『真空地帯』

五年前、フェイスブックに書いた文章を以下に採録する。野間の『真空地帯』は今も良い小説だと思っている。
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 二年前の昨日、大西巨人が亡くなった。1916年8月生まれで、享年97歳。長生きしたものだ。大西は九州大学中退だが、大学に行ったやつはラクをしているから長生きする、と、親父がいつも憎々しげに言っていたのを思い出す。私の親父は1919年生まれで、70歳過ぎに肺が腐って亡くなった。少年兵時代に患った肺壊疽が悪化したのだろう。
 親父は同年代の男に会うと、「戦争中、どうしてました?」と、たずねる悪い癖があった。そして、相手が大学に行っていたなどと言うと大変で、「そりゃ、ラクでよかったですなー。わしなどは小学校もろくに行ってないもんやから、ちんぽにちゃんと毛が生えんくらいから兵隊に行かされ・・・30ぐらいになってようやく日本に帰ってきて・・・まあ、身体、がたがたですわ。あんたは長生きしますやろな。よかったですなー、大学出は」などと、えんえんとイヤミを述べた。
 私がかみさんと結婚するときも、これをやって、かみさんの初対面の父親に、「そうですか。京都帝大ですか。ラクでしたなー。え?戦争には行ってない?何をやって・・・ああ、測量ですか。よろしいなー、わしなど、ほら、この傷、見てみなはれ、・・・」などとやったので、かみさんの父親は真っ赤な顔をしてうなだれていた。親父、おれの結婚の邪魔をする気か、と、思ったのだが、そうではなく、ほんとうに腹を立てていたのであった。
 話をもとに戻すと、大西巨人といえば、野間宏の『真空地帯』を批判したエッセイが有名で、大西はその小説を「俗情との結託」と言って批判した。高校生の頃、『真空地帯』を読んだ純情な私は、軍隊とはじつにひどいもんだと憤慨し、その小説に感心していたのだが、それからかなりたって、大西のそのエッセイというか、いやがらせの文章を読んで、とても驚いた。このため、『真空地帯』の向こうを張って大西が書いた『神聖喜劇』を読み始めたが、あまりにも退屈で、途中で読むのをやめた。いつも変わらぬ日本人の生態が描かれていたので、退屈になったのだ。