ないものねだり 

私は「徒党」を憎む。なぜなら、徒党を組むとは、丸山真男(『日本の思想』、岩波新書)のいう「タコツボ」に入り、山本七平のいう「集団倫理と状況倫理」(『「空気」の研究』、文春文庫、1983、pp.107-114)に与することであるからだ。そこには自由も責任もない。
 しかし、たとえば、十年以上前になるが、不登校児童や引きこもり青年に対する暴力的な精神科医療を批判する人々の集まりで、精神科医の石川憲彦が、
 「みなさん、児童精神医学会に入ってください。私たちが推薦人になります。徒党を組んで精神科医療を批判しなければどうにもなりません。」
 と言った。
 これを聞いて、「徒党を組めとは何だ。」と私は反発を覚えたが、黙っていた。黙っていたのは、当時の(今もそうだが)児童精神科医療は、石川が言うように、患者側が徒党を組んで抗議しなければどうしようもないほど、悲惨な状況にあったからだ。しかし、私のこの態度は間違っていたと思う。石川に抗議すべきだった。
 日本の社会では数を頼んで、徒党を組まなければ何も言えないのか。たった一人で反乱の狼煙をあげても、黙殺されるだけなのか。それは確かにそうだ。私の貧弱な経験からもそう断定できる。虫けらのように扱われて、タコツボの外に捨てられ、闇に葬られるだけだ。だから、そんな風になりたくないのなら、石川のように、別のタコツボ(徒党)を作って反乱の狼煙をあげるしかない。
 しかし、そんな風に、タコツボ対タコツボの闘争になっていいのか。それでは、日本の社会はいつまで経っても変わらない。時が経って、あるタコツボが別のタコツボにとって代わるだけだ。
 タコツボの中では、山本七平がいうように、事実が事実として通用しない。どのような事実もタコツボ内でしか通用しない事実へと歪められる。あるタコツボでは黒が白として通用する。
 たとえば、山本によれば、明治維新まで、天皇家は仏教を信奉していたのに、明治になると、その「思想信仰の自由」が剥奪され、政治的に利用されるようになる。ただの人間にすぎなかった天皇が、ある日突然、自分の入っているタコツボ(日本)の状況が変わったため、「神」に祭り上げられ、その状況に適応し、神を演じるようになる(山本七平、『「空気」の研究』、pp.97-98)。
 そして、今となっては天皇家仏教徒であったという事実を知る者さえ少なくなった(と思う)。たとえ知っていても(天皇家菩提寺であった泉涌寺近辺の住人はみな知っているだろう。)、「それがどうした?」とキョトンとするだけだろう。ドタバタ喜劇の世界だ。こんな喜劇を私たちに強いるのがタコツボなのだ。
 従って、このようなドタバタ喜劇に巻き込まれないようにするには、まるで子供に言うようなことだが、事実を事実として認めなければならない。ところが、この事実を事実として認める行為こそ、私たちの社会ではタブーだ。なぜなら、天皇制を始めとして、事実をそのまま事実として認めると、タコツボを壊すことになり、タコツボの外に放り出されることになるからだ。
 他の例を挙げよう。
 今は亡き児玉隆也イタイイタイ病の取材のため現地に行ったとき、最初に聞かれたことは、「あなたは、どちら側に立って取材するのか」ということだったそうだ(『「空気」の研究』、p.144)。「どちら側」とは、患者側に立つのか、それとも、カドミウムを垂れ流している三井金属鉱業側に立つのか、ということだ。
 こんなことを言われるのは、患者側が自分の経験から、加害者である三井が自分たちに不利な事実を隠蔽しようとするだろうと疑っているからだし、三井の方は三井の方で、患者側に冷静な事実の検証を求めるのは困難だと思っているからだ。
 ここで重要なのは、カドミウムイタイイタイ病の原因であるのか否かという冷静な原因究明と、三井にカドミウムを垂れ流していたという事実の隠蔽を許さないという厳しい態度だけであるはずだ。ここで児玉がどちらの側に立つかということは問題ではないはずだ。これは患者であっても、三井の社員であっても同じであるはずなのだが、実際は、そういう風にはならない。患者側か三井側か、いずれのタコツボに属しているかによって、事実がねじ曲げられる。
 児玉がどんな風にその難局を切り抜けたのか私は知らないが、もしこの場合、児玉が「公平な判断を行うため、私はどちらの立場にも立たない。」と宣言したとすれば、患者側も三井側も鼻白み、児玉の取材は頓挫しただろう。しかし、いかに頓挫しようと、これがジャーナリストの取るべき態度だし、これ以外の立場に立てば、それはジャーナリストではなく、タコツボの宣伝係になってしまう。
 もちろん、これはジャーナリストだけに求められる態度ではない。いかに困難であろうと、私たちのひとりひとりがそのような態度を貫くべきなのだ。亀山批判でも同じだ。徒党を組んで亀山を批判してはいけない。それでは亀山を背後で支えているタコツボ集団と同じことをしていることになる。
 私たちひとりひとりが徒党を組まなくなれば、私たちの生きているタコツボ社会は一挙に崩壊する。そして責任の主体が社会に現れる。忘れてはならないのは、日本のタコツボ社会を徹底的にたたきつぶすことこそ最も緊急に為すべきことなのであり、そのひとつの手段として亀山批判を行うのだということだ。これを忘れるとタコツボ同士の争いになってしまうだけだ。

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 というようなことを、私は二十年以上前、詩人の多田智満子に言ったことがある。もちろん、批判の対象は亀山郁夫ではなく、別の人物だった。日本共産党書記長の宮本顕治だったか、創価学会池田大作だったか。自民党田中角栄だったか。それとも、彼らすべてだったか。
 それは、たしか、多田さんが同じ敷地内に家を新築し、私がその引っ越しの手伝いをしたお礼の席でのことだ。多田さんに力仕事を頼まれたのは、私がかつてソクラテスみたいに石屋をしていた、と多田さんに自慢したためだったか。今となっては記憶が薄れている。
 それはともかく、私は昔からタコツボ批判を繰り返してばかりいたのだ。とくに酒が入って良い気持ちになると、壊れたレコードみたいに同じことを繰り返していたようだ。
 私のその言葉を聞いて、多田さんはいきなり、
 「あなた、ないものねだりばかり言うのね。」
 と、言った。
 そんなことを言われたのは初めてだったので、私は絶句した。
 それまで私の愚痴の良き聞き相手であったキリスト教徒の小川正巳などは、私が日本におけるタコツボ批判とタコツボの担い手について批判を展開すると、いつでも、じつに嬉しそうな顔をして聞いてくれた。一方、これも私の愚痴を無理矢理聞かされて迷惑していた(と今になると分かるのだが)、フランス文学者の小島輝正などは、首をすくめるだけだった。
 私はそのときの多田さんの困ったような顔と、その言葉の調子を今でもよく覚えている。多田さんの言う通りだと思う。私がいくらタコツボを批判しても、日本人は変わらない。日本人にとって、それはないものねだりなのだ。ハゲの人に髪がないのはけしからんと腹を立てているみたいなものだ。それは不毛だ。だから、多田さんみたいに、タコツボの中で嬉しそうに肩を寄せ合って、じゃれあっている連中を、見下げ果てたやつらだ、という風に軽蔑し、彼らと関わり合いにならなければ済むのである。それはたしかにそうなのだが、それが私には出来ない。