『ドストエフスキー 父殺しの文学』批判(3)

亀山のドストエフスキー論における根本的な矛盾
 前回述べたように、ジラールは、ドストエフスキーによる模倣の欲望の発見によって初めて、フロイトエディプス・コンプレックスの概念、そして、その概念から派生した『トーテムとタブー』の「父親殺し」のシナリオも根底から否定されたと述べている。つまり、ジラールは、ドストエフスキーによって、エディプス・コンプレックスに基礎をおいた精神分析の多くの理論が否定されると同時に、フロイトの論文「ドストエフスキーと父親殺し」も否定されていると述べているのである。ジラールは謙虚にも、模倣の欲望の発見をドストエフスキー自身の功績のように述べているが、その功績はもちろん、ドストエフスキーによるその発見を発見したジラール自身の功績でもある。
 このように、ジラールによれば、ドストエフスキー自身が、「父親殺し」(亀山の用語では「父殺し」)を議論の出発点にするドストエフスキー論をすべて否定していることになる。従って、ジラールによれば、当然、亀山の『ドストエフスキー 父殺しの文学』もドストエフスキー自身によって否定される。 
 ここで記憶を取り戻すため、『ドストエフスキー 父殺しの文学』批判(1)で引用した亀山の『ドストエフスキー 父殺しの文学』の序文から再び引用しておこう。

 本書は、ドストエフスキー文学における最大の謎とされる「父殺し」の主題を扱っている。しかし「父殺し」における「父」とは、作家の父ミハイル・ドストエフスキーを意味するにとどまらない。それどころか、絶大な皇帝権力のもとに生きるロシア知識人、いやロシア社会全体を包みこむ主題だったと述べても少しも過言ではない。議論の出発点になるのは、オーストリア精神分析学者ジークムント・フロイトが著した「ドストエフスキーと父殺し」だが、本書に託したねらいは、その紹介にも応用にもなく、むしろフロイトからどれほど自由に、そして遠くまで行けるか、つまり冒険できるかという点につきる。
 これから本書を読みすすめていく読者に対し、あらかじめ一つの点について注意をうながしておこう。本書のなかで私は、「父殺し」という表現とともに「使嗾(しそう)」という語をキーワードのようになんども用いることになる。「使嗾する」とは「他人を唆(そそのか)す」の意味であり、一般には「教唆(きょうさ)する」がより多く使われるようだが、本書では、あえて「使嗾」の語を用いることにした。「使嗾」という語がより微妙にはらむ「不確実性」のニュアンスを大事にしたいと考えたからである。ただし、本文中にはそ、その認識をふまえたうえで両者を使い分けた部分もある。(太字は萩原による)(亀山郁夫、『ドストエフスキー 父殺しの文学』(上)、pp.6-7)

 亀山はこのように、「フロイトからどれほど自由に、そして遠くまで行けるか、つまり冒険できるか」と言って逃げ道をあらかじめ作ろうとしているが、「議論の出発点」がフロイトの「ドストエフスキーと父殺し」であることは動かない。従って、亀山のドストエフスキー論が、ジラールによれば、ドストエフスキー自身によって否定されていることに変わりはない。
 ところが、そんなことにはおかまいなしに、亀山はフロイトの「父親殺し」のシナリオを議論の出発点にし、そして、あろうことか、そのフロイトの「父親殺し」を否定するジラールドストエフスキー論をそっくり真似ながらドストエフスキー論を書いているのだ。
 さて、ここで、これまで指摘してきた亀山のドストエフスキー論における根本的な矛盾を指摘しておこう。その矛盾は次のように要約できる。この要約を読むだけでも目が回るだろう。血圧の高い人は読まないでほしい。血管が破裂するから。

 亀山郁夫の『ドストエフスキー 父殺しの文学』における根本的な矛盾。
(1)ジラール(あるいはドストエフスキー)によって否定されている、フロイトの「父親殺し」のシナリオを議論の出発点にして『ドストエフスキー 父殺しの文学』を書いていること。
(2)フロイトの「父親殺し」のシナリオを否定しているジラールドストエフスキー論を剽窃しながら『ドストエフスキー 父殺しの文学』を書いていること。

 (1)についてはこれまで詳しく述べた。(2)については問題の所在を明らかにしただけで、まだ具体的には何も述べていない。従って、これから(2)について述べてゆこう。

ジラールを理解できない亀山郁夫

 これまで何度も述べてきたように、ドストエフスキーの小説を理解するためには、自らの自尊心に気づいていなければならない。自らの自尊心に気づいていないような事態を指して私は「自尊心の病」と名づけたのだった。自尊心の病に憑かれた者はドストエフスキーの小説を理解することができない。と同時に、ジラールドストエフスキー論も十分理解することができない。
 ジラールはそのような自尊心を「地下室的な自尊心」と名づけ、次のように説明する。

 奇妙なことに、地下室的な自尊心は平凡な自尊心である。もっとも激しい苦しみは、主人公が周囲の人々から具体的に「自己を際だたせる」ことに成功しないという事実から発生する。(『地下室の批評家』、p.77)

 亀山が自分の自尊心に気づいていないことは明らかだ。このため、亀山はドストエフスキーの小説やジラール理論が理解できない。こう言うと、それは萩原の独断だと言う人が現れるかもしれない。そこで、亀山が自らの自尊心に気づいていないということを亀山自身に語ってもらうことにする。
 亀山は「自己を際だたせる」ことができなかった時代の苦しさを「「人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第9回2008年2月15日)」で、次のように回想する。

 そうした中で、私は、ある時点から戦術転換を決意しました。一人の文学者として生きていくために戦術転換を図ったというようなことがあるわけです。私は 40歳になるまで一冊も本をあらわすことができず、苦しみました。私の本来的な専門は、20世紀ロシアの前衛芸術運動、今日、ロシア・アヴァンギャルドと呼ばれている運動です。私は、40歳のときに、この運動を先駆的に率いてきた詩人の伝記を書いたんですね。そのとき、その1冊の本、たまたま中沢新一さんが注目をしてくれたのが大きな励ましになりました。「1980年代に書かれた最良の本の一冊」であるとか過大な褒め言葉を新聞に書いてくださったのです。それに着目した編集者たちが何人かアプローチしてきて、自分が自分なりに地道にやってきた研究が、それほど時代の流れからはずれたものではないという認識に立つことができました。しかし、そこに至るまでの道筋というのは、非常に苦しかったですね。ほんとに暗中模索のまま20年近くがんばってきたわけですが、どうせこの本を書き上げても、おそらく10人も20人も読者はいないだろうという、そのぐらいの孤立感、孤独感で書き続けてきた本でした。

 私が不思議に思うのは、亀山の「どうせこの本を書き上げても、おそらく10人も20人も読者はいないだろうという、そのぐらいの孤立感、孤独感で書き続けてきた本でした。」という言葉だ。
 学術論文を書く者にとって、自分が繰り返し読みたい論文を本にして出版することができれば、もうそれだけで満足すべきだろう。本が売れないと本屋は困るだろうが、書いた本人は困らないだろう。逆に、何かの拍子に自分が読みたいとも思わない論文をまとめて出版してしまったとすれば、人に読んでもらうのは恥ずかしいだろう。いずれにせよ、学術論文を書く者にとって、人が読む、読まないというのはどうでもいいことであるはずだ。ところが、亀山は多くの人に読んでもらえるようになるまでの「道筋というのは、非常に苦しかった」という。つまり、亀山にとって自分の書く論文の内容が重要なのではなく、自分が人に知られることの方が重要なのだ。
 これはつまり亀山が「自己を際だたせる」(ジラール)ことをもっとも重要視していることを表している。また、亀山は「自己を際だたせる」ことができなかった時代を回想して「非常に苦しかった」と述べているのだが、自分のこのような言葉を何とも思っていない。ばかりか、今も亀山にとって有名になりたいと思うのは恥ずべきことでも何でもない、ということがよく分かる発言だ。要するに、亀山は自分が自尊心の病に憑かれていることに気づいていない。
 このような人物がジラールの模倣の欲望論を使ってドストエフスキーの小説を論じているのだ。そのドストエフスキー論が奇怪なものになるのは当然だ。
 たとえば、亀山は次のようにいう。

 そのベリンスキーが、四八年五月に三十七歳の若さで夭折する。ドストエフスキーが二度目に癲癇の発作を経験するのは、この「師匠」の死を知らされた時とする説があるほど、その衝撃は大きかった。ジラールの解釈によると、そもそもベリンスキーに対する傾倒は、今はなき父親に対する裏切りであり、その傾倒そのものが父殺しとしての意味を帯びていたという。なぜなら、ベリンスキーがめざした究極の目標とは、政治的なレベルでの父殺しである帝政打倒にあったからだ。帝政打倒は、とりもなおさず、皇帝暗殺を意味する。(『ドストエフスキー 父殺しの文学』(上)、p.84)

 ここは亀山のドストエフスキー論にとって要になる重要な箇所であるはずだが、この文章を読んで理解できる者がいるだろうか。亀山によれば、ジラールは、ドストエフスキーの「ベリンスキーに対する傾倒は、今はなき父親に対する裏切りであり、その傾倒そのものが父殺しとしての意味を帯びていた」という。つまり、ベリンスキーというドストエフスキーにとっての「第二の父」への傾倒は、「第一の父」である実の父に対する裏切りになる。ここまでは分かる。
 しかし、なぜその「父殺し」が「政治的なレベルでの父殺しである帝政打倒」になるのか。ジラールのいう「父親殺し」とは「政治的なレベルでの父殺しである帝政打倒」だったのか。どうも変だ、と思ってジラールの『地下室の批評家』を読み返すと、ようやく亀山が出鱈目を言っていたことが分かる。
 ジラールは次のようにいう。長い引用が続くが、是非読んでいただきたい。ドストエフスキーに親しんでいない人にとっては読むのはつらいだろうが、読めば亀山がいかに愚かなほら吹きであるかが分かるはずだ。

 シャートフをめぐる挿話によって汎スラブ主義の克服が、キリーロフをめぐる挿話によってニヒリズムの克服が開始されるが、この二つの克服はともに『カラマーゾフの兄弟』において完成するだろう。この最後の小説の清燈さは『悪霊』には全然ない。スタヴローギンの精神が、物語にちりばめられている報復的な戯画に発散している。ヴェルホーヴェンスキー教授や、文学上の仇敵ツルゲーネフの姿が容易に認められるカルマジーノフなどだ。文壇にデビューした頃の積もり重なる恨みが表面に浮かび上がってくる。〈とり憑かれた者たち〉のいくつかの言葉はベリンスキーその人から採られており、それはベリンスキーの書簡集で見ることができる。たとえばこの批評家は、「人類の一部だけでも幸福にするためには、その残余を剣と銃で絶滅する」用意があるといった。そして徹底的な無神論を表明して、一八四五年、ゲルツェン宛の手紙には、「私は神とか宗教とかいう言葉には、蒙昧主義、暗黒、鎖それに鞭しか見ません」と書いていた。フョードル・ミハイロヴィチ(ドストエフスキーのこと:萩原)はベリンスキーのキリスト攻撃に恐れをなしたが、彼の社会的メシアニズムには深い印象を受けたのである。
 この小説(『悪霊』のこと:萩原)は同時代のいくつかの事件からプロットを借りている。そして、ペトラシェフスキー・サークルの思い出がそのもっとも重要な部分を提供しているが、小説全体が長年ドストエフスキーの生活を支配した男に抗っている。若年の作家が、救済者にして、自分を無から有へと引き上げた男であるベリンスキーに、父親の存命中にはけっして顕在しなかった息子としての愛情を抱いたのは、ほぼ確かである。ツルゲーネフのグループと仲違いをしたのち、ドストエフスキーはしばらくベリンスキーとの交際を続けていたが、この批評家もまた結局、かつて面倒をみてやっていた男を嫌悪するようになった。彼は『貧しき人々』以後の全作品を断罪し、そしてこの処女作に対してたいへん軽率にまき散らした讃辞を取り消すにまで至るのだ。たとえば『家主の妻』のドストエフスキーについて、ある友人に宛てこのように書いている。「これは愚作の最たるものです・・・彼の最近の作品はみな一作ごとにいっそう悪くなっていきます・・・私たちはドストエフスキーの天才については見事にだまされました・・・私は批評家として第一者でありながら、何も理解しませんでした。」
 真実と欺瞞、洞察力と素朴な自尊心の混在しているこの手紙自体が地下室的である。若き作家に完全なる存在を授けたのち、ベリンスキーはこの不肖の息子を嫌悪し、再び無のなかへ突き落としたのだ。(以下略)(『地下室の批評家』、pp.123-124)

 ジラールがいうように、ドストエフスキーは自分を「無から有へと」引き上げてくれた批評家ベリンスキーに「父親の存命中にはけっして顕在しなかった息子としての愛情」を抱く。しかし、そのベリンスキーがドストエフスキーを嫌悪するようになる。このため、ドストエフスキーは自分の第二の父親であるベリンスキーと決別し、ジラールによれば、革命的無神論の一枚上を行こうとして、「本物の」革命家たちと交際し始める。
 ジラールによれば、「当時、ドストエフスキーが送っていたのは「分身」的な生活であり、彼の存在のイデオロギー的な側面はベリンスキーの模倣」なのである。このため、ドストエフスキーは一八四九年四月一五日、ペトラシェフスキー・サークルでベリンスキーのゴーゴリ宛の手紙を朗読する。しかし、聴衆の中に密告者がいたため、ドストエフスキーは逮捕されてしまう。
 このようなドストエフスキーの心理についてジラールはこういう。

 ベリンスキーが若い讃美者(ドストエフスキーのこと:萩原)に抱かせた感情は最初から分裂を助長するものだった。ドストエフスキーは国際主義者で、革命的かつ無神論的思想家の「養子」となって、父親の思い出を裏切るという印象をかならずもったに違いない。彼の父親がもしベリンスキーの思想に接していたなら、驚愕しただろう。この批評家の影響は息子の父親に対する有罪感を強めたのである。
 師が弟子に国民的、宗教的伝統すなわち父祖の伝統に、観念の内においてであっても、刃向かうように教唆するごとに、弟子には師があらたなる「父親殺し」をそそのかしていると思われた。帝政ロシアにおける全人民の父としての皇帝その人への一切の攻撃は、あるいはその攻撃を意図することだけでも、すでに冒涜的な性格を帯びていたので、ベリンスキーと「父親殺し」の連想はさらに強化される。(『地下室の批評家』、pp.126-127)

 ここでジラールドストエフスキーには、実の父親とベリンスキーという二人の父親がいると述べる。要するに、ここでジラールがいうドストエフスキーの「父親殺し」とは、まず第一に、ドストエフスキーがベリンスキーという「国際主義者で、革命的かつ無神論的思想家の「養子」となって、父親の思い出を裏切る」ことを指し、次に、ベリンスキーのように「帝政ロシアにおける全人民の父としての皇帝その人への一切の攻撃は、あるいはその攻撃を意図する」ことを指す。
 ここで注意しなければならないのは、ジラールがここで文字通りの「父親殺し」のことを述べているのではないということだ。ジラールは、模倣のモデルでありライバルを「父親」と名づけ、そのモデルでありライバルである「父親」を乗りこえ、一枚上をゆくことを「父親殺し」と名づけているだけだ。
 要するに、ドストエフスキーはベリンスキーという著名な批評家の「養子」になることによって無名の実の父親の一枚上を行くことになる。こうして彼は最初の「父親殺し」を行い、次に、「第二の父親」であるベリンスキーの革命思想に同一化することによって、実の父親の保守的な思想を乗りこえ第二の「父親殺し」を行うのだ。
 このような事態を要約して亀山は先に引用した文章で次のように言ったのだった。

ジラールの解釈によると、そもそもベリンスキーに対する傾倒は、今はなき父親に対する裏切りであり、その傾倒そのものが父殺しとしての意味を帯びていたという。なぜなら、ベリンスキーがめざした究極の目標とは、政治的なレベルでの父殺しである帝政打倒にあったからだ。帝政打倒は、とりもなおさず、皇帝暗殺を意味する。

 なるほど、この愚かな要約はジラールの考えを表面的になぞってはいる。しかし、この要約にはジラールのいう「模倣の欲望」=「父親殺し」という考えがまったく反映されていない。このため、亀山の要約だけを読む者は、ジラールのいう「父殺し」とは文字通りの「父殺し」、すなわち「政治的なレベルでの父殺しである帝政打倒」だと思うに違いない。この文章はそうとしか読めない。
 しかし、それは間違いで、亀山の言うような「政治的なレベルでの父殺し」などない。あるのは「心理的なレベルでの父殺し」、つまり「模倣の欲望」だけだ。ここでジラールは、ドストエフスキーが「第二の父親」であるベリンスキーの欲望、すなわち、「皇帝暗殺」の欲望を横取りし、実の父親の一枚上を行こうとしている、ということを述べているだけなのである。
 亀山の先の要約がジラールから離れて意味不明のものになっているのは、亀山自身、ジラール理論とフロイト理論の関係が分からず、従って、ジラールのいう「模倣の欲望」=「父親殺し」という考えが何を意味しているのかも分からず、混乱に陥っているからだ。しかし、たとえ、ジラール理論とフロイト理論の関係が分からなくとも、先の文の続きであるジラールの次の文を読めば、「模倣の欲望」=「父親殺し」であるということははっきり分かるはずなのである。

 ドストエフスキーとの決定的な決裂から一年もたたないうちに、ベリンスキーは死んだ。この作家が一生苦しむことになる癲癇、あるいは疑似癲癇の発作がいつ始まったのか、正確には知られていないが、われわれに伝えられている最初の二つの発作の初めのほうは、父親が殺害されてしばらくのちの、ある葬式の最中に起こっている。葬式が息子の記憶に深く埋もれた悲劇的な出来事を思い起こさせたのだろう。そして二度目がベリンスキーが死んだという知らせを聞いたときである。だから、このときドストエフスキーの上で閉じられようとする挫折の輪は、もともとの本質からして、父親殺しの輪なのだ。徒刑場での四年間によって発狂から救われたとこの作家が断言するとき、彼はおそらくたいして間違ってはいなかったのだ。
 いうなれば、これは父親殺しの宿命なのである。反逆児は父親から逃れるために、ベリンスキーの影響下に入るが、ほどなくまた父子関係に陥り、父親殺しが繰り返される。ベリンスキーが父親の分身となり、スペシネフがベリンスキーの「分身」となる、等々。自由を手に入れようとするあらゆる努力は最初の周期を反復し、縮めるだけなのだ。したがって、父と子の関係について考えることは、地下室的構造について、崇拝されるモデルを兼ねている憎悪されるライバルとの関係について再度考えることであるが、さらにこの構造を本当に初源的な水準において捉えることなのである。したがってこれまでのテーマに追加される形で「父親のテーマ」があるのではなく、これまでのすべてのテーマの反復および深化があるのだ。われわれはようやくもっとも苦痛に満ちた地点、あらゆる病的な現象を統括する場、あらゆる地下室のメカニズムが隠蔽しようと努めるものへと到達する。(『地下室の批評家』、p.128)

 ここでジラールがいう「あらゆる地下室のメカニズムが隠蔽しようと努めるもの」とは模倣の欲望のことだ。父親にたいして息子が模倣の欲望を抱くとき、それは「父親殺し」という幻想の形をとる。また、自らの自尊心に気づかない者は、いたるところにモデルでありライバルである「父親」を探し求め、その「父親」を乗りこえ、「父親殺し」を完成させようとする。
 しかし、たとえ一人の「父親」を乗りこえたとしても、すぐさま新たな「父親」が現れるので、主体が自らの自尊心に気づかないかぎり、「父親殺し」は無限に反復される。その反復は次第に短い周期のものになり、主体を狂気に追い込む。
 回心せずその狂気から抜けだすためには、シベリアに流刑になったドストエフスキーのように、模倣の欲望にエネルギーが供給できないような最低の生の環境に追いやられるしかない。
 すでに述べたように、ここで述べているような模倣の欲望は特殊な欲望ではなく、亀山のような「平凡な自尊心」の持ち主が抱く欲望にすぎない。しかし、亀山自身、自分のその自尊心に気づいていないので、ジラールのいう「模倣の欲望」=「父親殺し」という考えが理解できない。このため、亀山は上のようなジラールの言葉を読んでもよく理解できず、自分の出鱈目なジラール理解を『ドストエフスキー 父殺しの文学』で吹聴し続けている。その例を紹介すれば誰もがその滑稽さに腰を抜かすだろうが、それは次回に。