折目博子

 夫も子供もいる「私」は、妻も子供もある男と、「自分達のあずかり知らない欲望のまま」、知らない街にゆき、そこで住みはじめる。今は亡き折目博子の短篇。折目博子作田啓一の奥さんだった。小島輝正からそのことを教えてもらった。小島は富士正晴から折目を知ったのか。あるとき小島に、作田啓一から手紙をもらい、彼が主宰する研究会に来てくれと言われた、というと、「ほお、折目博子の・・・」と言って、いつもと違う目でわたしをにらんだ。わたしはそのとき、小島のその目の意味が分からなかった。

 ためらいと恐れと、憧れで一杯になりながら、私は彼の前にからだを開く。醜悪な地獄へ行くように、それは思える。しかし、何故かそれが無ければ、私の心は静まらないのだ。私は、長い間、悲しい心を抱きかかえて、暮らさなければならなかった。
 私のしたことは、間違ったことだった。神も人も、私をゆるさないだろう。しかし、私は彼を欲し、彼を拉し去って、こんな見知らぬ土地へやって来なければならなかった。何故、私はこうなのだろう。
 しかし、私は地獄の底から這い上がって、最も美しい清潔なからだになって、まるで天国に近づいたように、彼の腕の中で笑わないではいられない。
 彼は、いまはの人のように、私の名を呼び続ける。地獄の底、肉体という墓場に埋められた、私の魂を呼び起こすために、彼はどんな努力もいとわない。
 私は泣く。私は、何故、生まれてきたのだろう。生まれて来る前、どこにいたのだろう。死んでしまって、どこへ行くのだろう。(折目博子、「見知らぬ街」、『菓子泥棒』所収)

 この小説だけでは「私」の「悲しい心」が何であるのかは分からない。しかし、折目博子のそれまでの私小説を読んできた者なら、それが、大学に入った娘が自殺したことによる悲しい心を暗示していることが分かる。わたしはこの小説の「私のしたことは、間違ったことだった。神も人も、私をゆるさないだろう。」という箇所を読んで泣かずにはいられない。