鳩山由紀夫を批判するな

 前回、鳩山由紀夫小沢一郎の悪口を言ったが、小沢はともかく、鳩山由紀夫を私は嫌っているわけではない。いや、小沢にしても嫌いではない。なぜなら彼らは政権交代を成し遂げたからだし、そのために団結することができたからだ。その一点で私は彼らを高く評価する。
 沖縄の米軍基地のことで鳩山由紀夫は奔走したが、結局、どうにもならなかった。鳩山は「やってみて初めて、問題の奥深さに気づいた」というような意味のことを述べた。私は鳩山のこういう正直さが好きだ。その鳩山の言葉に対して自民党やメディアから、「なんだ、鳩山は政治家として素人ではないか」という批判が、投げつけられた。その通りだ。鳩山は沖縄の米軍基地の問題については素人だった。当たり前ではないか。それまで自民党の議員のように当事者としてその問題に対峙してこなかったのだから、素人なのは当然だ。しかし、鳩山は何とかしようとした。この鳩山の奔走によって、たとえば、これまで表面的にしか沖縄の米軍基地のことを知らなかった私などもこれまで以上に深く、ある程度実感をともなって沖縄の米軍基地のことを知ることができた。これは私だけではないだろう。これだけでも鳩山の奔走は意味があったと言えるだろう。
 これは今回の菅直人原発対応にも言えると思う。広瀬隆が批判しているように、菅直人原発のことは何も分かっていないのかもしれない(広瀬隆・明石昇二郎、『原発の闇を暴く』、集英社新書、p.78)。広瀬の指摘はたぶん正しい。しかし、3月11日以降の菅の振る舞いを批判できる人がいるのか。菅はほとんど素人として原発津波被害に立ち向かった。メディアと自公や民主の小沢・鳩山一派の議員たちは、その菅内閣の奮闘努力を冷ややかに、いつ菅内閣が震災対応でミスを犯すか手ぐすねをひいて見つめていた。のみならず、執拗に、その震災復興作業を妨害した。しかし、菅内閣を批判する彼らも結局、菅直人と同じように原発津波については素人ではなかったのか。
 先のアメリカとの戦争に負けたあと、小林秀雄は「私は歴史主義が嫌いだ」と言った。小林のいう「歴史主義」とはポパーなどのいう歴史主義とは違って、あとから振り返って、あのときああしておればよかったのに、あなたはそうしなかった、だからあなたはダメだ、という考え方のことだ。鳩山や菅を批判する人々もまたこの小林のいう「歴史主義」に陥っているのではないのか。