無神論者、それも徹底的な

 アナーキストの椎名其二については「ドストエフスキー研究者 松尾隆の評伝」でも少し触れたが、椎名は日本が先の戦争中、妻の母国であるフランスにいた。
 椎名は石川三四郎大杉栄の友人だった。椎名はフランスにとって敵国の外国人であったので、収容所に入れられた。その後、椎名は極貧の生活をパリで送ったあと、晩年、故郷の角舘に帰る。しかし、やはりなじめず、またパリに帰って亡くなる。椎名は自分が戦争に参加できなかったことに対して複雑な感情を抱いていた。
 森有正に関心のあった私は、森有正の友人だということで椎名を調べ始めたのだが、女性関係に関するかぎり、妻だけを愛していた椎名は森とは対照的だった。
 たとえば、パリで画家修行をしていた野見山暁治は、あるとき、森が椎名に自分の女性関係を相談している場面に遭遇している。その相談内容に腹を立てた椎名から「もう帰ってくれ」と言われた森は、野見山によれば「ベソをかいたまま」座ったままだった。後日、野見山は椎名と次のような会話をかわした。

 森さんは女好きなんですかね、と後日、私が口走ったとき、椎名さんは私の方にきつい顔をむけた。自分の性欲をもってして他人をおしはかってはいけないのです。性欲ほど人それぞれに違うものはないようだ。キミや私は女と喋っているだけで消化できる体質のようだが、森くんはそうではなく、体が言うことをきかないのではないかな。キミはそれをフシダラだというふうに思ってはいけない。(野見山暁治、『四百字のデッサン』、河出文庫、1982、p.39)

 これと同じことを私は小島輝正からも聞いたことがある。私の森有正論を読んだ小島は「まあ、これでいいんだけどね・・・ただね・・・」と、言葉を濁した。「この人は女好きでね。」と、小島は自分のことは棚にあげて言った。「渡辺さんも苦労したらしいよ。」そう聞いても、書いたものから森を好色な人間だろうと想像していた私は驚きはしなかった。そうだろうな、と思っただけだ。ただ、小島の「東大に帰って来なくなったのは、パリで女でもできたためだろうよ。」という言葉には承服できず、長々と反論した覚えがある。森は女のためだけに日本に帰ってこれなくなったのではなかった。これについてはこのブログでも詳しく書いているので、もうくり返さない。
 渡辺さんというのは渡辺一夫のことで、小島の恩師だった。私見にすぎないが、小島がコミュニストになったのはコミュニストであった渡辺の影響も大きいと思っている。
 ところで、私は森が椎名に惹かれた理由が分かりそうな気がする。椎名はキリスト者の森とは対照的な、身辺に深い虚無のたちこめた徹底的な無神論者であり、政治的にはアナーキストだった。このため森は椎名に惹かれたのだ。相手がどこにでもいる俗っぽい無神論者の場合、このような事態は生じない。森のような超越者の存在をいつも感じている者はそんな俗物にうんざりするだけだ。そういう者は、椎名のような無欲の徹底的な無神論者に惹かれる。これは、たとえば私がヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ」のような徹底的に無神論的な音楽に惹かれるのに似ている。あまりにも空虚な存在に向かい合うと、私たちはその空虚を私たちを超えたところから到来するもの――それを神の恩寵と言ってもいいだろう――によって埋めたくなるのだ。