蟻の兵隊

 ブログ「連絡船」の木下和郎さんに教えてもらったドキュメンタリー映画蟻の兵隊』をようやく見ることができた。その映画に登場する元日本兵奥村和一さんへのインタビューを収めた『私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵 』(岩波ジュニア新書)も読むことができた。さらに、その映画を撮った映画監督の池谷薫さんの『蟻の兵隊』(新潮文庫)もいま読んでいる。
 映画『蟻の兵隊』でいちばん印象に残った場面は、奥村さんが中国の寧武(ねいぶ)を再訪する場面だ。奥村さんは寧武で、自分たちが「処刑」した中国人のうち、偶然脱走して生き延びた一人の中国人、しかし今は亡くなっている中国人の息子と孫から当時の話を聞くことになる。初年兵であった奥村さんは、兵隊として度胸をつけるため、上官から強制され、ある農民を「刺突」する。つまり、銃剣で突き殺す。
 奥村さんは、話を聞いているうちに、初めて、その自分たちが殺した中国人が農民ではなく、日本軍が管理していた炭坑の警備隊員だったということを知る。奥村さんの顔が一瞬喜びに輝く。奥村さんが殺したのは日本軍の炭坑を守るべき警備隊員だったのだ。その炭坑が八路軍(共産軍)に襲撃されたとき、警備隊員たちは戦わず、すぐ降伏したのだ。その振る舞いを日本軍は中国人同士の「内通」と疑い、処刑した、ということを奥村さんは知る。奥村さんは何の罪もない中国の農民を殺したと思い、それまで良心の呵責に苛まれていた。ところが、自分が殺したのは、日本軍に対して背信行為を行った中国人警備隊員だったのだ。だから、自分には罪はない。そう思って奥村さんの顔は喜びにつつまれる。
 勢いづいた奥村さんは、あっというまに昔の兵隊に戻ってしまい、警備隊員の息子と孫を追求し始める。しかし、奥村さんが「刺突」した警備隊員は、自分から志願して警備をしていたわけではないだろう。日本軍に強制されて警備していただけだろう。そのことを忘れて奥村さんは逃げた警備隊員の息子と孫を追求し始める。そのときの自分の心の動きを奥村さんはこう回想している。

(略)「警備隊員だったら日本軍の規律を知っていたはずだ。八路軍と内通したことが分かれば処刑されるのは当たり前だろう。私が殺したことが悪いのではなく、殺されたお前たちのほうが悪いんだ」と思いこんでしまったのです。
 このときの私は昔の日本兵にもどってしまいました。軍隊の論理で彼らを追求してしまったのです。
(略)そのときの心境を言えば、自分は農民を殺したのではなく警備隊員を殺したのだと知って、罪がそれだけ軽くなったような気がしたのです。それは自分への弁解なんです。殺された原因を相手側のせいにして罪をなすりつけていたのです。
 あれほど憎んでいた日本軍の思想がまだ自分のなかに残っていると知ったときはすごくショックでした。六十年も経っているのに日本兵に戻ってしまったんですから。(奥村和一・酒井誠、『私は「蟻の兵隊」だった―中国に残された日本兵 』、岩波ジュニア新書、2009(第8刷)、pp.163-165)

 映画のこの場面を見て、私は敗戦直後に小林秀雄がある座談会で述べた「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。」という言葉を思い出した。その座談会から引用しよう。小林は本多秋五の批判に答えて次のように述べる。

 僕は政治的には無智な一国民として事変(1931年の満州事変のこと:萩原)に処した。黙って処した。それについて今は何の後悔もしていない。大事変が終った時には、必ず若(も)しかくかくだったら事変は起こらなかったろう、事変はこんな風にはならなかったろうという議論が起る。必然というものに対する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戦争日中戦争、太平洋戦争のこと:萩原)は一部の人達の無智と野心とから起ったか、それさへなければ起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度(めでた)い歴史観はもてないよ。僕は歴史の必然性といふものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。(「コメディ・リテレール 小林秀雄を囲んで 座談」、『近代文学』1946年2月号所収:『小林秀雄全作品15』、新潮社、2003、pp.34-35)

 私は昔も今もこの放言や、この放言の少し前で述べている小林の天皇制擁護が理解できない。しかし、なぜ小林がそう言うのかは理解できる。つまり、反省してもどうにもならないことがある。それが自分の身体にしみ込んだ天皇制であり、先の戦争に「黙って処した」自分だ。反省したところで、そのような自分を変えることはできない、と小林は述べているのだ。
 しかし、小林のこの天皇制擁護や先の放言は正しいのだろうか。私は正しくないと思う。なぜなら、たとえば、山本七平天皇制批判(山本七平、『現人神の創作者たち』(上・下)、ちくま文庫、2007)を読めば、あるいは読まなくとも、現人神(=天皇)信仰を生み出していった日本の土壌を受け入れることなど、狂気の沙汰であることは明らかであるからだ。また、たとえば、同じ山本の一連の体験的陸軍批判(『一下級将校の見た帝国陸軍』など)を読めば、あるいは読まなくとも、小林が別のところで述べている、兵隊やその家族が先の戦争に「黙って処した」という言葉が、小林のでっちあげた虚構にすぎないことは誰にも分かるはずであるからだ。明晰な頭脳の持ち主である小林にこのことが分からぬはずがない。小林は自己弁護に汲々としているだけだ。
 しかし、そのような自己弁護を除けば、小林の言うことは理解できる。戦後、軍国主義的な社会から民主的な社会、という風に情況が変わったからといって、人間は変わるものではない。自分では情況に合わせて変わったつもりでも、じつは変わっていない。だから、反省していると人に言いふらしたりするのは、うまく立ち回りたいからにすぎない。小林はそう言いたいのだ。
 このことを奥村さんの「六十年も経っているのに日本兵に戻ってしまった」という言葉を読んで思い出したのだ。奥村さんは戦後、自分が変わったと思っていたのに、まったく変わっていなかったのだ。このことに気づいたとき、奥村さんは変わる。
 小林も戦後、自分がまったく変わっていないことに気づいた。このため、小林は「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。」と言った。小林も自分の誤りに気づき、奥村さんと同様、変わったのだ、と私は思う。
 恥ずべき過ちを犯したのにも拘わらず、自分がまったく変わっていないと気づくこと、自分が過ちを犯す前と同じ愚か者であると思い知ること、そのような自分は何の意味もない存在であると知ること、そして精神的に死ぬこと、これが回心というものだ。私が小林秀雄を信頼するのは、この死をくぐりぬけてきた者であるからだ。