お座布団の上

 昨日は林秀彦のわるくちを書いてしまったが、わたしは林を全部あかんと言っているわけではない。わるくちを言ったあとで言い訳みたいになるが、林の思想そのものは好きだ。たとえば、林は司馬遼太郎を尊敬していて、こういう。

 司馬さんはずるいお方だった。滅多にないほどにアカデミックなお人であったにかかわらず、その世界の人間でないご自分を強調なさる術を心得ておられた。「自分は作家で、作家は抽象的な物言いをせず、お座布団の上から話すように自分を訓練している」ということを『太郎の国』でもおっしゃった。この「お座布団の上」がニクイのである。椅子に座って話すのと、座布団に座って話すのとでは、まるで違うということを直感としてご存知だった。つまり間に炬燵が挟まった雰囲気である。それは日本文化を、そのものの土壌から直接話すということだ。意外なことに、それをした人がいなかった。みな椅子の上から話した。仮に座布団が敷いてあっても「お」座布団ではなかった。多分この「お」は関西的なニュアンスが含まれるのだろう。で、それこそが日本文化のエッセンスであることもなかなか気づきにくいことだったのだが、それ以上に、小学校や中学校の先生を含め、われわれは常に自国に関する情報を、明治以来、椅子の上、教壇の上から拝聴していたことに気づき、ショックを受けたのである。いつのまにかわれわれは「寺子屋」を失っていた。学問を含めたあらゆる情報(和魂としてのインテレクトもインテリジェンスも)は、すべてお座布団の上に乗ったものではなかったし、そこから伝達されるものではなくなっていた。
 司馬さんは登場人物としてのご自分の舞台設定を心得ておられた。どの村にもかつては必ず一人はいた「権爺」のような設定である。煙い囲炉裡の薪を火箸でつつきながら、座布団、それも布が擦り切れたような薄っぺらな「お」座布団の上から話す人物象である。「大久保さんは伊藤さんを訪ねてな、座敷にごろんとひっくり返って話し始めたんじゃ・・・」といった権爺の昔話は、椅子の上からは聞けない。(林秀彦、『ジャパン、ザ・ビューティフル――嫉妬文明への挑戦』、中央公論社、1996、pp.186-187)

 「お座布団の上から話す」ということ。いつもいつもそう行くとはかぎらないが、わたしもそう話すことを心がけている。そうでなければ正気を失う。