、他国の目から見た自分を意識し、「相手の都合を慮(おもんぱか)ったり、阿諛追従(あゆついしょう)」してきたのだ。このため、日本人のように二項関係という人間関係をもたない他国の人々に、お人好しの日本人は、強硬に訴えれば何でも言うことを聞くだろう、というような幻想を抱かせたのだ。
 ストークスはこのお人好しの日本人に、次のように忠告する。

 私の親しい知人である加瀬英明(かせひであき)氏をはじめとする保守派と呼ばれる人たちの立場は「日本は侵略戦争をしていない」、アジアを「侵略した」のではなく、「解放した」というものだ。これは、日本人の立場に立った主張だ。
 私はイギリス人だから、イギリス側の見方に立って考える。イギリス人からすると、「日本は侵略をしてきた」となる。イギリスがアジアに保持していた植民地を、日本が「侵略」してきた。イギリスにしてみれば、「日本は侵略国」だ。
 アメリカ側の見方は、また違ったものだろう。私はアメリカ人ではないので、アメリカ側の観点とは異なる。アメリカ人は「日本は明確なアメリカ領土のハワイを、攻撃したのだから、日本がアメリカに侵略戦争を仕掛けた」と、主張するだろう。
 しかし、日本側には、日本の主張があってしかるべきだ。たとえば「日本はアジアを侵略していない。欧米の植民地となっていたアジアを独立させたのだ」という主張も、立派な史観だ。それは、日本からみた史観である。しかし、日本の立場を日本が主張しなければ、敵国だったイギリスやアメリカが、そのような主張をすることはない。「そもそもアジアを侵略したのは、イギリスであり、アメリカである」と言われれば、それはそうだ。 イギリスをはじめ西洋諸国は、アジアや、オーストラリア、北米、南米、アフリカをはじめ、世界中を植民地にした。アメリカは「新大陸」に、自分たちの国を建国している。それに対して、原住民の「インディアン」が、どれほど血みどろの戦いで郷土を防衛しようとしたかは、西部劇によって衆知のことである。
 ハリウッド映画では、侵略者は「文明をもたらす正義の味方であり、原住民は「未開の野蛮民族」ということになっている。東京裁判も、まったく同じ「アメリカの正義劇」だった。そうであれば、日本も「日本には大義があった」というシナリオで、その史観を世界に発信すべきだろう。
 イギリス側の立場からすれば、日本はとんでもない「武断国家」で、最悪の敵だった。インドを例にとれば、東インド会社の設立から始まって、何百年も植民地支配をしてきた領土を、日本が一瞬にして奪ってしまった。まがいもなく侵略者だ。
 オランダにしたところで、「香辛料諸島(スパイス・アイランズ)」と呼ばれたインドネシアを、瞬(またた)く間(ま)に日本に占領された。オランダにしても、日本は侵略者だ。西洋がアジアに所有していた植民地は、日本によって、すべてひっくり返された。インドネシアという名は、独立運動の指導者だったハッタとスカルノによる造語だ。日本の力によって独立するまでは、世界にオランダ領インド諸島として知られていた。(ストークス、pp.26-28)

 ストークスの言葉を繰り返すと、「日本側には、日本の主張があってしかるべき」なのである。そして、ストークスはさらに次のように、西洋には日本人に対して差別意識があることを認める。

 日本軍は、大英帝国を崩壊させた。イギリス国民の誰一人として、そのようなことが現実に起ころうなどとは、夢にも思っていなかった。それが現実であると知った時の衝撃と、屈辱は察して余りある。
 ヒトラーがヨーロッパ諸国を席巻して、大ゲルマン民族の国家を打ち立てようとしたことも、衝撃的だったが、それでも、ヒトラーは白人のキリスト教徒だった。われわれは自分たちと比較できた。
 しかし、唯一の文明世界であるはずの白人世界で、最大の栄華を極めていた大英帝国が、有色人種に滅ぼされるなど、思考の範囲を超えている。理性によって理解することのできない出来事だった。『猿の惑星』という映画があったが、まさにそれが現実となったような衝撃だった。誰一人として、『猿の惑星』が現実になるとは、思っていまい。映画の世界のことで、想像上の出来事だと思っている。
 人間――西洋人――の真似をしていた猿が、人間の上に立つ。それが現実になったら、どのくらいの衝撃か、想像できよう。日本軍はそれほどの衝撃を、イギリス国民に与えた。いや、イギリスだけではない。西洋文明そのものが衝撃を受けた。(ストークス、pp.44-45)

 以上から、私たちが肝に銘ずべきは、このような差別意識がいまなお西洋人のあいだにはあること、また、他国に対しては、自分たちの二項関係的な人間関係を反省しながら、自分たちの主張を堂々と展開すること、この二つだ。言い換えると、自分たちが西洋人にとっては差別される存在であることをつねに意識しながら、つまり、誤解を招かないよう最大限の注意を払いながら、臆することなく、正しいと思ったことを分かりやすく主張しなければならない。そうすれば、さまざまな国際間の誤解は自然に解けてゆくだろう。
 ところで、これもすでにこのブログで述べたように、東京裁判そのものを否定する三島由紀夫が割腹自殺したとき、私は何とも言えない気持になった。アメリカの属国になった日本で、アメリカに守られながらのうのうと生きている自分を深く恥じた。と言うと、事態を誇張していることになる。正確に言えば、三島が自殺したとき、私は赤面しただけだ。その一瞬が過ぎてしまったあとは、前と同じように、恥知らずにも、のうのうと毎日を過ごした。しかし、少しは恥の感覚が残っていたのか、そのときから東京裁判を認めない人々が書いたもの、たとえば山本七平西部邁などが書いたものを読み始めた。
 ところが、そういう東京裁判を認めない山本や西部などは、今もそうかもしれないが、日本では「右翼」だと言われ、知的に欠陥のある者のように扱われてきた。山本や西部を否定するような人々を知識人と呼ぶのは間違っているが、その「日本の知識人」が好んで読んでいる「左翼」系の刊行物で山本や西部は白痴のように扱われていた。私はなぜ彼らがそんな風に扱われるのか、その理由を考え続けた。だから、もううんざりするほど長いあいだ考え続けたことになる。あと何年生きられるか分からないので、そのとりあえずの答をここで急いで書いたというわけだ。