吉行淳之介

 先日、録画していた「宮城まり子と「ねむの木学園」、密着!15年の記録」(BS朝日、12月6日放送)というテレビ番組を見た。見たのは、わたしに吉行淳之介を愛読していた時期があったからだ。
 若い頃から吉行淳之介の作品が好きで、だいたい『暗室』頃までの作品はくり返し読んだと思う。いま読むとどうか分からないが、学生の頃、最初に読んだ『砂の上の植物群』の印象は強烈で、その後、続けて読んだ『驟雨』、『娼婦の部屋』なども、『砂の上の植物群』で抱いた期待を裏切らないものだった。
 吉行の何がよかったのかといえば、その文章だった。娼婦の世界を知らないわたしにはその内容を云々する資格はないが、吉行の文章の硬質な美しさに深い感動を覚えた。読むと、娼婦との淫猥な関係を描いているのにもかかわらず、谷川の清らかな水を口に含んだような気分になった。そのような気分を味わいたくて、吉行の作品をくり返し読んだ。これは川端康成の悲しい作品をくり返し読んだときの感じに似ている。
 しかし、吉行のその硬質な美しさを備えた文章が、宮城まり子と恋愛関係になった頃から、しだいに軟弱な、うすぼんやりしたものに変質してゆき、『湿った空乾いた空』のあたりで、完全に崩れた豆腐のような文章になってしまった。このため、出たものは読むには読んだが、期待しないで読むようになり、気がつくと、わたしは吉行の書いたものを読まないようになっていた。吉行の中で何かが壊れたのだ。何が壊れたのか。
 変なことを言うようだが、わたしは吉行の一連の娼婦小説は、敗戦直後のアメリカ風民主主義に同調する軽薄な世の中に対する抵抗だったような気がする。
 こんなことを言うと、吉行の小説こそ軽薄ではないのか、といぶかる人がいるだろう。サルトルなどを訳した平井啓之が、ある席で、たぶんニタニタ笑いながら卑猥な話をしていた吉行と安岡章太郎に対して、「きみたちは、だから、だめなんだ!」と怒鳴ったということだ。平井のような人物が言うような意味では、たしかに吉行は軽薄だった。平井が怒るのも無理はない。しかし、安岡もそうであったように、吉行が命をかけて軽薄であろうとしたのも確かだろう。これは田中小実昌野坂昭如も同じだった。彼らの軽薄さには骨があった。というと、骨?、ばかな、あほうか、お前は、と言われそうな気がするので、いや、彼らが軽薄なのは、自衛隊の市ヶ谷駐屯地で割腹自決した三島由紀夫と同じ悲しさを共有しているからだ、と、言い返そう。どのような悲しさか。それは繰り返すが、アメリカから押しつけられた、お仕着せの道徳や民主主義のもとで右往左往している自分たちの悲しさだ。要するに、それは猿芝居なのだ。押しつけられた猿芝居を何の確信もなく演じることほど悲しいことはない。
 吉行は三島が自決したとき、ちょうど『暗室』を出したのだが、このすでに自我崩壊の兆にみちた鬱病小説を書いたあと、吉行は先に述べたような、しだいに崩れた豆腐のような文章を書くようになる。吉行は何も言わないが、彼が三島の自決に大きな衝撃を受けたことは確かだろう。なぜなら、このあと、吉行の軽薄さは質が変わるからだ。つまり、命をかけた確信犯的な軽薄さが、投げやりな、本物の(と言うのも変だが)軽薄さに変わるからだ。要するに、硬質の純粋な軽薄さ、あるいは反俗性が、世間ずれした俗っぽい軽薄さに変わるのだ。要するに、吉行は三島が自決したとき、命をかけて戦後の軽薄さに抗議した三島に負けたと思ったのではないのか。言い換えると、三島の自決によって、自分の軽薄という演技が見苦しい虚栄のように思われるようになったのではないのか。そのため、それまで保ってきた自分の軽薄さがばかばかしくなったのではないのか。そして、宮城まり子という理想の女性にその空しさを埋めてもらおうと思ったのではないのか。また、このとき、吉行がそれまでもちこたえてきた自尊が壊れ、文章が骨なしのものに変質していったのではないのか。以上はわたしの妄想にすぎない。
 ところで、先のテレビ番組を見て思わず息を呑んだのは、吉行の親友と言ってもいい作家、近藤啓太郎の話を聞いたときだ。テレビの音声が悪く状況がもうひとつよく理解できなかったが、近藤が宮城まり子との関係を罵倒すると(近藤は率直な男だ)、吉行がハラハラと涙を流したというのである。そう言いながら、近藤は泣きそうな顔になった。というのは、わたしの錯覚で、泣きそうになったのは、じつは、わたしかもしれない。吉行ともあろう男が、そこまで宮城が好きだったのか、と、他人の純情にふれて泣きそうになったのだ。
 吉行には妻がいた。妻は吉行がさまざまな娼婦のもとに通うのは許していた。自分なりにいろんな理屈で自分を説き伏せ、夫のふるまいを許していたのだろう。しかし、その妻も宮城との関係を許すことはなかった。それは吉行が宮城を、ハラハラと涙を流すほど大切に思っていたからだ。宮城も同じだった。吉行なしに生きてゆくことはできなかった。このため、宮城は自殺をはかった。しかし、吉行の妻は離婚を承知しなかった。吉行はこのような三角関係に悩み、彼の鬱病は深刻なものになっていった。
 吉行はよく自分はちんちくりんな、変な女、人からどうしてあんな変な女が好きなんだ、と言われるような女が好きだ、と言っていた。また、小説にもそんな女がよく出てきた。わたしなどは、吉行の小説に何の必然性もなく、唐突に出てくる、このちんちくりんな女に戸惑っていたのだが、先のテレビを見ていて、宮城の言葉から、このちんちくりんが宮城まり子だったと分かった。わたしは四十年近く抱いてきた疑問が晴れ、胸の中が少しすっきりした。