軍隊に入ると・・・

 裸の大将こと、山下清は「ぼくの絵は、兵隊さんの位でいうと、ど、どれくらいかな」という風に、絵でも何でも兵隊の位にたとえて言おうとしたらしいが、私もそう変わらない。と、言っても、絵ではなく、初めて会う人がいると、「この人は軍隊に入ると、どんな人かな?」と考える習慣がある。要するに、軍隊に入ると、この人はどういう行動をするだろうか、ということだ。こんな風に考えるようになったのは、高校生のとき野間宏の小説「真空地帯」を読んでからだ。そこでは軍隊のグロテスクな人間模様が描かれているのだが、それを読んで以来、男女を問わず、「この人は軍隊に入るとどんな人になるのか」と考える癖がついたのだ。つまり、その人はうまく立ち回る人になるのか、平気で位の下の者をいじめるような人になるのか、それとも裏表なく誰とも対等に付き合える人になるのだろうか、という風に「真空地帯」を思い浮かべながらいろいろ考えるようになったのである。軍隊というのは一種の極限状態だから人間性がはっきり出る。その極限状態の中で、この人はどう振る舞うのだろうかと考える習慣がついたのだ。
 ところで、このような人々の中で私がいちばん苦手なのは、昔も今も、上官に忠誠を尽くして、その上官の虎の威を借りてのし上がろうとするやつだ。こういう人は、上官の言うことなら何でも無批判に受け入れる。そして、上官の命令を素直に受け入れない、たとえば私のようなやつがいると、その上官の前で、これ見よがしに、「お前はこの方の言われることに従えないのか」とか言いながら、くやし涙を流したりする。この場合、上官をずうっと上にたどってゆくと、帝国軍隊では象徴天皇にたどりつく。だから、上官の言うことに従えないやつは天皇に反逆することになるという理屈だ。
 私はこれまで長いこと生きてきたが、私が入った日本人の集団は、不幸にも、ひとつの例外もなく、こういう上官、いやボスへの忠誠心あふれる輩がのさばっている集団だった。まさかそんな集団ではないだろうと思って入ると裏切られる、ということの繰り返しだった。悪夢みたいなものだ。丸山真男が「日本の思想」で日本人のつくる集団は「タコツボ」だと言っているが、それは机上の空論ではなかったのである。息のつまりそうなタコツボの中で私たちはその忠誠心あふれる輩に従わなければならない。従わなければ、結局ボスに従わないことになるから、そのタコツボから出て、別のタコツボに入らなければならない。ところが、そのタコツボにも前のタコツボと同じようなボスがいて、そのボスに忠誠を誓う輩がうじゃうじゃいるのだ。このタコツボのボスたちを「象徴として」取り仕切っているのが象徴としての天皇だ。結局、私たちが本当にタコツボから出るためには、日本から脱出しなければならない。森有正加藤周一が日本を脱出したのはそのためだ。
 私は高校のとき「日本の思想」を「真空地帯」と相前後して読み、日本人の集団というと必ずこの二つの本を思い浮かべるようになった。丸山は「日本の思想」で天皇制成立の経緯を述べているのだが、現在、この本を本気で読む高校生がどれほどいるのだろう。
 話は変わるが、大阪の読売テレビが毎週日曜日の午後(13:30--15:00)放送している「そこまで言って委員会」という討論番組がある。私はいつも見ている。その理由はあとで述べる。
 この番組のレギュラー出演者は、現在、評論家の三宅久之勝谷誠彦宮崎哲弥田嶋陽子村田晃嗣、落語家の桂ざこばなどで、そこに金美齢自衛隊幹部だった志方俊之などの準レギュユラーが加わる。最近は自衛隊幹部だった田母神敏雄や週刊文春編集長だった花田紀凱などがしばしばゲストで加わる。佐藤優が録画で加わったこともある。
 この番組は、以前レギュラー出演者であった橋下徹大阪府知事にするのに貢献し、今も府知事の橋下の援護射撃を司会のたかじん(歌手)と出演者たちがしている。ちなみに、橋下の「中国での買春は中国へのODAみたいなもの」という真正の排外主義者にしか言えない「名言」はこの番組で述べられた。
 村田晃嗣のスタンスはもうひとつよく分からないが、田嶋以外のレギュラー出演者は、程度の差はあるにしても、宮崎も含めて、排外主義者だ。また、たかじんとともに司会をしている辛坊アナウンサーは佐藤優のファンのようだ。
 なぜ私はこの番組を見るのか。それは日本人の多くが、昔も今も同じ排外主義者だということを確認するためにすぎない。たとえば、小泉純一郎靖国参拝には田嶋以外の全員が賛成した。また、田嶋以外の全員が韓国朝鮮や中国に対する蔑視感情あるいは嫌悪の感情を共有している。
 また、先日などは、桂ざこばが次のような話をした。つまり、師匠の桂米朝文化勲章を受章し、天皇から記念の饅頭をもらった。その饅頭を弟子の桂ざこばも分けてもらい頂いた。と、話しながら、ざこばは思わず絶句し、泣いたのである。つられて、三宅久之も涙ぐんだように見えた。
 というような場面を見るために、私はその番組を見ている。戦後、日本人は大きく変わったなどと勘違いしないために見ているのだ。繰り返すが、私たちは昔とまったく変わっていない。日本において天皇を頂上に頂く無数のタコツボは健在であり、そのタコツボの外に住む者、つまり非日本人、たとえば在日の人々などはすべて敵なのである。タコツボが日本人を排外主義者にしているのだ。そして、そのタコツボは壊れない。なぜなら、そのタコツボは天皇制という、伸縮自在な、破られることのない透明な膜によって守られているからだ。天皇制があるかぎりタコツボは続く。私たちは天皇制に逆らうことはできない。逆らうことは日本人の死滅を意味する。このため、私たちは象徴天皇の代理表象、たとえば「陛下の饅頭」などに出会うと、理性を失い、ざこばみたいに絶句するのである。「そこまで言って委員会」という番組は日本全体に流すべきだろう。私たちの排外主義者としての姿がはっきり見えるようになるはずだ。いや、逆に、全国にその番組を流すと、本当の自分に気づいてしまい、日本人全体が排外主義者になってしまうのかもしれない。私たちはどうすればタコツボなしに生きることが可能になるのか。これが昔も今も日本人にとってもっとも重要な問題なのだ。