『ドストエフスキー 父殺しの文学』批判(8)

亀山はなぜジラール理論を使ったのか
 さて、これまでの批判によって最初の約束を果たすことができたと思う。この批判の第一回目で私は次のように述べた。

 先に引用した亀山の序文に明らかなように、亀山はこれからフロイトの「父殺し」の理論、つまり、エディプス・コンプレックスの理論、さらに、亀山の手になる「使嗾」の理論を使ってドストエフスキー論を展開してゆくと述べている。そこで、私も、エディプス・コンプレックスの理論をドストエフスキーの小説全体に適用するのは間違っているということについて説明しながら、同時に、亀山の「使嗾」の理論についてもそれが愚かな妄想にすぎないということも明らかにしてみよう。

 要するに、亀山が『ドストエフスキー 父殺しの文学』の二つの柱としているフロイトの「父殺し」の理論と亀山製の「使嗾」の理論は、ジラールの模倣の欲望の理論によって否定される。ジラールによれば、フロイトのいう「父殺し」の理論と亀山製の「使嗾」の理論は、模倣の欲望が生みだす幻想にすぎないのである。それが幻想だと気づかないのは、自分の自尊心に気づかないからだ。自分の自尊心に気づいていない者だけがフロイト理論を支持し、その理論を亀山のようにドストエフスキーの作品や人生に適用するのである。
 もっとも、亀山がどうしてもフロイト理論に固執し、フロイト理論によってドストエフスキー論を書きたいと思ったのであれば、ジラールを無視すればよかったのだ。そうすれば、亀山のドストエフスキー論はその内容はともかくとして、論理的には首尾一貫したものとなっただろう。ところが、亀山はフロイトとは水と油のジラールを自分のドストエフスキー論に導き入れた。それだけではなく、ジラール理論を公然と模倣しながらドストエフスキー論を展開していった。それは亀山がフロイトのいう「父親殺し」(亀山の言葉では「父殺し」)とジラールのいう「父親殺し」の違いを理解していなかったからだ。
 またもや同じことを繰り返すが、亀山が『ドストエフスキー 父殺しの文学』の出発点としたフロイトの論文「ドストエフスキーと父親殺し」(1928)は、フロイトが『トーテムとタブー』の「父親殺し」のシナリオを用いて『カラマーゾフの兄弟』を説明しようとしたものだ。また『トーテムとタブー』の「父親殺し」は、フロイトエディプス・コンプレックスの概念から派生したシナリオだ。フロイトによるエディプス・コンプレックスの神話では、母親をめぐって息子と父親が争う。『トーテムとタブー』ではその争いの果てに父親が息子によって殺害される。このエディプス・コンプレックスの神話こそ、模倣の欲望を見抜けないフロイトの愚かさを証明している、とジラールは批判している。しかし、自分の自尊心に気づいていない者は当然ジラールのこのような考えに賛成できないだろうから、その場合、ジラールの考えを無視すれば済むことだ。それなのに亀山は無視しなかった。
 もっとも、亀山と同様、自分の自尊心に気づいていない者は、亀山がフロイトジラールを共存させながらドストエフスキー論を展開していることに何の違和感も感じないだろう。亀山のドストエフスキー論を支持している読者はこのような人たちなのだ。
 はっきり言うが、自分の自尊心に気づかないということは、もうそれだけでドストエフスキーの『地下室の手記』以降の作品が分からないということなのだ。
 なぜこんな風に断定できるのかといえば、それは、私にとって経験済みの事柄であるからだ。自分を偽らないかぎり、『地下室の手記』以降の作品を理解できるかどうか、また、ジラールドストエフスキー論を理解しているかどうか、というようなことは、はっきり自分で分かるはずなのだ。
 恥を繰り返し述べることになるが、三十過ぎに離人神経症になり死にそこね、おかげで私は『地下室の手記』以降の作品やジラール理論が分かるようになった。事実を述べるだけだが、『地下室の手記』以降の作品やジラール理論が分かるためには、私のように自尊心がペチャンコになる経験が必要なのだ。自尊心が砕かれて初めて、それまでの自分に自尊心があったことに気がつく。ただ、私の場合、それでも自尊心が徹底的に砕かれなかったため、ドストエフスキーの作品やジラール理論と私のあいだに、薄い膜のようなものが張っている感じがあった。その膜が取り除かれたのが、五十を過ぎて偶然シモーヌ・ヴェイユを再読したときだ。このとき、自分に残っていた人間中心主義(自尊心)に気づくことができた。
 だから、今になって言えることだが、ヴェイユに出会う前の私は『地下室の手記』以降の作品やジラール理論をある程度理解はしていたが、本当に理解していたとは言えない。また、三十歳以前の、離人症になる前の私がジラール理論に出会っていたとすれば、亀山と同様、何が何だかさっぱり分からなかっただろう。従って、当然のことだが、そんなわけの分からないジラール理論を使ってドストエフスキーの作品を論じることなどできなかったのに違いない。いくら三十歳以前の私が傲慢であったとしても、自分が理解できない理論を使ってドストエフスキーの作品を論じるほど傲慢だったとは思えない。
 それでは、なぜ、亀山はまったく理解できないジラール理論を用いてドストエフスキーの作品を論じたのか。
 推測にすぎないが、その理由は三つ考えられる。
 亀山がそんなことをした理由のひとつは、作田啓一や私などがジラール理論を用いてドストエフスキーの小説を論じていたからだ。亀山は模倣の欲望に駆られたのだ。そうでなければ、亀山が自分に理解できないジラール理論に飛びつく理由が分からない。
 亀山がジラール理論を使った二番目の理由は、これもやはり模倣の欲望のためで、ジラール理論が亀山の好きな「先端的な」理論に見えたためだろう。亀山はジラール理論を用いてドストエフスキーを論じ、それまでのドストエフスキー研究者の一枚上を行きたかったのだ。
 しかし、もし「先端的な」理論であるジラール理論をドストエフスキー論に適用したと亀山が思っているのだとすれば、それは錯覚だ。なぜなら、ジラール理論は「先端的な」理論ではなく、自分の自尊心に気づいていない者には理解できない、神中心主義的な「古くさい」と言ってもいい理論であるからだ。
 このことに気づいたので、人間中心主義に立つ作田啓一ジラール理論を熟知していたのにも拘わらず、いや、熟知していたからこそ、ジラール理論から離れたのだ。このことは作田の『個人主義の運命』と『ドストエフスキーの世界』(とくに「『カラマーゾフの兄弟』について」)を読めば分かるはずだ。
 一方、亀山は作田とは違って、ジラール理論がもつ宗教性に気づかなかったため、『ドストエフスキー 父殺しの文学』とそれ以降のドストエフスキー論でジラール理論を使い続け、今も赤恥をかき続けているのだ。
 さて、亀山がジラール理論を使った三番目の理由は、ジラールフロイトと同様、「父親殺し」という言葉を使って自説を展開していたからだ。亀山が「映画の少女に恋をした.jpg 直」という新聞記事でも強調しているように、フロイトの病理学的な「父親殺し」は亀山にとって忘れることのできない「原風景」なのである。
 しかし、またもや繰り返しになるが、ジラールのいう「父親殺し」には文字通りの「父親殺し」も含まれるが、それは模倣の欲望が激化したあげく出来した「事故」にすぎず、ジラール理論の核になるのはやはり「模倣の欲望」なのである。一方、フロイトエディプス・コンプレックス神話の核となるのは、文字通りの「父親殺し」だ。亀山はもちろんフロイトのこの「父親殺し」の神話を使ってドストエフスキー論を展開したのだが、そのさい、ジラールのいう「父親殺し」という言葉から、ジラールにとって核になる模倣の欲望を抜いて使ったのだ。このため、自分の自尊心に気づいていない者にしか理解できないグロテスクなドストエフスキー論が出来上がった。