習うより慣れろ

 わたしは五十年近く前、「習うより慣れろ」と繰り返す関口存男の何とかという本でドイツ語を学んだ。その本は今も、ほこりにまみれて家のどこかにあるはずだ。箱入りの、枕にできるほど分厚い、頑丈な本だった。じっさい枕にして昼寝をした覚えがある。
 要するに関口のやり方は漢文の素読と同じで、意味が分からなくてもいいから、発音が分かったら、その外国語の文章を繰り返し読み、暗記するのが大事だというやり方だ。意味はあとで少しずつ分かってくるから、まず文章を暗記すること、これが大事というやり方である。
 これは語学だけではなく、文章を学ぶ場合に当てはまる、正しいやり方だと思う。昔、丹羽文雄だったか、志賀直哉の文章を繰り返し書き写して、文章の呼吸を学んだと書いていた。丹羽文雄の文章がいいのはそのためか。
 わたしは最近、その関口のやり方を思いだし、毎日、三十分から一時間ほどだが、ドストエフスキーの文章を繰り返し書き写している。そして、そのあと、散歩したり畑を耕したりしながら、ロシア人の俳優が吹き込んだオーディオブックを繰り返し聞き、暗記している。ドストエフスキーの文章の呼吸がよく分かるし、考え方も分かるようになったように思うが、錯覚か。錯覚だろうな。外国人だからな。
 しかし、錯覚であるとしても、ドストエフスキーに一歩でも近づくことができるように思えるので暗記が楽しい。困るのは、好きな登場人物の台詞を暗記していると、たとえば、『悪霊』のステパン先生みたいに、おっちょこちょいになったり、『罪と罰』のマルメラードフみたいに、酒をあびるように飲みたくなることだ。