越知保夫について

 わたしの愛読していた小説家の西村賢太が急死し、その追悼文をロック歌手兼小説家の町田康が書いていたのを書店で立ち読みし(「西村賢太さんの文章」、『群像』四月号所収、2022、pp.147-149)心を打たれたので買い求めた。これから町田康の小説を読みたいと思った。
 そして、その『群像』をめくっていると、「越知保夫」という名前が飛び込んできた(若松英輔の評論「見えない道標 10」、p.304)。わたしは若松英輔のものを読むのは初めてだが、その評論を読んで、好感を持った。
 ところで、越知保夫が亡くなったので、学生の頃、わたしが入っていた同人誌の名前が『くろおぺす』から『たうろす』に変わったのだが、変わった理由については知らない。しかし、それまで『くろおぺす』の中心的存在だった越知さんの死があまりにも衝撃的だったので、越知さんの思い出を断ち切るため変えた、というような話を誰かから聴いたような記憶がある。
 学生のわたしにオダサクみたいになれ、と言って『たうろす』に放りこんだのは三高からオダサクの親友だった小川正巳先生だが、その小川先生がわたしに越知保夫を読め、と、さかんに言うので、当時筑摩叢書で出ていた越知さんの『好色と花』を読んだ。『くろおぺす』に連載していたものを越知さんの死後、まとめたものだ。感動という言葉がふさわしいのかどうか分からないが、非常に感動した。とくに、小林秀雄論に惹かれた。今は越知保夫の名前は皆から忘れ去られているのかもしれないが、彼の『好色と花』は古典と言ってもいい文章だと思う。
 その越知さんの小林秀雄論に従って、『罪と罰』を読んでみようと思う。その話を昨日の「ドストエフスキーを読む」講座で話した。

追記:『くろおぺす』から『たうろす』に変わった事情を述べたのは小川正巳先生だった、ということについて述べているブログ(蜘蛛 : daily-sumus2 (exblog.jp))を発見した。(2024/02/07)