どしゃ降りの一車線の人生

 森有正はそのドストエフスキー論で、人生は邂逅(かいこう)、つまり、出会いだという。私もそう思う。邂逅によって、人生が決まる。とくに学校の先生との出会いは大事だと思う。私ひとりの狭い経験にすぎないが、これまで不登校や引きこもりになった子供や青年たちの話を聞いてきて痛感したのは、ひとりの例外もなく、彼らには、ありのままの自分を認めてくれる教師との出会いがなかったということだ。たったひとりでもいい、そういう自分を無条件に認めてくれる教師がいれば、彼らが不登校や引きこもりになることはなかっただろう。
 そういう不登校の人たちにいやな思いをさせることになるかもしれないが、私には小学校、中学校、高校に、そういう先生がひとりずついた。ひとりずつ!勉強を蛇みたいにきらっていた私に、どうしてそんな幸運が訪れたのか。いくら考えてもよく分からない。そのような先生のうちのひとりである下村先生のことを書いておこう。下村先生については「新聞」で少し書いた。しかし、書いてみて、いちばん大事なことを書いていないことに気づいたので、ここで改めて書くのである。
 そのいちばん大事なこととは、下村先生が酔っ払って国鉄、今はJRのディーゼルカーの前に立ちふさがり、轢(ひ)かれて死んだということだ。夜、加古川駅高砂に向かう線路の上でだったか。
 これを私はあるとき中学校の同級生から聞いた。私たちが中学校を卒業して何十年も経ってからのことだ。私は下村先生らしいと思った。
 その頃、私はよく不登校の子供たちとカラオケに通っていたのだが、行くと、かならず中島みゆきの「あした」を歌うようになった。これは、ひそかに下村先生の冥福を祈ったのだ。ご存知かもしれないが、その歌の歌詞は次のようなものだ。

あした(中島みゆき


イヤリングを外して 綺麗じゃなくなっても
まだ私のことを見失ってしまわないでね
フリルのシャツを脱いで やせっぽちになっても
まだ私のことを見失ってしまわないでね
カーラジオが嵐を告げている
2人は黙りこんでいる
形のないものに 誰が
愛なんて つけたのだろう 教えてよ


もしも明日 私たちが何もかも失くして
ただの心しか持たない やせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても
言えるならその時 愛を聞かせて


抱きしめれば2人は なお遠くなるみたい
許し合えば2人は なおわからなくなるみたいだ
ガラスなら あなたの手の中で壊れたい
ナイフなら あなたを傷つけながら折れてしまいたい
何もかも 愛を追い越してく
どしゃ降りの 一車線の人生
凍えながら 2人共が
2人分 傷ついている 教えてよ


もしも明日 私たちが何もかも失くして
ただの心しか持たない やせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても
言えるならその時 愛を聞かせて


何もかも 愛を追い越してく
どしゃ降りの一車線の人生
凍えながら 2人共が
2人分傷ついている 教えてよ

 と、歌はまだ続く。
 私がいちばん好きな箇所は、

もしも明日 私たちが何もかも失くして
ただの心しか持たない やせた猫になっても
もしも明日 あなたのため何の得もなくても
言えるならその時 愛を聞かせて

 というところなのだが、現在、痴呆老人になりかかっている私からすれば、
 「もしも明日 私たちが何もかも失くして/ただの心しか持たない やせた猫になっても」
 というところは、
 「もしも明日 私たちが何もかも失くして/ただの心さえ持てない やせた猫になっても」
 と変えて歌いたいような気がする。しかし、これは余計なことで、下村先生に話を戻そう。
 私がカラオケで下村先生の冥福を祈りながら歌ったのは次の箇所なのである。

何もかも 愛を追い越してく
どしゃ降りの一車線の人生
凍えながら 2人共が
2人分傷ついている 教えてよ

 私には国鉄ディーゼルカーがこちらに向かってきたとき、それを停めようとして立ちふさがった下村先生の気持が分かる。そのダイダイ色の、いかにも凶悪な姿をしたディーゼルカーは、私たちのどしゃ降りの一車線の人生そのものだ。それは愛を追い越してゆく。そんなものは断固停めなければいけない。下村先生は、酩酊した頭でそう判断したのに違いない。私がそう思うのは、下村先生と私の連帯が、どしゃ降りの一車線の人生を全否定することによって成立していたからだ。