菅直人の人柄などどうでもいい

 3月11日の震災のあと1ヶ月ほどして、松本健一内閣官房参与が記者の質問に答えて次のように言った。「菅首相福島原発周辺は今後10年から20年、人の住めない土地になると言っていたよ」。これを聞いた記者が菅首相に確認したところ、自分はそんなことは言っていない、と述べた。そこで記者がそのことを松本健一に伝えたところ、今後10年から20年住めないと言ったのは自分だ、と松本が訂正した。ここから松本は正直だが菅は嘘つきだという話が広まる。たとえば、板垣英憲という毎日新聞の記者だった人物はブログで次のように述べている

 松本健一参与が菅直人首相との会談後、記者団に囲まれて、「首相が原発周辺に20年住めないと発言していた」と語ったのが、避難民の反発を呼んだことから、松本健一参与が前言を翻し、「自分の発言だった」と訂正した。当の菅直人首相は、「言っていない」と強弁したのである。
 この騒ぎを聞きつけた渡部恒三最高顧問までしゃしゃり出てきて「松本参与を首にしろ」と菅直人首相弁護に駆け回る始末だ。菅直人首相は、「えらい迷惑をしている」とシラッとしている。
 どちらがウソつきなのか。客観的に見て、菅直人首相が、ウソつきであることは、歴然としている。少なくとも、松本健一参与は、社会科学者である。ウソを仕立てるはずがないからである。もともと松本健一参与は、いまや冷たい関係にある仙谷由人官房副長官(東大で同級生)が連れてきた学者である。都合が悪くなれば、菅直人首相はいつでも切って捨てることのできる状況にあった。それは、菅直人首相にとっては、朝飯前、お手の物である。かくて、松本健一参与は、ボロ雑巾のごとく、捨てられる運命にある。
 ついでながら言えば、松本健一参与は、記者団相手にコメントする際のテクニックに疎かったのが、災いした。首相と番記者との関係が正常ならば、首相も、首相の面会者も、こんなヘマなことは決してしないからである。首相執務室から、退室した面会者は、番記者に取り囲まれて、「いまどんなお話をされたのですか」と質問される。だから、退室するに当たり、首相と面会者は、何を話し合ったかについて、「口裏」合わせておくものなのである。大体は、肝心要の話を秘密にしておき、いかにも当たり障りの話題だったように、はっきり言えば、ウソで固めたシナリオをつくって、退室する。面会者が去った後、首相執務室から出てきた首相に対して、番記者は、同じ質問をする。そして、双方の言葉を比較して、チェックする。ただし、番記者たちは、首相と面会者が、まるっきり「本当のことをしゃべつていない」と疑いつつも、それらを本社のデスクに報告、連絡するのである。もちろん、本当の会談内容を突き止めるために、本人たちを含めて関係者のところに夜討ち朝駆けをかけ、その取財のなかかから、特ダネをつかむのだ。
◆今回、菅直人首相が、「言った」「言わない」の言い逃れをして、松本健一参与を「悲劇の主人公」にしてしまった最大の責任者は、言うまでもなく菅直人首相自身であった。それはどういう意味かと言うと、菅直人首相が番記者に対する日々の「ぶら下がり会見」を嫌がっていることが原因になっていたからである。つまりは、面会者との間で、「口裏」を合わせていなかったことから、松本健一参与が、あまりにも正直に、会談のなかでのやり取りを素のまましゃべってしまったのである。それが、ストレートにマスメディアに伝わり、思いがけず、大きな反発という反響を招いたのである。故に、すべての責任が、ぺらぺらしゃべった松本健一参与にあるのではなく、「口裏」を合わせていなかった菅直人首相にあるということである。それをわざわざ覆して、自分だけいい子ぶりを振り撒いている菅直人首相という政治家は、卑怯者である。こんな首相を守ろうとしているマスメディアや多くの国民は、被災民を棄民にする共同共謀正犯と断じて過言ではない。かわいそうなは、我慢を強いられている被災者たちであり、松本健一参与であった。
 菅直人首相が、「ぶら下がり記者会見」をいつまでも嫌い続けていると、今回のような事態は、いつでも起こり得るのである。そこから、綻びが生まれて、ウソつき菅直人首相は、退陣へと追い込まれて行く。

 この文中の次の言葉には驚く。「どちらがウソつきなのか。客観的に見て、菅直人首相が、ウソつきであることは、歴然としている。少なくとも、松本健一参与は、社会科学者である。ウソを仕立てるはずがないからである。」
 松本健一が社会科学者なのか。彼は北一輝論や竹内好論などを書いた右翼思想家にすぎないのではないのか。いや、百歩ゆずって彼が客観的なデータを扱う社会科学者だとしても、社会科学者なら嘘をつかないとなぜ断言できるのか。客観的なデータを自分の理論に都合のよいように利用し、嘘をついている社会科学者は掃いて捨てるほどいる。
 従って、板垣英憲という人物は、ともかく菅直人は嘘つきだと言いたいだけだということが分かる。その理由は私には分からない。また知りたくもない。菅直人の述べていることが嘘であるかどうかが問題であるだけだ。この場合、菅は嘘をついていない。常識に則って行動しているだけだ。つまり、誰にも分かることだろうが、菅と松本が、原発の被災地は今後10年から20年は住めなくなるだろうという話をした、というのは事実だろう。しかし、たとえそれが事実であろうと、それを公言するのは時期尚早だ。原発周辺地域の人々はパニックに陥るだろう。大事なのは原発周辺地域から人々が迅速かつ整然と避難することだ。そのためにはどうすればよいのか、と考えるのが政治家だ。人々がパニックに陥れば、そのような避難は不可能になる。それなのに、松本は記者に、菅首相は今後20年は住めなくなると言ってましたよ、と喋ったのだ。菅はそのような松本を馬鹿だと思っただろう。そう思いながら自分はそんなことは言っていないと松本の言葉を否定したのだ。これを板垣は嘘だといい、菅直人は嘘つきだという。私はそうは思わない。松本健一が非常識だと思うだけだ。
 ところで、板垣のこの文章にはもっと重大な錯誤がある。それは、板垣が原発の被災地が今後10年から20年は住めなくなるというのは真実か否かということについての議論を避けていることだ。菅直人が嘘つきか否かということなどどうでもいい。菅直人の言葉が真実かどうかということだけが問題であるはずだ。
 このブログで述べたように、ある人物の人柄などどうでもいい。人間は弱いものであり、嘘をつくこともありうる。菅直人にしても同じだ。大事なのは、ある人物が「真実を語っているのか、そうでないのか」という問いだけが重要なのだ。この問いを避けて通る人は、真実などどうでもいいと思っているのだ。「あれはいい人ですからね」とか「ありゃ嘘つきですからね」と、言うだけで、その人物の言葉が真実か否かについては何の関心もないのだ。彼らには菅直人の人柄だけが問題だけであり、福島の原発事故がどのような被害を私たちに今後もたらすのかということなど、どうでもいい。彼らは真実には関心がなく、他人を評価することにしか関心がないのだ。これまで繰り返し述べてきたように、それこそ自他を比較しようという模倣の欲望がもたらす行動にすぎない。その欲望は自尊心の病から生まれるのだ。われわれは無への運動の中に生きるべきだ。そのとき初めて私たちに真実が見える可能性がもたらされる。