亀山郁夫とイソップ言語

 「亀山郁夫の傲慢」で明らかにしたように、亀山は私のいう「自尊心の病」に憑かれている。また、「続・自尊心の病」で述べたように、自らの自尊心の病に気づくことができない者は『地下室の手記』以降のドストエフスキーの作品を理解することができない。
 なぜ私がそう断定できるのかということについて、私自身のことを例にあげながら説明してみよう。すでに述べたように、私は高校生の頃からドストエフスキーを読んでいたのにも拘わらず、三十を過ぎるまで『地下室の手記』以降のドストエフスキーの作品にまったく歯が立たなかった。このため、ドストエフスキーを読むために外大に入ってロシア語を学んだのに、ドストエフスキー研究をひとまず脇に置いた。そして、ドストエフスキーの論争相手であったサルトィコーフ=シチェドリーンのイソップ言語やドストエフスキーの師であったゴーゴリを研究しながら、ドストエフスキーが分かるようになる時を待ったのだった。ドストエフスキーが本当に分かるようになったのは(と思っているだけかもしれないが)、五十歳をかなり過ぎてからだ。
 ドストエフスキーの後期作品に歯が立たなかったのは、もちろん、私が自らの自尊心の病あるいは傲慢さに気がついていなかったからだ。私が自らの自尊心の病に気づくことができるようになったのは、三十歳過ぎに離人神経症になって死にかけたからだ。と、今になれば自信をもって言えるのだが、当時は何が何だか分からなかった。分からないまま、自らの自尊心の病をゴーゴリに投影しながら(拙論「ゴーゴリとファラレイ」)、自尊心の病を対象化しようとした。
 しかし、そうして私の自尊心は砕かれたのだが、徹底的に砕かれたというわけではなかった。自尊心が徹底的に砕かれれば、疲れ果てていた私は死を選んでいただろう。このため、それ以降も『罪と罰』のソーニャや『カラマーゾフの兄弟』のマルケルやゾシマが十分理解できないままドストエフスキーを読んでいた。マルケルやゾシマが分かるようになったのは、五十歳もかなり過ぎて、大学時代に読んでいたシモーヌ・ヴェイユを改めて読み、自分に残っていた人間中心主義あるいは進歩思想を完全に断ち切ったときだ。このことについては、「ドストエフスキーヴェイユ」で説明した。
 これが私の回心なのである。謙虚な人間として生まれた人にとって、それは回心と呼ぶのも馬鹿らしいほどの変化なのかもしれない。しかし、傲慢な人間として生まれた私にとって、ドストエフスキーが分かるためには、この道筋しかなかったのである。また、この回心によって、分かった気になっていたルネ・ジラールの模倣の欲望論やバフチンドストエフスキー論が、ようやく腹の底から分かるようになった。
 だから、亀山だけではなく、以前の私のように、自分の自尊心の病に気づかないまま、模倣の欲望論やバフチンポリフォニー論を用いてドストエフスキーの作品を論じても、それは無意味だ。私は自らを誇るためにこう言うのではない。事実をありのまま述べているだけだ。
 さて、話をもとに戻し、前回の続きとして、「人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第9回2008年2月15日)」での亀山の発言に解説を加えておこう。
 次のように、亀山は自分のドストエフスキー研究は少なくとも日本で「最先端」を行っているという。文学研究に「最先端」はない。文学研究に求められるのは、研究者の人間としての深さだけだ。人間に進歩などない。「最先端」のドストエフスキー研究もあり得ない。それなのに亀山は次のようにいう。

 先ほどの「教養知」と最先端的研究という、この一つの実例というのを、自分に照らして提示したいと思うわけです。そこまで君はナルシストかとのそしりを恐れつつも、自分なりにひとつ言いたいことがあるんですね。私がドストエフスキー研究に入り込んだのは、この過去5、6年です。結局、ドストエフスキーの研究は、私の研究は今最先端だと自分なりに自負しているんですね、少なくとも日本においては。問題は、なぜそう自負できるか、という点にあります。私は、ロシア・アヴァンギャルド研究の後に8年間ほどスターリン文化研究に励みましたが、そのスターリン文化研究の構造をそのままドストエフスキー研究に持ち込んでみたわけです。そこでどういう発見があったかというと、例えば10代の後半、終わりから、大学時代から営々とドストエフスキー研究を積み重ねた人たちは、50代の後半になったら新鮮な想像力も何もすべて失っているんですね。ほとんどドストエフスキーのテクストになまで感動するということはない。テクストの細部から何か新しい真実を見出していくということがほとんどできなくなっていて、目新しい視点、発想はほとんどゼロなんです。

 亀山は誰のことを言っているのだろう。「例えば10代の後半、終わりから、大学時代から営々とドストエフスキー研究を積み重ねた人たち」とは誰だろう。なぜ亀山は、そういう人たちが「50代の後半になったら新鮮な想像力も何もすべて失っている」、「ほとんどドストエフスキーのテクストになまで感動するということはない」と断言できるのだろう。ひとりひとりに会って確かめたのか。ドストエフスキー研究において五十歳過ぎまで停滞していた私もそういう人間の一人だろう。しかし、その停滞していたときでさえ、ドストエフスキーを読んで感動しないということはなかった。だから、亀山は明らかに出鱈目を言っているのだ。亀山は続けてこういう。

 それはほんとうかという疑問をお持ちになる方もいるかもしれませんが、例えば私がスターリン研究、スターリン文化研究から持ち込んだ一つの例を挙げると、独裁権力のもとで、20世紀ロシアの知識人たちというのは、いわゆる二枚舌という方法。これはロシア語でイソップ言語と言うんですが、いかに権力に対して自分の一種の良心というもの、つまり、良心に恥じずにストレートに自己表現したら当然粛清されるという構図があるわけですからね。で、優れた芸術家たちはみな、自分の芸術家としての良心をテクストの底に織り込ませるかということをやっているわけです。そうすると、例えばスターリン賛美のテクストを書いたにしても、その根底には非常にあいまいな何かが潜むわけですね。そこの部分というのは複雑な構造をなしていくわけです、今言った二枚舌の構造です。決して権力に見破られることはない。ただし、スターリン権力が終わった後には発見できるような構造として出すわけです。そうでないと実際に困ります。 その二枚舌の構造のあり方というものをドストエフスキーのテクストに当てはめたらどうだろうか。すると、ドストエフスキーというのは、皇帝権力のもとで死刑宣告まで受けた作家ですから、当然、彼の文学のテクストというものも、やはり権力への賛美、権力への賛美というのは、皇帝賛美、ロシア正教賛美という形で出てくる権力賛美ですね、その賛美の下に、若い時代の彼が経験したユートピア社会主義者としての一面、革命家としての一面とでもいいましょうか、いわゆる反体制的な言説が、作品の内部にどのような形で織り込まれていくかという、この二重構造を見きわめる作業になっていくわけですね。

 ここで亀山が述べているのはすべて嘘だ。その嘘をつむぎだす源になっているのが、「いわゆる二枚舌という方法。これはロシア語でイソップ言語と言うんですが」という言葉だ。
 知らない人は亀山のその嘘に簡単に欺されるかもしれない。しかし、スターリン体制下の「二枚舌(ないしは面従腹背)(двурушничество)」(亀山郁夫、『磔のロシア──スターリンと芸術家たち』、p.59)と、帝政ロシアで使われた「イソップ言語」(эзопов язык)は明らかに違う。
 「二枚舌」というのはシェイクスピアの『オセロ』に出てくるイアーゴみたいな人物が取る態度だ。ドストエフスキーの作品でいえば、たとえば『カラマーゾフの兄弟』のスメルジャコフがイワンやフョードルに向ける態度が「二枚舌(ないしは面従腹背)」なのである。
 言い換えると、「二枚舌」というのは自分より上位にある者に対して取る、裏表のある態度にすぎない。この裏表のある態度は、その上位の者に見抜かれてはもはや裏表のある態度でも「二枚舌」でもなくなる。また、その「二枚舌」を使っている者とその「二枚舌」によって欺かれている者を、そのとき離れたところから見ている第三者にとっても、それが「二枚舌」であるかどうかはしかとは判断できない。要するに、同じ時間を生きる者は誰もそれが「二枚舌」であることに気づかない。あとで回顧して初めて、それが「二枚舌」であったと分かる可能性があるというだけのことだ。
 一方、「イソップ言語」というのは、権力者に対する寓意に満ちた批判、要するに「当てつけがましい言い回し」のことだ。これはあくまでも権力批判なので、権力に不満をもつ、同時代の、あるいは同じ時間を生きる人々によって共有されなければならない批判だ。そうでないと、それは「イソップ言語」ではなく、誰にも共有されない独り言になる。このようなイソップ言語の例としてしばしば挙げられるのが、日本では清沢洌(きよし)の太平洋戦争時の言論であり、ロシア帝国ではサルトィコーフ=シチェドリーンの『童話』だ。
 ここで注意しておかなくてはならないのは、このような「イソップ言語」を用いての体制批判は、密告が常態化し、体制批判すなわち死を意味していたスターリンの恐怖政治のもとでは不可能だということだ。従って、スターリン体制下では誰もが「二枚舌(ないしは面従腹背)」を使いながら生き延びるしかなかった。要するに、密告が常態化していたスターリン体制下では、権力批判を、同じ時間を生きる誰かと共有するような「イソップ言語」など、危険すぎて、とうてい使うのは不可能だったということだ。
 従って、明らかに、スターリン研究の方法をそのままドストエフスキー研究に持ち込むことは不可能だ。亀山はスターリン研究の「その二枚舌の構造のあり方というものをドストエフスキーのテクストに当てはめたらどうだろうか。」と言っているが、やれるものならやってみるがいい。
 次に、亀山によれば、ドストエフスキーもサルトィコーフ=シチェドリーンと同じようにイソップ言語を使ったことになる。しかし、これも嘘だ。
 ドストエフスキーは60年代、サルトィコーフ=シチェドリーンなどが属していた西欧派の雑誌『現代人』との論争を行い、とうてい歯切れが良いとは言えない皮肉を浴びせかけている(たとえば『地下室の手記』)。しかし、それはやはり皮肉あるいは当てつけにすぎず、イソップ言語とは言えない。イソップ言語というからには、ロシア帝国に対する批判でなければならない。私が見るかぎり、キリスト教徒であり前科者でもあったドストエフスキーは、サルトィコーフ=シチェドリーンみたいにイソップ言語を使って体制批判をしていない。もしドストエフスキーがイソップ言語を使って体制批判をしていたとすれば、それは同じ時間を生きていた人々にも分かっただろう。しかし、そんな人は誰もいない。逆に、ドストエフスキーを保守反動だと非難する人はたくさんいる。だから、ドストエフスキーがイソップ言語を使って体制批判をしていた可能性があるという亀山の言葉は、真っ赤な嘘だ。
 もっとも、ドストエフスキーは、サルトィコーフ=シチェドリーンの使ったような、誰にも分かるようなイソップ言語は使わなかったが、自らのポリフォニー小説という独自の構造を利用して、こっそり体制批判をしていた、というのが私の仮説だ。この仮説にもとづいて『カラマーゾフの兄弟』のイワンの言動を論じたので、「[file:yumetiyo:ドストエフスキーと二つの不平等.pdf]」(p.11)を見てほしい。このイワンの言動についてはすでにゴーリキーが1939年に指摘しているので、私の新発見ではない。
 さて、亀山は先の引用に続けてこういう。

 ところが、そういう、ごくあたりまえに思えるような研究すらも、過去のドストエフスキー研究では全くやられてこなかった。芸術と権力、文学と権力といった、一種の二項対立的な枠組みのなかでの研究を、最先端と呼ぶのか、ロシア文学はやっぱり甘いんじゃないかというふうに思われている方も多分いらっしゃると思いますが、しかし、最先端の研究というのは、何も、精緻をきわめるテクスト分析やテクスト研究だけでなくていいんです。その時代の言説や社会状況に見合った研究スタイルがあっていいんです。パイオニア的な知、その知の枠組みをしっかり作りだしていく人が必要なのです。たとえば、グローバリゼーションがもたらした二極化という時代状況に見合った研究、その知的パラダイムを開発した研究を、先端的な言葉で置き換えて決して悪くないと思う……。外形だけを眺めれば、極めて単純な枠組みに見えるけれども、しかし現代における文学研究の枠組みを根本から変えなければ、いつまでたっても無用の学としての烙印を押されつづけるだけだと私は考えています。
 そしてそれでこそ、先端的研究と教養教育が手を結び合う新しい磁場が形成されると思うのです。例えばドストエフスキーという古典のテクストを大切にする。先ほど古典にすべてのエネルギーを、全体的な知的エネルギーを持ち込んでいかなければならないということを言いましたが、ドストエフスキーという巨大なテクストに対する知的な集約化とでもいいましょうか、そういうことをやっぱり提言したいですね。古典の教育と先端研究を一体化させるようなプロジェクトをつねに考えて行く姿勢が大切だと思っています。

 亀山がここで述べていることもすべて嘘だ。
 なるほど、亀山のいう「そういう、ごくあたりまえに思えるような研究」、すなわち、ドストエフスキーの小説におけるイソップ言語の研究はこれまで行われてこなかった。しかし、繰り返すが、それはドストエフスキーがイソップ言語を使って作品を書いていないからにすぎない。もしドストエフスキーがイソップ言語を使ってロシア帝国ロシア正教会の批判をしていたとすれば、ソ連の研究者たちはソ連への忠誠を示すために、サルトィコーフ=シチェドリーンだけではなく、ここぞとばかりにドストエフスキーをも「先進的な作家」として礼賛していただろう。しかし、そんな風にはならなかった。ソ連ドストエフスキーは危険な作家というレッテルを貼られたままだった。当たり前の話だが、ロシア語を母語とするソ連ドストエフスキー研究者は、日本人の亀山など足もとにも及ばないほどロシア語ができる。また彼らの目は節穴ではない。
 だから、何度でも言うが、先に引用した亀山の次の言葉はまったくの嘘だ。

すると、ドストエフスキーというのは、皇帝権力のもとで死刑宣告まで受けた作家ですから、当然、彼の文学のテクストというものも、やはり権力への賛美、権力への賛美というのは、皇帝賛美、ロシア正教賛美という形で出てくる権力賛美ですね、その賛美の下に、若い時代の彼が経験したユートピア社会主義者としての一面、革命家としての一面とでもいいましょうか、いわゆる反体制的な言説が、作品の内部にどのような形で織り込まれていくかという、この二重構造を見きわめる作業になっていくわけですね。

 繰り返すが、亀山が言うようにドストエフスキーの作品に「反体制的な言説が、作品の内部に」織り込まれているとすれば、ソ連の研究者たちはドストエフスキーを「先進的な作家」として賛美しただろう。また、ドストエフスキーの同時代人たちもドストエフスキーを保守反動と呼んだりはしなかっただろう。
 私がドストエフスキーの読者に言いたいのは、どうか、こんな、少し考えれば誰にでも分かるような亀山の嘘に欺されないでほしいということだ。
 ところで、亀山は、

私がドストエフスキー研究に入り込んだのは、この過去5、6年です。結局、ドストエフスキーの研究は、私の研究は今最先端だと自分なりに自負しているんですね、少なくとも日本においては。

 と述べている。ここで亀山のいう「最先端」の研究とは、言うまでもなく、ドストエフスキーの小説における「イソップ言語」の研究を意味する。従って、亀山はすでにその研究に着手していることになる。亀山のその言葉は明らかに嘘なのだが、それがどのような嘘なのかについて、これから明らかにしてゆこう。