雲の中を歩んではならない

 自分のことほどよく分からないもので、今年の夏の体調不良の原因は、先に述べたように、親しい友人に死なれたためだということが最近になって分かった。しかし、どうもそれだけではないらしい、ということも少しずつ分かってきた。今年の夏、あんなに憂うつになったのは、友人に死なれたということもあるが、それと同時に、いや、それ以上に、安保法制をめぐる大騒ぎにあったように思う。このブログでも何度か書いてきたように、私は安保法制に賛成でも反対でもない。日本はアメリカの従属国であり、アメリカに、日本は自分の国ぐらい自分で守れるよう、もっと軍事力を強化してほしいと言われれば、それを断ることはむつかしい。まして、今は、中国と北朝鮮が以前にも増して不安定な状態で、準備不足のまま、なにか突発的なことが東シナ海日本海で起こったあとでは遅い。
 「備えあれば憂いなし」という諺にあるように、その突発的な事態に対応できるようアメリカとの安全保障体制を強固なものにしておくのが悪いということはできない。
 しかし、アメリカとの安全保障体制を強固にすることによって、ひょっとしてアメリカに日本は利用され(アメリカに「イエス」としか言えない日本だ)、中東あたりでアメリカ軍についていった自衛隊員がイスラム国によって殺されるかもしれない。そんなことになってはこまる。アメリカ兵は死んでもいいが、日本の自衛隊員が死ぬのは、こま・・・いや、そんな自分勝手なことを言っては・・・もごもご、というようなところで、私は思考停止する。
 こういう思考停止は私ひとりのことではないように思う。多くの日本人がこの夏を、憂い顔のまますごしたように思う。
 こういう憂い顔に耐えられず、「戦争法案反対!」とか「子供を殺さないで!」というようなプラカードを掲げて国会の前でデモをした人も多かった。気持は分かるが、それでは、日本を守るため、アメリカ兵は死んでもいいというのか。
 そんなプラカードを日本の国会の前で掲げてデモをするのではなく、「アメリカ兵よ、日本のために死んでくれ!」というプラカードを掲げて、アメリカ大使館の前でデモをしたほうが正直でよかったように思う。そうすれば、アメリカも日本に愛想をつかして、日本にあるアメリカ軍基地をすべて撤去して、「あとは自分たちでやりなさい」と言ってくれたかもしれない。そして、日本の自衛隊は軍隊に昇格し、その軍事予算のために日本は経済的に破綻し、また戦後すぐのような、食うや食わずの貧乏国に戻ったかもしれない。そのほうが、その狂った人たちが正気に戻れてよかったのかもしれない。
 ところで、私がアメリカとの安保条約をめぐる大騒ぎで憂うつになったのは、これが二回目だ。何度もここで書いてきたが、その一度目は私が学生だった70年安保のときだ。このときも、なぜ全共闘の友人たちが騒いでいるのか理解できなかった。日本とアメリカが以前より対等になるような安全保障条約を認めるのがどうしてだめなのか。私は友人たちに聞いたが、無視されただけだった。彼らは憑かれたように走り回り、デモをし、機動隊と衝突し、そのデモに加わらない私のような学生を下に見、そして、その多くが卒業と同時に、憑きものが落ちたように、立派な、私から見れば、立派すぎる社会人になっていった。一方の私と言えば、そのときの熱狂に同調し皇居前で焼身自殺した友人のことを思い、いつまでもうじうじと、晴れない気持をかかえたまま、社会から落ちこぼれていった。
 くりかえすが、安保条約をめぐる騒ぎを目にして、私のように憂うつな気持をかかえたまま過ごした傍観者は多かっただろうと思う。そして、今回の安保法制だけではなく、70年安保、60年安保も、私のように憂うつな気持で見ていた傍観者は多くいただろうと思う。いや、60年安保以前にもそういう憂うつな傍観者はたくさんいただろう。そう推測するのは、たとえば、フランス文学者の桑原武夫が憂い顔で、「雲の中を歩んではならない」というエッセイを書いているからだ。そのエッセイで彼は、日本がアメリカに提案されたMSA協定を受諾するか否かの日本社会の大騒ぎについて述べている。
 MSA協定というのは1954年にアメリカと日本のあいだで結ばれた「日米相互防衛援助協定」のことだが、このときもこれまでの安保条約締結や今回の安保法制のときと同じように、「憲法違反だ!」と大騒ぎになった。桑原はこんな風にそのエッセイをはじめる。

 雲の中を歩んではならない(桑原武夫、1953)


 MSA受諾の可否について、アンケートを受けて、私はユウウツにならざるをえない。答えることがむずかしいのか。そうではない。私の答はきまっている――日本はMSAを受けるべきではない。そして、その理由を私なりに述べることもできる。国際関係や政治についての専門的知識をもたず、「経済の論理」とやらも知らずに、そうしたことに答えることに学者として何らかのやましさを感じてユウウツなのか、といって下さるかも知れない。そうではない。むしろ逆に、自分の専門外だからといって、こうした国民の生命的な問題に回答を回避する専門学者たちこそ市民としてやましさを感じるに違いないとさえ思うのである。
 それではなぜユウウツなのか。かつてこの雑誌(『世界』)にも書いたことがあるが、日本ではインテリの間でほぼ意見の一致がえられた正にその瞬間に、その意見と正反対のことが事実となって現われる、という形式がここでまた一つ例を加えるのではないか、という思いが私をユウウツにするのである。『世界』のサンフランシスコ条約(1951年に結ばれた、日本とアメリカなど連合国との戦争が終結したことを認めると同時に、それまでアメリカの占領国であった日本の主権を認める条約:萩原)についてのアンケートでこの「和解と信頼の条約」をどれだけのインテリが歓迎したであろうか。総選挙のアンケートで、どれだけのインテリが社会党共産党を排斥して自由党を支持したであろうか。MSAについても、多くのすぐれた人々が、これに反対すべき政治的、経済的ないし倫理的理由を本誌はじめ多くの雑誌などで、くわしく述べ終わった頃に、受諾の条約が結ばれてしまいそうな気がする。

 こんな風に桑原はインテリ(知識人)たちの現実に対する無力さについて述べながら、さらにこう言葉を継ぐ。

 私たちは(桑原のようなインテリのこと:萩原)何か超現実的な、ロマンチックな、そして大衆にはとてもわからぬようなことを言っているのだろうか。そうとも思われない。軍事援助を受けることは憲法違反、平和からの一歩後退であり、アメリカへの従属化の強化であり、そうした状況下に愛国的道議心や耐乏生活を説く(当時はまだ戦後の混乱期であり、誰もが食うや食わずの生活を続けていた:萩原)などということは全くの偽善であること、等々、このような解りやすい理屈に国民はなぜ耳をかさないのだろうか。MSAによって明らかに利益をうける人々は別としよう。韓国すら(軍隊の:萩原)二十師団をもつのに日本が四師団すらもたぬのは「信頼」を裏切るものだ、というダレス氏(反共産主義の立場をつらぬいた、アメリカの国務長官:萩原)の意見がいやおうなしに現実化してゆけば、社会保障、教育、治水(これを書いている今、京都で一夜の大雨で百四十人が死んだ)などの予算がいやおうなしに漸減して、損こそすれとくをする筈のない国民大衆が、なぜMSAに反対せず、あるいは無関心なのだろうか。どうせ大衆は無知である、などといってはならない(たんに倫理的にではなく、事実的に日本の大衆は無知ではない)。と同時に、「日本の大衆はこぞって軍事基地に反対している」などというスローガンを現実として受取ってもならない(大衆とは自分たちの説に賛成する少数派という意味ではない)。

 と、ここで、桑原はアメリカから「軍事援助を受けることは憲法違反」だと主張する理屈倒れのインテリの立場を離れ、次に、「大衆」が何を考えているのかについて、自分の考えを述べる。

 そこで、しろうとが感想をのべれば、安保条約、行政協定、保安隊(現在の自衛隊の前身:萩原)、MSA、この一連のものを日本の大衆は喜んで通過させているのではない、と私は思う。大衆はしかしやむをえぬと思っている。なぜか。ソ連が攻めこんで来るよりはマシだというのである。それは真空理論ではないか、それはもうとっくに過ぎ去った問題ではないか。そのとおりである。それは山川均氏らによって打破られ、もはや論壇のトピックではなくなった。しかし、それは大衆の心の中では解決されていない。解決という言葉は不適当かも知れない。それは解決されるような理論的命題としてではなく、いわば心のしこり(原文では「しこり」に傍点あり:萩原)のごときものとしてあるのだから。敗戦後、海外の日本人は抑留された。その待遇は悪かったに相違いない。しかし、他の連合国は早くこれを送還したのに、ソ連のみが長く捕虜をとどめ、その生活は当然苦しかった。その苦しさは被抑留者には理論以前のものとして、一つの基礎体験として身についてのこり、(私の知合の一人を例として考えると)その上恐ソ熱をあおる新聞などの他にほとんど本を読まないとすれば、そのしこり(原文では「しこり」に傍点あり:萩原)は解消しようはない訳である。そして彼は会う人ごとにソ連の恐ろしさを経験に即して語る。人々は理論よりは苦しい体験に同感する・・・。読者諸君がそれぞれ必ず一二例を知っておられることをくどくどいうまい。ただ付けそえたいのは、これは大衆だけのことではないということ。

 ここで、桑原は大衆だけではなく、インテリもソ連の非道な行為に批判的だという例をあげるが、引用が長くなるので、省く。
 要するに、桑原は、以上に述べているように、日本の大衆は安保条約などを喜んで歓迎しているのではなく、「やむをえぬと思っている」だけだという。それは「ソ連が攻めこんで来るよりはマシだ」からだ。そして、次のように、こういう大衆の感情を無視した議論は「雲の中を歩む」議論だという。

 ・・・日本の社会科学は、明治以来次々と導入した西洋の諸理論によって、日本の現状の客観的分析と、それの打開策を立てうるかいなか、今いわば試練の前に立たされているのである。もとよりそれが困難なことはしろうとの私にもわかり、また変転する政治社会においては、希望と現実と混同せぬ客観的分析がプラス・マイナスいろいろの作用をなすので、その公開討論にも配慮が必要かも知れない。しかし、私たちは雲の中を歩んではならないのである。社会科学者の努力に期待して、私はユウウツを語ることを差しひかえよう。

 桑原が主に念頭に置いているのはマルクス主義の立場にたつ社会科学者だろう。彼らに対するこのような皮肉な言葉によって桑原はエッセイをとじる。
 ところで、桑原が以上で述べている大衆の「ソ連が攻めこんで来るよりはマシだ」という感情は、ソ連を中国や北朝鮮に置き換えても同じだろう。いや、大衆だけではない。いまやその感情は、MSAの場合と同様、日本のインテリも共有していると思う。さらに、それは、すでに述べたように、トッドのようなフランスのインテリにまで共有されている感情(トッドのような場合は、論理によって生まれる感情)であるはずだ。だからこそ、いっそう強く、私は桑原にならい、現在日本の左翼メディアや左翼政党に対して「雲の中を歩んではならない」と言おうと思う。