ドストエフスキーとニーチェ

 三島由紀夫をはじめ、ニーチェの思想に共感する人は多いけれど、学生だった昔から、私にはそういう人がよく分からなかった。学生の頃は何となくイヤだなあ、と、思っていただけだが、ドストエフスキーが分かるようになってからは、ニーチェの思想は回心前のドストエフスキーの思想なんだと思うようになった。ニーチェドストエフスキーを読んでからまもなく発狂したのだけれど、病気のためもあるだろうが、ドストエフスキーを読んだショックもあって、つまり、自分の思想が完全に間違っていたことが分かったショックもあって、発狂したのではないのかと私は疑っている。
 というようなことを、昔、コロンビア大学で行われたドストエフスキー学会で会った、ドゥートキンさんというドストエフスキーニーチェの関係について論文を書いたロシアの研究者と話をしようとしたのだけれど、毎晩、酒を浴びるように飲んで、しよーもない話をしただけだった。そのあと、彼は日本に来て私に会おうとしたらしいが、私はそのことをあとで知っただけだった。残念でした。
 ニーチェのことは公開講座でもときどき質問が出るので、何度か答えている。その一部を下に紹介しておこう。ここではロシア語で書いてあるので分からないかもしれないが、ドゥートキンさんの論文も批判的に参考にしている。

西尾幹二の訳したニーチェ『アンチクリスト』――これは名訳だが――で傍点が付されている文字は太字にしました。
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【質問】
 ニーチェの超人思想はまちがっていた、すでにドストエフスキーによって乗り越えられていたというのは、ニーチェの著作などに何か記述があるのでしょうか。
【回答】
 それはニーチェが発狂する直前に残した著書『アンチクリスト』(1888)です。ご質問についてはすでに昨年度の講義で回答しています。今年度初めて受講される方のために、その回答をコピーアンドペーストしておきます。その回答の注にある「解答と回答」というのは昨年度の「解答と回答」のことですのでお間違いのないようご注意願います。
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【質問】
 産業革命以降、神が死に、人々が競争し合う時代に入ったとのご指摘でしたが、ルネサンスからそれは始まっていたのではないでしょうか。
 その前提での質問ですが。
 以前、ロシアはルネサンスを経なかった、このためソ連は崩壊した、と、お話しされ、納得しました。中世からの解放によって近代的な個が確立され、集団主義に流されない個人主義が発達したことはプラスの側面です。その一方で、神が死に、隣人愛を失った個人が互いに競い合い、自尊心の病に冒され、地球規模で悲惨な状況が展開するに至っているのも事実です。
 神なき世界では、利己主義に陥らない個人主義は不可能なことだとお考えですか。それとも、神なき時代でも隣人愛は可能だとお考えですか。あるいは神の世の復権がわれわれの救いとなるとお考えでしょうか。
【回答】
 西欧に固有の個人主義(individualism)というのはもともとキリスト教から発生したものです。社会人類学者のデュモンはこう述べています。
 「インドのいかなる宗教も十分に成さなかったことで、キリスト教には本来的に備わっていたものがある。それは、キリストにおける、またキリストによる友愛であり、そこから生じる平等である。ただし、この平等はトレルチが強調するように「神の御前においてのみ存在する」ものなのだ。それは社会学的用語で言えば、人格的超克による個人の解放であり、大地にありながらも心を天上界に置く共同体における、世俗外個人の結合である。この表現はほぼそのままキリスト教を言い表しているといえるであろう。」1
 要するに、個人主義とは「大地にありながらも心を天上界に置く」キリスト者、つまり「世俗外個人」が身に帯びる価値観のことです。このような価値観は「世俗外個人の結合」である教会の権威(聖職者の権威)が維持されていた時代には、俗人をも支配していました。これが「神の生きていた世界」です。
 しかし、教会による人間の生への抑圧が過ぎたため、イタリアでルネサンス運動が起きます。これは13世紀末から15世紀末にかけてイタリアに起こり、その後、西欧全体に波及していった芸術や思想の革新運動のことです。このルネサンスの人間中心主義(ヒューマニズム)がそれまでの教会による神中心主義を凌駕しはじめるとともに、教会の腐敗が人びとの目にあまるものになり、教会は急速に権威を失い始めます。
 そして、1517年、ルターが宗教改革を行うのですが、このとき、それまで世俗外個人であった聖職者の権威も失墜し、聖職者と俗人とのあいだの壁が取り払われます。それと同時に、デュモンに依拠しながら作田啓一がいうように、「世俗外個人が世俗内個人へと移行してゆき、初めてイデオロギーとしての個人主義(individualisme)が成立」2します。
 このような西欧の個人主義はその後、人間の理性を重視する合理主義(=啓蒙主義)というかたちをとって、ニュートンなどによる科学革命(17世紀)へと発展します。そして、その科学革命によって実現された科学技術による産業革命(18世紀半ばからイギリスで始まる)によって、教会の唱えるキリスト教の非科学性が俗人にも明らかになってゆきます。こうして、教会と聖職者の権威がおおきく失墜するのと反比例するかたちで、個人主義が「「神のもの」である精神的存在としての個人」3のものではなくなり、神のものではない、したがって、もはや個人とは呼べない「個体」の「個人主義」へと変容してゆくのです4。
 以上から、西欧の個人主義には二種類あるということが分かると思います。ひとつは、神とともにある世俗外あるいは世俗内個人であり、もうひとつは近代産業社会に見られるような、個体の、もはや個人主義とも言えない、無神論的な個人主義です。この二つの個人主義の違いについては、あとでもう少し詳しく述べます。
 ここでロシアの社会と個人主義の関係について簡単に述べてみますと、いわゆる「タタールのくびき」(ロシアがモンゴル帝国によって約250年間支配されたこと:1236-1480)のため、ロシアにルネサンスの波は及びませんでした。このため、ルネサンスの人間中心主義も特権階級であった知識人の一部にだけ伝わり、文盲が大半を占めるロシアの民衆に伝わることはなかったのです。また、このため、個人主義はロシア社会には浸透せず、現在も、個人が尊重されない集団主義がロシア民族の特徴になっています。
 これはルネサンスの影響を受けなかった日本も同じです。ロシアとは違うかたちですが、思想の左右を問わず、日本でも集団主義は根強い。日本的集団主義土居健郎のいう「甘え」、丸山真男のいう「タコツボ」、森有正のいう「二項関係」などと呼ばれるものとして残っています。
 ところで、授業でも述べましたように、そのような個人を軽視するロシア民族の特徴が、ソ連を根底から腐敗させ、崩壊に導いたのです。
 つまり、ドストエフスキーがその『カラマーゾフの兄弟』の大審問官伝説で予言したように、ソ連という国家を支えていたマルクス主義とは、結局、それまで貴族や資本家に専有されていた富を国民に平等に再配分するための全体主義のことです。その全体主義に抵抗する個人主義というものがソ連には存在し得なかったので、その全体主義に同調していったのです。
 もっとも、ソ連国民には、そのマルクス主義というイデオロギーを批判することは許されなかった。批判すれば、国家を支えているイデオロギーが根底から揺らぐからです。しかし、仮にロシア人に個人の自由と尊厳を重んじるルネサンス風の精神が浸透していたとすれば、そのマルクス主義イデオロギーの、個人の自由を制限する全体主義は激しい抵抗に遭っていたでしょう。そして、ロシア革命が起きたとしても、ロシアは帝政時代よりも個人の自由を重んじる体制になっていたでしょう。しかし、そうはならず、マルクス主義という全体主義をロシア民族の集団主義が支えることになり、何千万という人々が粛正などによって殺されてゆきました。また、そのソ連マルクス主義がモデルとなって世界に(それも、そろいもそろってルネサンスを経ていない後進国に!)広がり、一億人以上の犠牲者を生み、今も北朝鮮などで犠牲者を生み続けています。
 このようなソ連の歴史が示しているのは、マルクス主義では、富を平等に再配分するという「正義」のためなら、すべてが――殺人さえも許されているということです。そこには倫理はありません。あるのはマルクス主義の理論だけです。富の平等な再配分ということがマルクス主義の倫理と言えば言えるのですが、その倫理さえも守られず、ソ連ではジョージ・オーウェルが『動物農場』で描いたような権力者による専制政治が反復され、富が権力者とその周辺にいる人びとに独占されていました。このような、人がそこで生きることが不可能な倫理なき国家が国民に支持されず、崩壊してゆくのは当然でした。ソ連は、敵国によってではなく、国家の内なる敵、つまり、模倣の欲望にかられた、倫理なき人々によって崩壊していったのです。

 さてご質問に戻りますと、ご質問は次の三点です。
 ① 神なき世界で利己主義に陥らない個人主義は不可能か。
 ② 神なき時代で隣人愛は可能か。
 ③ 神の復権がわれわれの救いとなるか。
 順に答えてゆきます。
 ① 神なき世界で利己主義に陥らない個人主義は不可能か。
 不可能です。神なき世界では、個人主義(individualism)そのものが成立しません。なぜなら、先に述べたように、神なき世界に存在するのは、個人ではなく個体にすぎないからです。そして、個体がもつことができるのは、個人がもつ利己主義(egoism)ではなく、自己中心主義(egotism)だけです。ジラールによれば、自尊心(orgueil)とは「伝統的な利己(エゴ)主義(イズム)(l’egoisme, au sens traditionnel du terme)ではなく「自己(エゴ)中心性(ティスム)」のことです5。つまり、個人の自尊心、つまり、利己主義(egoism)による模倣の欲望は神によって抑制されますが、個体の自尊心、つまり、神のない個体の自己中心主義(egotism)の模倣の欲望を抑制するものは何もありません。個体にはすべてが許されています。これに対して、個人にはすべてが許されているわけではありません。個人の利己主義は神によって抑制されます。
 くり返しになりますが、近代産業社会の個体が個人になるためには、人間を超越する存在(超越者あるいは神)が必要です。ここで個体というのは(個体という言葉は異様なので、私はそれと同じ意味で、しばしば、それを個人と呼びますが)、他人とのあいだに切れ目をいれない、模倣の欲望に憑かれた存在のことです。個体は他人とのあいだに切れ目がないので模倣の欲望に憑かれるのですが、逆に、模倣の欲望に憑かれると他人とのあいだに切れ目がなくなる、とも言えるのです。他人とのあいだに切れ目がないということと、模倣の欲望に憑かれているということは同じ事態を指しています。このような事態をさらに別の言葉で言えば、それは自己中心主義という言葉になります。
 要するに、自己中心主義とは、「自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの」という風に、自分よりも一枚上を行っている者を見ると、それが物であれ精神であれ、その他者が所有しているものを自分のものにしてしまおうという欲望、つまり、模倣の欲望に憑かれているということです。そして、そのような欲望を抑制するものは何もない(あるとしても、ばれなければいい)という確信をもっていることです。
 このような自己中心主義が、相手とのあいだに切れ目を入れる、「人は人、自分は自分」という個人主義になることはありません。自己中心主義が個人主義になるためには、その自己中心主義を成立させている模倣の欲望が抑制されなければなりません。そして、私たちは模倣の欲望を抑制できる人のことを謙虚な人と呼びます。
 それでは、どうすれば、私たちは模倣の欲望から解放され、謙虚になることができるのか。これはどうすれば回心できるのか、と問うのと同じことです。回心とは自己中心主義者が個人主義者になることです。また、謙虚とはもちろん、うまく世の中を渡るために装う謙虚のことではありません。それは悔い改め、心から、自分を何の価値もない愚か者だと思っていることです。つまり、自己をそのような無への運動の中に置くことを指して、謙虚と呼ぶのです。
 しかし、こんなことをいうと、そんなこと、不可能だ、という人がいるかもしれません。お前がこれまでさんざん言ってきたように、今の社会は神なき社会であり、個人などいない。いるのは模倣の欲望に憑かれた個体ばかりだ。要するに、ニーチェが『ツァラトゥストラ』(1883)などで言うように、現代社会において「神は死んだ」のだから、われわれは回心することも謙虚になることもできないのではないのか。そういう人がいるかもしれません。私もそういう人間のひとりです。そのような絶望の言葉に対しては、それはそうかもしれないが、そこまで絶望することはない、と答えておきましょう。そして、そのような絶望を慰撫するため、以下、長い注釈をつけます。
 
 ニーチェ(1844-1889[発狂]-1900)は、発狂する直前の著書『アンチクリスト』(1888)で、先に述べた無への運動を弱者の強者に対するルサンチマン(恨み)にすぎない、と述べました。ニーチェはこう言います。
 「・・・キリスト教はすべての弱者、賎者、出来損ないの味方に組し、強い生命が持っている自己保存本能に抗議することを己れの理想として来たのであった。精神性の最上の諸価値は罪深いものであり、人を惑わすものであり、誘惑であると感じるように説き聴かせることによって、キリスト教は、最強度の精神力に恵まれた人びとの理性をも破壊してしまった。最も痛ましい実例――パスカルの腐敗。パスカルは自分の理性が腐敗したのは原罪によるものと信じていたが、じつは単に、彼のキリスト教によって理性の腐敗を招いたにすぎないのに!――」6
 要するに、ここでニーチェは、キリスト教が、富や権力を獲得することができない社会的弱者の、社会的強者に対する嫉妬や羨望、すなわち、「ルサンチマン」(ressentiment:恨み)を代弁しているというのです。つまり、キリスト教は、彼ら社会的弱者が身に帯びた弱さこそ尊いのである、すなわち、社会的に無に近い弱者ほど神に近い存在である、といった奇怪な論理によって無への運動を推奨している、というのです。
 このヒトラーの言葉を連想させるようなニーチェの言葉は、社会的弱者を攻撃するために吐かれたのではありません。その言葉は社会的弱者の社会的強者に対する嫉妬や羨望を利用して宗教的革命を起こそうとしたキリスト者に向けられているのです。このようなキリスト者の態度は、結局、貧民の富者に対する嫉妬や羨望、つまり、ルサンチマンを利用してロシア革命を起こした無神論者のレーニンたちの態度と同じです7。要するに、ニーチェは弱者のルサンチマンを利用して人を扇動するな、と述べているだけなのです。したがって、このようなニーチェの態度は、富裕なユダヤ人に対する貧民のルサンチマンを利用してユダヤ人を虐殺していったヒトラーとは対極にあるものです。
 ここでニーチェのいう「キリスト教」とは、イエス・キリストの弟子たちが奉じていた信仰のことです。驚くべきことに、ニーチェによればイエス・キリストの弟子たちはキリスト教徒ではありません。ニーチェはこう言います。
 「つき詰めていけば、キリスト教徒はただ一人しかいなかった。そしてその人は十字架につけられて死んだのだ。「福音」は、十字架上で死んだのだ。この一刻を境にして、以後「福音」と呼ばれたものは、すでに、この人物が身をもって生きたものの反対物であった。すなわち「悪しき音信」であり、禍音であった。キリスト教徒であることのしるしを「信仰」のうちに、例えばキリストによる救済信仰のうちに見るがごときは、ばかばかしいほどの誤りである。ひとえにキリスト教実行、十字架上で死んだ人が身をもって生きたような生活のみが、キリスト教的なのだ。・・・今日なおそのような生活は可能である。ある種の人間には必要でさえある。本当の、根源的なキリスト教はいつの時代にも可能であるだろう。・・・信仰ではなくて、行為である。とりわけ、多くを行為しないこと、別種の存在になりきることだ。・・・意識の諸状態、例えば何かを信じたり何かを真理と見做したりすることは――心理学者なら誰でも知っていることだが――本能の価値に比べればまったく取るに足らぬことであり、五級どころの意味しかない。」8
 そしてニーチェは、心理学の「本能」という言葉を使いながらキリスト教批判を続けるのですが、シューバルトが批判しているように9、このような心理学によるキリスト教批判は的はずれです。なぜなら、ニーチェが批判しているキリスト者の無への運動とは、そもそも、ニーチェが推奨する、ルサンチマンの放棄そのものを指すからです。
 したがって、「つき詰めていけば、キリスト教徒はただ一人しかいなかった。そしてその人は十字架につけられて死んだのだ」というニーチェの言葉はまちがいです。
 それにもかかわらず、ニーチェルサンチマンを放棄できたのはイエス・キリストだけだ、イエス・キリストを信仰するキリスト教徒たちはそのことを理解していなかった、というのです。これはどういうことでしょうか。彼はこう言います。
 「イエスの模範的な死に方、ルサンチマンの感情をことごとく超え出たあの自由感、超越感を、彼らは理解しなかったのである。――そもそも弟子というものがいかにイエスを解することが少なかったかの一つのしるしである!」10
 つまり、イエスだけが模倣の欲望に憑かれていなかった、とニーチェは言うのです。
 なるほど、ペテロのような弟子たちはイエスへの模倣の欲望に憑かれていました11。そして、ニーチェが『アンチクリスト』で述べているように、ルサンチマンの感情を超え出ることはできなかったのかもしれません。しかし、たとえばドストエフスキーのような、模倣の欲望を超越したキリスト者がいることも確かです。たとえば、『カラマーゾフの兄弟』のゾシマやマルケルが模倣の欲望を超越したキリスト者ではないと言えるでしょうか。
 したがって、私たちが念頭に置くべきは、ニーチェが批判しているような模倣の欲望に憑かれた自称キリスト者のことではなく、イエス・キリストその人であり、そのイエス・キリストの振る舞いを正確に理解していたドストエフスキーのようなキリスト者なのです。そして、ニーチェが「本当の、根源的なキリスト教はいつの時代にも可能であるだろう。・・・信仰ではなくて、行為である」と言うように、信仰ではなく、行為そのものが重要なのです。
 この「行為そのものが重要なのです」という言葉は、ドストエフスキーの影響、とくに『カラマーゾフの兄弟』のゾシマの影響だと私は推測します12。ゾシマは信仰よりも「行動の愛」を人びとに推奨しました13。しかし、残念なことに、ニーチェはその「行動の愛」を、心理学の「本能」という言葉を使って無神論的に説明しようとしています。シューバルトがニーチェを批判したのはこのためです14。
 ところで、誰も、なんの苦労もなく、模倣の欲望から解放され、謙虚になれるわけではありません。模倣の欲望から解放されるためには、まず、模倣の欲望に憑かれ、「大きな罪」を犯し、心が砕かれなければなりません。ここでいう「大きな罪」とは客観的に大きな罪という意味ではなく、その人にとって背負いきれないと思うほど「大きな罪」という意味です。
 たとえば、客観的に見れば、何でもない小さな罪が、ある人に、それまでのその人の愚かな振る舞いをすべて想起させるきっかけになり、その小さな罪が「大きな罪」に思われるということもあるでしょう。その一方で、強盗殺人というような客観的に大きな罪が、その強盗殺人は飢えた妻子を養うためには行わざるを得なかった振る舞いだ、と思っている人にとっては、「大きな罪」にならないこともあり得ます。要するに、ここでいう「大きな罪」とは、その人のそれまでの世界観あるいは生き方を根底から揺るがすような罪のことです。それはその人の過去負荷性によって、ひとつひとつ質的に異なります。
 このような「大きな罪」を犯したとき、私たちに初めて模倣の欲望から解放される機会が訪れるのです。そう気づくのが死刑台の上であるとか、『悪霊』のステパン先生のように、死の直前になるかもしれません。しかし、それでもその人はほんの一瞬であるかもしれませんが(そもそも私たちの人生そのものがほんの一瞬なのですが)、模倣の欲望から解放され、謙虚になることができるのです。そして、そのとき初めて私たちは自分を超えた存在に気づくかもしれないのです。
 では、なぜ私たちはそのとき、自分を超えた存在に気づくことができるのか。それは自分が何の価値もない愚かな存在だと思うからです。自分が何者かであり、そう捨てたものじゃない、などと、腹の底で思っているかぎり、自分を超えた存在に気づくことはありません。また、そういう人は、自分がその超越者によって生かされているということにも気がつくことがない。その超越者をキリスト教文化圏の人々は唯一の「神」と呼び、それ以外の文化圏の人々は別のさまざまな名前で呼ぶのです。日本人としては西行漱石などが回心の例として挙げられますが、いま説明は省きます。
 要するに、超越者あるいは神が最初からあるのではなく、模倣の欲望に憑かれた自己中心主義者が、その欲望から解放されるとき、超越者あるいは神がその人に訪れるのです。このとき、その人はもはや個体でも自己中心主義者でもなく、自他のあいだに線を引くことができる個人主義者になっています。
 個人主義という言葉は利己主義や自己中心主義と混同して使われることも多いのですが、私はこのような自他の生の持続をありのままに認めることができる人のことを個人主義者と呼びます。また、くり返しますが、利己主義は個人主義に含まれます。一方、自他の生の持続をありのままに認めることができず、いつも他者を模倣し、いまの自分をありのままに認めることができない人を、私は自己中心主義者と呼びます。このような人は他者をありのままに認めることもできません。彼らが認めるのは、他者のもつ、自分の模倣の欲望を満たしてくれるような、つまり、自分より一枚上をゆく精神や物だけです。
 以上述べた内容を図式化しますと、次のようになります。

① 模倣の欲望による自我の拡大(ロマン主義:ありのままの自己への嫌悪)
→他者との切れ目消滅(=依存症的人間関係:他者は自分の欲望を満たすために存在する)
→「個体」の自己中心主義(=ごう慢)
② 模倣の欲望に気づくことによる自我の縮小(無への運動:ありのままの自己を受容)
→他者との切れ目が生まれる(=隣人愛:ありのままの他者を受容)
→「個人」の個人主義(=謙虚)
                                   
 したがって、次の、
② 神なき時代で隣人愛は可能か。
 という問に対しては、「神なき時代」というものがあるとすれば、「不可能だ」、と答えるしかありません。しかし、ニーチェも『アンチクリスト』で述べているように、そんな時代はありません。いつでも神は私たちの前に現れます。ニーチェはその人生の総決算ともいうべき『アンチクリスト』という著書で、キリスト教の神がキリスト教会の偽善者たちによって殺されたと述べているだけです。もっとも、これまで述べてきたように、現代社会には神なき個体があふれているように見えます。しかし、それはそう見えるだけで、その個体たちも個人になりたいと祈っているのかもしれないのです。
 したがって、次の、
③ 神の復権がわれわれの救いとなるか。
 という問いに対しては、「はい」、と答えることになります。私たちが自己中心主義のまま生きるということは、自分を孤立させ、世界を地獄のようにするだけだからです。そのような地獄のような世界に救いはありません。

 

1 ルイ・デュモン、『個人主義論考――近代イデオロギーについての人類学的展望』、渡辺公三・浅野晃一訳、言叢社、p.50、1993
2 作田啓一、『個人』、三省堂、1996、pp.33-34
3 作田、p.34
4 作田啓一も私と似た意味で「個体」という言葉を使っています(作田前掲書)。
5 ルネ・ジラール、『地下室の批評家』、織田年和訳、白水社1984、p.73
6 『アンチクリスト』、『ニーチェ全集第四巻(第Ⅱ期)』所収、西尾幹二訳、白水社、1987、p.170:訳文の傍点は太字にした。以下同様。
7 拙稿でこのような模倣の欲望について詳しく述べています:萩原俊治、「『貧しき人々』と隠された欲望」、『むうざ』第八号(ロシア・ソヴェート文学研究会発行)、1989
8 『アンチクリスト』、p.220
9 「解答と回答(10)」、p.14、脚注5参照。
10 『アンチクリスト』、pp.222-223
11 「解答と回答(4)」、p.8
12 ドストエフスキーニーチェの関係を論じた研究者の大半は、ニーチェドストエフスキー後期の長編小説(『悪霊』、『未成年』、『カラマーゾフの兄弟』)を知らなかったと考えています(В.В.Дудкин и К.М.Азадовский, Достоевский в Германии(1846-1921), Литературное Наследство, т.86, М.,1979, с.659-740)。しかし、ドストエフスキーを自分の師と考えていたニーチェが、ドストエフスキーの代表作である『カラマーゾフの兄弟』を読んでいなかったとは考えにくい。また、ニーチェが『カラマーゾフの兄弟』を読んでいなかったとすれば、このゾシマの説教を想起させるニーチェの言葉も理解不能になります。このため、私はニーチェが他のドストエフスキーの作品と同様、フランス語訳で『カラマーゾフの兄弟』を読んでいたと推測します。
13 「解答と回答(7)」、pp.34-36
14 「解答と回答(10)」、p.14、脚注5
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ドストエフスキーを読む(2017)」解答と回答(9)(2017年9月16日配布)・萩原俊治