天皇と小林秀雄

昨夜、寝つかれないまま、小林秀雄講演第一巻「文学の雑感」(新潮社)というCDを聴いていたら、その昭和45年の講演のあと、小林に「天皇とどう付き合えばいいのか」と問う男性がいた。その質問に対して小林は、「そんな抽象的な質問をしてはだめだ。天皇に対して親密さを感じるかどうかが問題なのだ。」というようなことを言った。そして、自分は自分なりの筋道で天皇に対して親密な感じを抱いていると述べた。これは小林が日本の真珠湾攻撃のとき朝日新聞に書いた翼賛的な言葉以上に分からない言葉だ。本居宣長をめぐる小林の伝統についてのベルクソン風の考えに私には異論はない。しかし、そこから先が問題なのだ。そこから先は小林お得意の「やまとごころ」、つまり「常識」の問題なのだろうか。たぶん、そうだろう。そして、日本人にとっての常識とは「翼賛体質」を持って生きること、すなわち「長いもの」に巻かれて生きることなのだ。小林秀雄真珠湾攻撃を歓迎したのも、天皇制を認めたのも、彼が日本人特有の常識を持っていたからだ。言い換えると、小林は典型的な日本人なのだ。