『ドストエフスキー 父殺しの文学』批判(10)

外国人にイソップ言語は分からない
 すでに述べたように(「亀山郁夫とイソップ言語」)、スターリン体制下の「二枚舌(ないしは面従腹背)(двурушничество)」(亀山郁夫、『磔のロシア──スターリンと芸術家たち』、p.59)と、帝政ロシアで使われた「イソップ言語」(эзопов язык)は明らかに違う。
 私は不勉強で、サルトィコーフ=シチェドリーン(1826-1889)のイソップ言語しか研究したことがない。このため、シチェドリーン(これは筆名で、サルトィコーフが本名)のイソップ言語について述べることしかできないが、このドストエフスキー(1821-1881)の同時代人であると同時にライバルでもあった作家は、その諷刺的な作品の中でイソップ言語を使って農奴制を批判した。この批判を可能にしたのは、アレクサンドル二世(在位:1855-1881)即位後の比較的自由な空気だ。もちろん、公然たる体制批判は禁止されていたが、それまでの検閲体制が緩和され、工夫すればイソップ言語による遠回しの体制批判が可能になった。しかし、そのアレクサンドル二世が暗殺されると、検閲はアレクサンドル二世以前の状態に戻り、シチェドリーンのイソップ言語による体制批判も不可能になる。
 と、いうようなことは、シチェドリーンの作品を順に読んでいけば分かることだし、ロシアやソ連で出版された、ロシア帝国における検閲についての研究を読めば分かる。
 繰り返しになるが、ここで注意しなければならないのは、死刑制度のなかった帝政ロシアでの検閲、とくに自由主義的なアレクサンドル二世体制下の検閲と、密告が奨励され、体制批判すなわち死を意味していたスターリン体制下の検閲では根本的にその意味が異なるということだ。これもすでに述べたように、体制批判がそのまま死を意味していたスターリン体制下では、イソップ言語を使って体制批判を行うことなどあまりにもリスクが大きすぎて不可能だった。
 だから、亀山の次の言葉、すなわち、スターリン体制下の「二枚舌(ないしは面従腹背)」と帝政ロシアで使われた「イソップ言語」は同じなので、スターリン時代のイソップ言語を研究してきた自分は、その方法を用いてドストエフスキーの作品における体制批判を研究することができる、という言葉は、ロシアやソ連のことを少しでも知っている人ならすぐに分かる嘘にすぎない。亀山はこの嘘を、すでに紹介したように(「亀山郁夫とイソップ言語」)、2008年2月15日、文科省の委員や役人の前で堂々と述べ、文科省の委員や役人は亀山のその嘘を批判せず、そのまま受け入れた。これは彼らに亀山の嘘が見抜けなかったからだろう。
 文科省の委員や役人に亀山の嘘が見抜けなかったのは、彼らの目が曇っていたからだ。なぜ曇ったのか。それは、亀山の訳した『カラマーゾフの兄弟』がベスト・セラーになったためであるとともに、亀山の、スターリン時代のイソップ言語(=二枚舌)を研究したというふれこみの『磔のロシア──スターリンと芸術家たち』(岩波書店、2002)が朝日新聞社から大佛次郎賞をもらったためでもある。
 『磔のロシア──スターリンと芸術家たち』はいずれソ連研究者たちによって批判されるだろう。また批判されなければならない。私はソ連研究者ではなくドストエフスキー研究者なので『磔のロシア──スターリンと芸術家たち』の批判は彼らに委ねることにして、ここでは外国人研究者にイソップ言語の研究など不可能だということについて説明するだけにする。つまり、スターリン時代であれ、ロシア帝政下であれ、亀山が行ったと述べているようなイソップ言語の研究など、外国人にとっては不可能であるということについて述べてみよう。
 と言っても、それは私が若い頃、シチェドリーンのイソップ言語を研究していたときすでに痛感していたことだ。私がシチェドリーン研究を放棄したのは、そのあまりにも執拗で陰鬱な農奴制批判に辟易したためばかりではない。シチェドリーンのイソップ言語を駆使したその執拗で陰鬱な農奴制批判を毎日読んでいるうちに次第に明らかになってきたのは、私のような外国人にシチェドリーンのイソップ言語など分かるはずがないということだった。これはつまり、マルクスレーニン主義のバイアスのかかったとても正確とは言えないソ連のシチェドリーン研究者のイソップ言語研究を、そのまま無批判に受け入れるしかないということだった。これがシチェドリーン研究を放棄した二番目の理由である。
 なぜソ連の研究者のイソップ言語研究を無批判に受け入れるしかなかったのか。それは、イソップ言語を研究する私のような外国人研究者にはどうしても乗り越えることができない壁があったからだ。当時は自分が愚かな研究に厖大な時間を無駄に費やしてきたことにあまりにも落胆していたので、その壁を冷静に分析することはできなかった。しかし、いま冷静な眼で振り返ると、その壁は三重になっていたことが分かる。その壁について述べてみよう。
山本七平のイソップ言語論
 山本七平は『私の中の日本軍』という自伝的な文章の中で、昭和十二年、『東京日日新聞』(現在の『毎日新聞』)に掲載された「百人斬り競争」という戦意高揚記事を虚報だとして批判している。山本はさまざまな論拠を挙げながら、それが虚報である所以を述べてゆくのだが、その論拠のひとつとして、山本は軍隊内での独特の言葉遣いを挙げる。しかし、いま、その論拠と「百人斬り競争」の関係について述べる必要はないので、山本が軍隊内での独特の言葉遣いについて述べている箇所だけを引用しよう。
 ここで山本が述べていることは、ほとんどそのまま私がシチェドリーンのイソップ言語を読んでいたときに感じたことだ。長い引用になるが、省略せずに引用しよう。山本の文章全般に見られる現象だが、出版社経営のための多忙のためか、明らかに推敲不足の、あるいは説明不足の、意味の通じにくい箇所が時々出現する。それをそのまま引用して読者をいたずらに苦しめるのは良くないと思うので、( )内に私の解釈や注釈を入れることにする。

 ある種の言葉に全く別の意味をこめる、という言い方は、言論が統制され、この統制にひっかかれば処罰されるという社会なら、どこの国でも必ず行われることらしい。こういうことは、大は大なりに小は小なりにいろいろな言い方があるらしい。
 最近ある人から、中国の新聞のブレジネフの農政批判は、実は周恩来攻撃だから、また政変があるのではないか、というような話を聞いた。戦前の日本にもこれとよく似た対米批判があったそうである。
 ただ私はそういう大きいことはわからないが、非常に小さい面、たとえば兵隊に、絶対にひっかからない独特の言い方で、「戦争はいやだ、軍隊はいやだ、早く日本に帰って普通の生活がしたい」という方法があったことは知っている。一番よく使われたのが、「親孝行がしたいょナ」であり、次が「ヨメさんがほしいょナ」である。
 北ヴェトナム兵にもこういう言い方があるらしいことは、「サンデー毎日」編集次長・徳岡孝夫氏の書かれたものの中に時々見つかる。氏の書かれるものは非常に的確で、自分の体験と照らしてみて、時々、よくここまで見抜いたなあ、と思わせるものがあるが、しかしこの徳岡氏ですら、全体主義国家もしくは集団の言葉の二重構造の奥までは見抜けないらしい。しかしこれは見抜けないのが当然で、こういう集団内の言葉は、それを知っている人間同士だけに通ずる一種の暗号のようなものだからである。
 しかし、こういった表面的な言葉の背後に、何かが隠されているのではないかと思い、それを見抜こうとされている徳岡氏の態度は立派だと思う。それがジャーナリストと言うものであろう。それをせずに、表面的な言葉だけを収録して活字にするだけなら、何も人間がわざわざ取材に行く必要はない。テープレコーダーを送ればたくさんだ。
 またこういう集団内の兵士の日記や手紙は、いわば暗号を解読するぐらいのつもりにならないと、なかなか真意はつかめない。もちろんその必要のない本物(真意を吐露した日記や手紙:萩原)が出てくることもあるだろう。しかし、何かを書いてとがめられた場合、それが自分だけですまず、家族にまで一種の危害が及ぶという意識は、そういう社会ではだれにでもある。
 私はフィリピンに行く前に、収集した「軍隊内地下出版物」を相当に処分した。これもその一つ(持っていることが発覚すると、自分だけでなく家族にまで危害が及ぶものの一つ:萩原)である。また豊橋予備士官学校時代、ここでは「日記」をつけるのが義務であったが、多くのものが、この公の日記のほかに「私物の日記」をつけていた。「私物の日記」という言葉がちゃんと存在していたし、現物も存在したし、現にそれを発見されて退学処分になった者がいる。前述の助教N軍曹が、「エエカ、私物の日記をつけとるんなら処分しておけ、退学になったのがいるぞ」と親切に注意してくれて、慌てて処分した者も多かったはずである。
 こういう集団内の人間の真意は、本当に、その言葉の二重、三重、四重の奥を探らないと出てこないのである。従ってこういうものの上っつらだけ眺めて、日本軍はどうの、中国軍はどうの北ヴェトナム軍はどうのこうのという人びとの浅はかさには、私はただただ驚くだけである。もちろん私は北ヴェトナム軍のことは知らない。しかし「天皇の軍隊」と戦争中新聞を飾った「無敵皇軍」「米英撃滅」「滅私奉公」等々のスローガンの背後に、「孝行がしたいょナ」という言葉も、「私物の日記」も、『満期操典』(満期除隊になるまでの軍隊生活を諷刺した地下出版物の一つ:萩原)『満期ぶし』(軍隊内でひそかに歌われていた、徴兵検査から満期除隊までを諷刺した戯れ歌:萩原)も、ホモ的感情(軍隊には女性がいないので、男性を女性に見立てて愛情を注ぐこと:萩原)も存在したことは事実である。ただそれが報道されなかったというだけである。「報道されなかったから存在しない」とはいえないし、「百人斬り」のように、「報道されたのだから事実だ」ともいえない。もちろん北ヴェトナム軍については、徳岡氏の記述から、自分の体験に基づいて類推したにすぎない。しかしこの類推を正しくないという人は、まず旧日本軍の実態と北ヴェトナム軍の実態を完全に調べあげた上で言うべきであろう。どちらの実態も知らず、否軍隊なるものの実態さえ知らないで正しいの正しくないのといっても、無意味である。
 「戦死者は必ず親孝行」とか、「兵隊はみんな孝行者」とかいう、ちょっと自嘲的な言葉があった。戦争中の新聞をひっくりかえして、壮烈な戦死をとげた者の報道を見つけたら、そこを読まれればよい。必ず「親孝行」であったと書かれているはずである。
 だが「孝行」──この言葉の意味は、世間一般の人の意味とは違うのである。当時の日本はいわゆる核家族ではなかった。従って、一家族には両親がおり、ヨメさんがおり、子供がいる、というのが普通の市民の生活であった。従って「親孝行がしたいょナ」というのは、それができるそういう生活にもどりたいということ、いわば、戦争も戦場も軍隊もいやだ、普通の平和な市民生活にもどりたいということに外ならないのである。
 そして当時の日本の道徳律は「忠孝」であったから、たとえ兵士が「ああ親孝行をしたい、ああ親孝行がしたい」と言っても、「親孝行がしたいとは何事ダッ」といってとがめる人間は、軍隊の中にもいないのである。せいぜい「親孝行が十分にしたいとは感心である。だが今はお国のため精一杯働くことが真の親孝行デアル」ぐらいのことでおしまいになるのであった。
 従って親孝行という言葉は、兵士の精一杯のレジスタンスなのである。「お母さん」とか「親孝行がしたかった」という、死期近い兵士の言葉には、今の人には考えられないくらい広い広い深い意味があった。それはひと言にしていえば、平和がほしい、平和がほしかったということである。私には、戦後の騒々しい「平和」の叫びより、この無名の兵士たちの「親孝行がしたかった」という言葉の方が、はるかに胸にこたえる。
 こういった現象は言葉だけでなく行為や挙止にもある。「無敵皇軍」は「一死報国」だから、決死隊をつのれば全員が手をあげる──という話は必ずしも嘘ではない。しかし、全員が手をあげれば、結果においては、だれも手をあげないに等しいのである。そして古い親切な下士官は、常にこういった種類のことをよく心得て、背後からみなに予め注意してくれたものである。従って、自由意思なき全体主義集団で全員が手をあげる、ということの意味を、今の常識で判断してはならない。しかしそれが今の人にわからなくなってしまったということは、大変にありがたいことだと私は思う。そういう知恵が必要とされる社会には、二度となってほしくない。(太字は萩原による)(山本七平、『私の中の日本軍』(上)、文春文庫、2003(第9刷)、pp.325-328)

 イソップ言語とは結局、ここで山本が例としてあげている、兵隊の「親孝行がしたいょナ」とか「ヨメさんがほしいょナ」というような言葉のことだ。
 しかし、先の戦争での軍隊経験をもたない、たとえば私のような者は、兵隊の「親孝行がしたいょナ」「ヨメさんがほしいょナ」という言葉に、まさかレジスタンスの意味が込められているとは思わない。自分が経験していないことを私たちは了解することができない。これはいくら想像力が豊かな人でも同じだ。経験していないことにいくら想像力を働かせても、それは空想や妄想になるだけだ。
 ガストン・バシュラールが『空と夢』の冒頭で述べているように、想像力とは無から有を作り出す力ではなく、ある存在を歪形する力にすぎない。経験していないことに対して私たちの想像力は働かない。このような事態については、このブログの「リアリティとは何か(1)」と「リアリティとは何か(2)」、さらに、そこで引用した拙論「ゴーゴリとワイルドのキャンプ──文学と同性愛について(5)」(ゴーゴリとワイルド(5).pdf 直)で詳しく述べた。要するに、私たちは経験していないことについては沈黙するしかない。沈黙しないであれこれ言うとすれば、嘘つきか妄想狂になる。
 山本が言うように、それがどのようなイソップ言語であるかを判断するためには、少なくともそのイソップ言語が使われている集団内で生き、その集団を熟知していなければならない。山本が言うように、「こういう集団内の人間の真意は、本当に、その言葉の二重、三重、四重の奥を探らないと出てこない」。その真意を探ることができて初めて、ある言葉がイソップ言語であるか否かが判断できるようになる。このため、私はシチェドリーンのイソップ言語を研究するのをあきらめたのだった。
 つまり、私がシチェドリーンの生きていた「集団」に生きていないということは明らかなのである。その「集団」はこの場合、三層構造になっていると言えるだろう。すなわち、シチェドリーンが生きていた「集団」とは、(1)ロシア語を母語とするロシア人の集団、(2)19世紀ロシアのロシア人の集団、(3)主にアレクサンドル二世治下で活動した文学者集団の三層からなる。私はこの層のどこにも属していない。だから、いくら頑張っても、シチェドリーンの使ったイソップ言語の意味を了解できるはずがないのだ。
 これはシチェドリーンの同時代人ではないソ連のシチェドリーン研究者にしても同じだ。しかし、彼らはロシア語を母語とするロシア人なので、少なくとも(1)の条件だけは満たしている。つまり、彼らは実感としてロシア語が分かるので、その実感を基礎にして、(2)と(3)をロシア人としての経験や読書による歴史的知識によって補えば、ある程度正確にイソップ言語を了解することができるだろう。
 しかし、彼らとは違い、日本語を母語とする私にはロシア語が実感できない。すでに「ドストエフスキーと最初の暴力(承前)──共通感覚について.pdf 直」で詳しく述べたように、「外国語を読むとは、私たちが一時健康な人間であることをやめ、離人症患者になって読むということ」なのである。従って、ロシア語が実感できない私がいくら(2)と(3)を読書による歴史的知識によって補ったところで、そもそもロシア語が実感できないのだから、イソップ言語を実感として了解することなど到底不可能ということになる。このため、私はマルクス=レーニン主義イデオロギーに凝り固まったソ連のシチェドリーン研究者の意見をそのまま拝聴するしかなかったのだ。また、そんな屈辱的な研究に耐えかね、私はシチェドリーンのイソップ言語を研究するのを放棄したのだった。
 ところが、驚くべきことに、亀山は私とは違って、文科省の委員や役人の前で、自分はこれまでスターリン時代のイソップ言語の研究を続けてきたし、ドストエフスキーのイソップ言語の研究もしていると述べたのだ。再び引用するが、亀山は次のように言ったのだった。

 先ほどの「教養知」と最先端的研究という、この一つの実例というのを、自分に照らして提示したいと思うわけです。そこまで君はナルシストかとのそしりを恐れつつも、自分なりにひとつ言いたいことがあるんですね。私がドストエフスキー研究に入り込んだのは、この過去5、6年です。結局、ドストエフスキーの研究は、私の研究は今最先端だと自分なりに自負しているんですね、少なくとも日本においては。問題は、なぜそう自負できるか、という点にあります。私は、ロシア・アヴァンギャルド研究の後に8年間ほどスターリン文化研究に励みましたが、そのスターリン文化研究の構造をそのままドストエフスキー研究に持ち込んでみたわけです。そこでどういう発見があったかというと、例えば10代の後半、終わりから、大学時代から営々とドストエフスキー研究を積み重ねた人たちは、50代の後半になったら新鮮な想像力も何もすべて失っているんですね。ほとんどドストエフスキーのテクストになまで感動するということはない。テクストの細部から何か新しい真実を見出していくということがほとんどできなくなっていて、目新しい視点、発想はほとんどゼロなんです。

 しかし、亀山は、自分はそんなボンクラではない、と言いながら、自分はこれまでスターリン時代のイソップ言語を研究してきたので、ドストエフスキーのイソップ言語を研究することもできるのだと断言する。

 それはほんとうかという疑問をお持ちになる方もいるかもしれませんが、例えば私がスターリン研究、スターリン文化研究から持ち込んだ一つの例を挙げると、独裁権力のもとで、20世紀ロシアの知識人たちというのは、いわゆる二枚舌という方法。これはロシア語でイソップ言語と言うんですが、いかに権力に対して自分の一種の良心というもの、つまり、良心に恥じずにストレートに自己表現したら当然粛清されるという構図があるわけですからね。で、優れた芸術家たちはみな、自分の芸術家としての良心をテクストの底に織り込ませるかということをやっているわけです。そうすると、例えばスターリン賛美のテクストを書いたにしても、その根底には非常にあいまいな何かが潜むわけですね。そこの部分というのは複雑な構造をなしていくわけです、今言った二枚舌の構造です。決して権力に見破られることはない。ただし、スターリン権力が終わった後には発見できるような構造として出すわけです。そうでないと実際に困ります。
 その二枚舌の構造のあり方というものをドストエフスキーのテクストに当てはめたらどうだろうか。すると、ドストエフスキーというのは、皇帝権力のもとで死刑宣告まで受けた作家ですから、当然、彼の文学のテクストというものも、やはり権力への賛美、権力への賛美というのは、皇帝賛美、ロシア正教賛美という形で出てくる権力賛美ですね、その賛美の下に、若い時代の彼が経験したユートピア社会主義者としての一面、革命家としての一面とでもいいましょうか、いわゆる反体制的な言説が、作品の内部にどのような形で織り込まれていくかという、この二重構造を見きわめる作業になっていくわけですね。

 繰り返すが、ここで亀山は、私がシチェドリーンのイソップ言語を研究するさいに感じた壁などまったくものともせず、これまでスターリン時代のイソップ言語を研究してきたと述べているのだ。

・・・今言った二枚舌の構造です。決して権力に見破られることはない。ただし、スターリン権力が終わった後には発見できるような構造として出すわけです。そうでないと実際に困ります。

 さらに、これも繰り返すが、亀山はドストエフスキーのイソップ言語も研究している。

・・・皇帝賛美、ロシア正教賛美という形で出てくる権力賛美ですね、その賛美の下に・・・いわゆる反体制的な言説が、作品の内部にどのような形で織り込まれていくかという、この二重構造を見きわめる作業になっていくわけですね。

 これはつまり、山本七平風に言えば、亀山はスターリンの同時代人であるソ連の芸術家であると同時に、ドストエフスキーの同時代人であるロシア帝国の文学者であるということになる。要するに、日本人である現在の亀山と、スターリン時代のソ連人である亀山と、アレクサンドル二世時代の亀山という風に、三人の亀山が存在していることになる。だから、これは誰にでも分かるはずの子供じみた嘘にすぎない。
 亀山が本当にドストエフスキーのイソップ言語を研究しているのかどうかについては、いずれ検討することにして、ここでは最後に、亀山自身の二枚舌あるいはイソップ言語を紹介しておこう。亀山は先の文科省での発言の4年前、『ドストエフスキー 父殺しの文学』の後書き(2004年7月7日)で、次のように書いたのだった。

 わが国には、世界的とされるドストエフスキー研究者が何名かいる。本書はそれらの人々の仕事に多くを負っている。ここであえて名前を記すことはしないが、私がもっとも信頼する友人の一人、望月哲男氏に校正刷りを丁寧に読んでいただき、数々の有益なアドバイスができたのは何よりもの幸いだった。もちろん本書のいかなる不備も、著者である私の責任である。(『ドストエフスキー 父殺しの文学』(下)、p.315)

 つまり、亀山によれば、「わが国には、世界的とされるドストエフスキー研究者が何名かいる」(2004年の亀山の言葉)のだが、その「世界的とされるドストエフスキー研究者」たちは全員「50代の後半になったら新鮮な想像力も何もすべて失っている」(2008年の亀山の発言)ボンクラなのである。「世界的」な研究者が「新鮮な想像力も何もすべて失っている」ボンクラであるはずはないだろう。それともその「世界的」な研究者たちは、今では「新鮮な想像力も何もすべて失っている」化石のような存在になっているということか。どう考えても意味が通らない。だから、ここで亀山はイソップ言語を使って或る事実を私たちに伝えようとしているのだ。私の解読によれば、そのイソップ言語は次のような意味を含んでいる。

 あえて名は伏すが、わが国には自分こそ世界的な研究者だとうぬぼれているドストエフスキー研究者が若干名いる。しかし、彼らはすべて「50代の後半になったら新鮮な想像力も何もすべて失っている」愚か者にすぎない。私をそんな連中といっしょにしてもらっては困る。私こそ真の世界でトップレベルのドストエフスキー研究者なのだ。

 この解読が正しいかどうかは別にして、私が亀山のイソップ言語を解読できると思うのは、(1)私が日本語を母語とする日本人であり、(2)亀山の同時代人であり、(3)亀山と同じように日本でロシア文学を研究している者であり、亀山と同じようにドストエフスキーを研究している者であるからだ。私がこの3つの条件のひとつでも満たさないとすれば、私には亀山のイソップ言語の解読は不可能なので、解読しようとは思わなかっただろう。
 亀山にしてもこれは同じだ。亀山はスターリン時代の芸術家やドストエフスキーのイソップ言語を解読していると述べているのだが、亀山は(1)ロシア語を母語とするロシア人ではないし、(2)スターリン時代の芸術家の同時代人でもなく、アレクサンドル二世治下に生きたドストエフスキーの同時代人でもない。また、亀山は(3)スターリン時代を生きた芸術家でもなければ、アレクサンドル二世治下に生きたドストエフスキーのような作家でもない。亀山は日本でロシア語を読んで暮らしている日本人のロシア文学研究者にすぎない。要するに亀山はスターリン時代の芸術家やドストエフスキーのイソップ言語を解読するための条件をまったく備えていないのだ。
 従って、亀山にできることは、私が昔シチェドリーン研究でやったように、ロシア人研究者のイソップ言語の研究をそのまま無批判に受け入れることだけだ。しかし、亀山はそんなことはしない。文科省の委員会で述べているように、亀山はスターリン時代の芸術家のイソップ言語を解読し、今はドストエフスキーのイソップ言語を解読しているのだ。文科省の委員や役人たちはこんな亀山のホラ話を無批判に受け入れたのだから、こんな委員会など不要ではないのか、と言う人がいるかもしれない。しかし、少なくとも亀山がホラ吹きだということを公にしただけでも存在意義があったと言うべきだろう。