天分

高校生の頃、アドリブ教則本みたいなものを何冊か買いこんで一年ほどトランペットでアドリブの練習をしたけど、ダメだった。クリフォード・ブラウンの偉大さがよく分かった。理屈でアドリブはできない。文章も同じだ。文章読本みたいなものをいくら読んでもドストエフスキーや朔太郎が書いたような生きた文章は書けない。文章にも天分というものが必要なように、音楽言語にも天分が必要だ。天分がないのに音楽を演奏したり文章を書いたりして他人に披露するのは、はた迷惑でしかない。しかし、ドストエフスキープルーストもはた迷惑でしかない駄作をかなり書いている。だから、天分がないからといってあきらめてはいけないということか。