マスタベーション

きのう医者に行って、待合室に置いてあった「婦人公論」をめくっていると――その医院には子供向けの絵本か女性向けの雑誌しか置いてないのである――伊藤比呂美が同年輩の女性たちと、自分は「超高齢者」の夫を亡くしたあと、世話する相手がいないので欲求不満になった、というような話をしていた。この超高齢の夫というのは彼女がアメリカで出会った三番目の夫で、二番目の夫はポーランド文学者の西成彦である。私は伊藤比呂美の詩とか小説が好きで、昔はよく読んでいたが、そこに、西成彦のことだろうと思うが、「私が家を一週間ほど空けていて帰ってみると、夫がぐったりしていた。聞くと、このときとばかりマスをかきすぎた、という」というようなことを彼女は書いていて、何もそこまで書かなくてもいいのに、と思った記憶がある。それはともかく、伊藤比呂美は無精で家事は大キライらしい。部屋が汚くても何ともないし、食事も適当なものでいいらしい。しかし、世話をする相手がいるときちんと家事をするらしい。彼女は私と同じような種類の人間であるように思う。こういう女性と結婚したら、家の中はゴミ屋敷になり、二人とも栄養失調になるだろう。(しかし、伊藤比呂美のユーモアというのは日本人には通じにくい。大学の授業で彼女の文章を使って、そのことがよく分かった。このマスタベーションの話でも怒り出す学生がいた。どうして怒るのか。面白いじゃないか。きみは自分の自尊心に気づいていないから、そんなに怒るのだ。と、つい標準語になる自分もおかしい。)

捕捉:ユーモアというのは共通感覚の境界線上で発生します。伊藤比呂美の文章はその境界を明確に指し示し、読者の偽善をあばきたてます。つまり、読者の自尊心の病を明らかにするのです。関西の言葉で言えば、「このええかっこしい!」ということです。