『硝子障子のシルエット』

 島尾敏雄の作品はすべて好きだが、若い頃、人に「読め読め」としつこくすすめていたのが、掌編小説集 『硝子障子のシルエット』である。これは庄野潤三がラジオ局に勤めていたとき、島尾に依頼して書かせた朗読用の作品だ。
 この作品を私は文学の授業でしばしば使った。学生も喜んで読んでいたように思う。しかし、それから十何年かたったあるとき、学生から、「こんな作品、どこが面白いんですか」と言われた。そして、使うのをやめた。少し腹を立てて、使うのをやめた。でも、と、思い直した。戦後すぐの神戸の風景が出てくるこんな作品は、平成の世の学生には面白くなかろう、と。
 人間の感情は古くならないけど、風景は古くなる。『硝子障子のシルエット』は、私などのように昔の神戸の風景をなつかしむ人間には貴重な作品だが、そうでない人には、たぶんあまり意味がない。そこで描かれている子供たちの姿をほほえましいと思うぐらいだろう。
 『硝子障子のシルエット』には島尾の娘の摩耶(まや)さんも出てくる。ほんとにかわいらしく描かれている。
 摩耶さんといえば、私は十年ぐらい前、ロシア人監督ソクーロフの『ドルチェ――優しく』という映画を見たことがある。島尾敏雄夫人が進行役をつとめるドキュメンタリー映画だった。内容はともかく、その映画に摩耶さんが出てきたのには驚いた。出てきたのに驚いたのではない。摩耶さんが精神に障害をもっているのに驚いたのだ。いたたまれない気持になった。また、残酷なことをするものだと思った。その脚本を書いたのは私と同年代の詩人だったか。あまりにも激しい衝撃を受けたので、誰だったか忘れてしまった。作品もソクーロフらしくなく、つまらなかった。摩耶さんはその作品が上映されたあとすぐに亡くなったように記憶している。悲しかった。『硝子障子のシルエット』を読むたびにそのことを思い出す。