文は人なり

 私は誰かが賞賛されているのを読むのは好きだが、新聞の書評のように、書いたのが仲間だから、あるいは、出版社から頼まれたから褒めている、というような文章は読みたくない。若い頃は、私もそういう太鼓もち仲間だと思われたのか、そういうやり取りをしている現場に出くわしたことが複数回ある。「おい、あれ、頼むよ」「わかった。でも、すぐにはムリだ」という風な会話がかわされる。何とか賞も同じだろう。だから、新聞に、絶賛している書評が載ったり、ある本が何とか賞をもらったというニュースが載ると、また太鼓もちが騒いでいるとしか思えなくなった。若い頃は、そういう新聞を信じて、その本を買って読んだのだが、読んで、書評が嘘だと分かってがっかりしたことが何度もある。
 しかし、それでも、誰かが褒められているのを読むのは好きだ。逆に、誰かが批判されたり、痛罵されているのを読むのは好きではない。好きではないので、そんな風に批判されている本がほんとうにダメなのか確かめる。そして、ほんとうにその通りだったということも、もちろんあるが、なかなか面白いというのもあった。
 これは人間についても言えて、「あいつはどうしようもないやつだ」と言われている人に会うと、そうでもなく、悪口を言っていた人の方がどうしようもないやつだと分かることが多い。だから、会って、じっくり話してみなければ、それがどういう人だか分からない。いや、会うだけでは分からない。半年ぐらいいっしょに暮らしてみなければ分からないと思う。しかし、私たちにはそんなことをしているヒマはない。
 ただ、書いたものを読むと、それがどういう人か、だいたい分かる。これまで大量の他人の文章を読んできたため、私にはだいたい分かる。文は人なりというように、文章には人柄が出る。文章に上手下手はあっても、人柄はちゃんと出る。だから(話が突然飛躍するが)、選挙で立候補する政治家には何か文章を書いてほしい。そうすれば、その人が一発で分かり、私などは投票しやすくなる。
 ところで、安倍首相のこれまでの言動をテレビなどで見ていると、お坊ちゃん育ちの、かなりわがままな人物のように思える。しかし、それはひょっとしたら、私の思い違いかもしれない。また、テレビ局の印象操作かもしれない。だから、安倍首相にも何か自分の手で文章を書いてほしい。そうすれば、私の誤解も解けるかもしれない。と言うより(またも話が突然飛躍するが)、日本の運命を左右する首相を決めるときには、自分のこれまでの半生を自分の手で書いてもらうというようにしたらいいと思うがどうだろうか。